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都会性と個性

引用元URL:http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000003243

教育基本法の基本的目標は?
U井 Y季
2006-11-19 10:45

大都会を造ってきた現代人は真のプライベートと自由をないがしろにして、表面的な自由らしさに甘んじようとしているように見える。
他人の個性を尊重することで生まれるプライベートではなく、自分の奥底にある秩序を無視して社会的価値観に追い付こうと焦っているのではないだろうか?
安易なアクセサリーをまとい、プライベートを維持しようとしているように見える。

これも長い目で見れば人類にとっての大切な体験に違いないのだと思うが、私の感情は早いこと自分を取り戻して欲しいと願わずにいられない。
不安や恐怖そして競いや争いは自分を見失って他人を分離し、その尊厳に気付かぬ振りをしてしまう心の弱さにあるのではないだろうか。
誇りは自分の真心を支えるものであって、外見を保つためのプライドとは違うはずだ。
自尊心は自分の持つ自分に対する秩序に命を吹き込み成長させていくことではないか。
この外見と内面のすり替えは複雑で一見似ているように見える。そのズレは見えにくく隠されていて気付かせずにまったく違う方向へと導こうとする。更に面白いことに人間は現状の言い訳に長け、その都合の悪くなった根拠に自ら蓋をしてしまいがちだ。
「臭いものには蓋」と諺でも言う。
知らない振りやら見えない振りが結局自分を無知にしてしまい、楽しみを苦しみに・信頼を疑いに・愛を憎しみに・豊かな心を有り余る物にすり替えてしまうことになる。
冒険も体験もしたいけれど、「一を知って十を知る」という勇気を持ちたい。
確かに「聞くは一時の恥」にすぎないし、その恥をさらけ出す勇気が信頼と愛と平和を醸し出すのだと思う。平和は守るものではなく育てるものだ。
都会性は個性を育ててもくれるが、多くの個性を密かに塗りつぶしてもいる。
どちらが勝ち組でも負け組でもかまわないけれど、媚のない自分発信の社会性つまり心の通じ合う秩序を育てられたらと願う。

この点においても、教育は最も肝心な要だと思う。
教育基本法に力を入れるのは良いけれども、その内容の根本を議論しなければならない。
芽生えを大事にするのか、型にはめるのかでまったく方向が変わってしまう。
型にはめて押さえつければ、都合で張った縄張りの中だけの平和を求めることになり、その外とは争いになる。争うことを善として武力で押し付けることになる。
しかも縄張りは入れ子の箱のように、幾重にもからまているものだ。
芽生えを大事にするならば、自分に信念を持った個性を育てることでお互いを尊重できる大きな人間を増やすことができる。
そもそも教育という言葉が尊大なのではないだろうか。人が人を育てる。人が人を裁く。
それは暴力でねじ伏せ、飴と鞭で管理すると言うことを意味するのではないか。
人が人にできることは自分を育て自分を管理することと、他人を自分のことと同じように見守ることではないのか。母の愛・父の愛はそうしたものではなかっただろうか。
全人類とそして大自然と家族のように親しめれば、お互いを許せるだろうし真っ正面から厳しく議論もできるだろう。
丁度自分の左手と右手がケンカをしないように、隣の人と付き合う方法を自ら学べるはずだと思う。
そうした自主的に学ぶ環境をととのえることこそが、教育?と言う仕事なのではないだろうか。人類の最も大事な仕事だと思う。
余談だが「教育」あらため「学育」としてはどうだろうか?

オーマイニュース(日本版)より

長い、前フリは不要、主語が大きい、例が例になっていない。結局言いたいことは

そうした自主的に学ぶ環境をととのえることこそが、教育?と言う仕事なのではないだろうか。人類の最も大事な仕事だと思う。

これでしょ? 現状(当時)でその環境が整っていない具体例をあげ、その環境を整えるために必要な法的根拠を改正予定(当時)の教育基本法に盛り込めと主張すればよろし。最終的にこの投稿を平野日出木編集次長(当時)が「ニュースのたね」どまりにしたのはたぶんそういうことだろうと思います。

公益社団法人日本パブリックリレーションズ協会
講師一覧:平野日出木

珍しく経歴に日本版オーマイニュースのことが触れられてます。鳥越俊太郎編集長(当時)、青木理副編集長(当時)は(削除)。平野日出木氏は現場の指揮官として非常に優秀な方でした。