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世界共和国へ

引用元URL:http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000003302

共同体と国家は太陽と北風
U井 Y季
2006-11-21 14:33

この本は民衆すべての対等な暮らしを目指した共和国を模索しているが、社会の成立を物質性だけでとらえているように思える。
つまりハーモニーではなく対立で成り立つバランス性を中心にして、混乱と不安な世の中を解決しようとしているらしい。最も基本である相互信頼から起こる一体感を打ち出していない。そのかわりに、共生社会の可能性を具体的に示している。
宗教は人々に自律ではなくゴリヤクと天罰いう依存心を植え付けてきたわけだし、国家的なシステムと支え合って今現在も民衆を翻弄している。
自律することで裏打ちされる自由と対等な互助性を摘み取っている。
これは世界共和国を実現するために大きな弊害である。
この本ではカントの言う倫理観と純粋理性によって集うことが必要で、そうしてできる共同体はいわば「神の世界」の出現だという。
他者を手段としてしか扱わない資本主義においては不可能なことだけれど、他者を手段と同時に目的とできてこそ「神の世界」が可能となるとも言う。
商人資本の支配を無くすためには利益追求型ではなく、品質追究の製品を目指した心でつながれる単位の組織で小ロットの個性ある製品が必要となる。
当然特許やノウハウや著作権をフリーに公開し、誰もが最高の状態で物を生み出せる環境にしなければならない。
利益のために行動するのではなく、最高の状況を生み出しながら保つ社会のために生きる事こそ宇宙すべてにとっての平和と自由と対等な暮らしを創れる。

共同体は家庭のような愛情と信頼を基礎とした生産物の交換と分配システムによって成り立つ。
その拠り所は家族から民族・宗教族そして利害組織へと広がって大きく強くなる。
しかし構成員のお互いを肌で感じられる以上に膨らんでしまうと、対等な関係を維持できなくなって内部暴力に発展する

交換と分配には食物・道具・特産物・土地財産・女男子供の奴隷・時間・技術・知識・まじないなどがあり、そこには自と他の区別がない一体の者達と他を意識して分散した者達がおり、損得がなく分け合う者達と奪い合う者達に別れる。
又、この意識が強くなるに従い贈与・貢ぎ・租税に伴った見返りとしての再配分などと
取引の姿も複雑になる。
見返りとしては福祉・治水・防衛・侵略・などの安全と繁栄を提示し、公共事業と軍事警察やパスポートなどの権利・権限・権威のお墨付きを与える。

人間の生活と自己発見に対する創造のための生産は、自然循環エコシステムを破壊することなく発展していく。しかし資本のための生産は純粋な意味での必要性を度外視することにつながって、競うための競いにおちいる。
ゴミを作りだしては処分するという不合理を生み、搾取の掛け算を始める。
労働を無駄にして資源と大地と大気と水を汚し住処である地球丸ごと破壊に追いやる。
自らの手で人間自体を教育によってロボット化してしまい、人々は宗教化した資本に恐怖を感じ無条件に支配されてしまう。勿論資本家自体も気づかないうちに資本の虜に成り下がっている

自然にとっても人間にとっても多様性が大切なのであって、地球上のシステムを強制的に一元化することは生きる環境を真空状態にしてしまうことになる。
この世に絶対の善なる一つの答えはなく、強いて言うならば無限の多様性が共生することで幸福を得る。
無限に異なる色があるからこそ、織りなす美が生まれハモル歓びを持てる。
一色に塗りつぶされた世界は光も影も失った掃きだめとなってしまう。
グローバリーゼーションとか多極化が一色化することではなく、多様性を引き出すものであれば矛盾のない発展となり得るのではないだろうか。

ギリシャの民主主義が奴隷によって成り立ったように、21世紀の民主主義は技術と意識の高さによって支えなければならない。
つまり誰の犠牲も借りることなく、自然循環の中で物質的争いなしに暮らせる準備が十分に整っているのだけれど、人間の心の方がまだ自律できておらず恐怖をぬぐえずにいる。そのため現状は未だに合法という暴力で管理と支配と搾取をし合っている。
その見返りに人のフンドシで福祉国家を装っている官僚という下層貴族も温存している。

共同体には頭とか手足という分担はあっても支配者はおらず、一体感による互助の原理が働き国家の形成や国王の誕生を必要としない。
敵を想定することによって国家が生まれるのであって、国家は共同体の内側から起こることはない。
道徳は「善と悪」による「従順又は精神と物欲」
意識は「美と醜」による「価値又は創造と破壊」
経済は「利と害」による「搾取又は安心と浪費」
政治は「友と敵」による「恩賞又は分配と侵略」
人間はこれらを左右することで社会を構成し、その体験によって自分を確かめることを目指しながら日々を過ごしている。

貨幣は商品との社会契約によって対等に成り立つものだとされている。
一度交換契約が公になると対等性が薄れ、一般に商品や労働力よりも選択肢が多い分優位に立つ。
つまり貨幣を持っている人は強い立場になり、共同社会での互助性による分配を上回る魔力を潜ませる。人々はその魔力と交換に、自由と対等な立場を手放してしまう。

守銭奴①の貨幣貯蓄家は使用権を保留する。
この守銭奴は無限に権利を保留し続ける禁欲家か無欲者だし、貨幣フェチズムに酔っているとも言える。
守銭奴②の金貸し屋は利息システムを作り、質権として貨幣をため消費の権利を貸すことで更なる利益を上げ続ける。この守銭奴は幾分合理的だが貨幣の本質を見失っている。
最もこのシステムは自然法則のエントロピーに逆らってもいる。
守銭奴③の商品資本家である商人は商品と貨幣の交換を転がして利益を上げる。
この守銭奴は合理的であると同時に、一攫千金を夢見て命を賭けて努力する冒険家でもある。
守銭奴④の金融資本家は政治を巻き込み不等価交換による利益をだまし取る政商である。この守銭奴は最もドライであると同時に姿を隠した弱虫で、ターゲットを絞り詐欺的合法を駆使して追い詰め搾り取る残忍な人非人である。

守銭奴は多かれ少なかれ人間の生きる目的と手段を取り違えて倒錯しているが、思い込みの激しい分一途で強く多勢を相手に分別なく挑む。
「無く子と地頭には勝てぬ」勢いで社会を振り回す。

オーマイニュース(日本版)より

この書籍のレビューだと書かないと何を言ってるのか意味不明です。

この書籍は未読ですが、諸々の書評をざっと眺めると現在の資本主義を脱して新たな価値観をもつ「世界政府」のようなものを実現しないといずれ破綻するだろう的な内容かと感じました。いずれ隙間時間にでも購読してみようかと思います。岩波の本だからたぶんマルクスとかその辺の思想をベースにした哲学書かなぁと。

共産主義はね、全人類を奴隷的な支配で管理したスーパーAIみたいなもののもとでしか成立しませんよ。そこに人類の自由なんて存在しません。そんなのわたしは遠慮したいかなw