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日本語の曖昧さがピンチ

引用元URL:http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000001424

記者名 O川 F彦
2006-09-16 16:55

 日本語には独特の「曖昧さ」があり、それが日本人らしさを象徴していると思う。
しかしこの「曖昧さ」が逆に日本文化の良い所から悪い部分の象徴になりかけているのではないか、と危惧しています。

 その1つが「援助交際」と言う言葉です。
早い話が「売春」なのですが、この言葉が出始めた頃はまるで「足長おじさん」的要素を含んだイメージで使われていたように思える。
特に一部のマスメディアでは「援助交際は○、売春は×」の様な表現とも読み取れるものもあった。
 かくして10台後半の女の子までもが「援助交際」なる言葉を免罪符の様に使って「売春」はしていないと自らに言い聞かせ行為を正当化し始めてしまっている。
まるで「援交」と言えば売春が正当化される物であるかの様に。

 この様に言葉を替える事によって負のイメージをプラスに変換してしまう例として「リストカット」が最近の例としてあると思う。
 「リストカット」とは「自傷行為」であって「自殺未遂」ではないのだそうですが、カタカナ表記する事で、明らかに負のイメージは無くなっているし、「カッコいい」とまでは言いませんが、ある意味では“ファッショナブル”な音の聞こえ方になってしまうのではないか。

 マスコミ等はこういう言葉の遣い方についてどの様な線引きをしているのだろうか。
テレビ・雑誌等で大手を振って使われ、市民権を得てしまった様な扱いをされていれば「この様に使えば悪い事もよくなっちゃうんだ」と言う考え方が生まれてきている結果が現在の状況ではないでしょうか。

 こうした事を考え突き詰めていくと、論理が飛躍し過ぎと批判される事を承知で書きますが、『終戦記念日』と言う言い方もさりげなく言い換えられているのではないか、と思います。
敗戦を「終戦記念日」と表現する事で8月15日を「単に太平洋戦争が『終った日』」であるかの印象を作っているのではないか。現代において「日本がアメリカと戦火を交え敗戦した」事実を知らない若年層が増えていると言われています。
かつての日本の過ちを忘れる事の無い様に「敗戦記念日」と改めるべきではないでしょうか。

 「日本語の曖昧さ」は日本文化の素晴しさの1つだと考えます。
それをよく使うも悪く使うも使う私達次第だと思います。
日本語が美しく世界に誇れる言語である為に使う私達が「言霊」を大切にしなければいけない時代になっていると思います。

オーマイニュース(日本版)より

言葉は移り変わるものです。以上。