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決断者

引用元URL:http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000002529

ヒトラー論
H嶋S次
2006-10-20 21:15

物事に対して”決断”を下す。背景には「不安」や「期待」が入り混じる。その上での自分が下す決断。”決断”する時、そこには何が起こっているのか?

「お前らは何をやっているんだ!!」「私が言ったことを何1つやりやしない!」「どいつもこいつも腰抜けの負け犬だ!!」
 ソ連軍が1キロ先まで来ている。何千ものソ連兵が周囲を囲んでいる。勝ち目がない。誰の目にもそれは映った。「私は絶対に降伏しない!」「二度も降伏するぐらいな死んだ方がましだ!」「勝てるんだ!南から攻めろ!!」
 必死だった。自分の命に代えても”勝利”へと導きたい!56歳のその男の背景には”勝利”とその先にある「ベルリンの神殿」の構想だけであった。

 ドイツ軍は忠誠を誓っていた。誰もがその方に対し”信義”を持っていた。時に指令が卑劣なもであろうと、時に残虐的なものであろうと、そこには”誓”があった。
 ソ連軍が数百メートル先まで迫っている。一報を耳にした司令部は、直ちに総統に知らせた。「私は降伏はしない!」「降伏は死を意味する。」そして、その時がきた・・・
 総統は一人の使いにこう言う。「私は命を絶つ。私の死体をソ連軍に渡らないよう死後、必ず燃やしてくれ!」奇しくもそれは"終わり”を意味していた・・・
指揮者がいなくなったこと、つまりそれは”降伏”への意味であった。

1945年5月7日、ドイツ降伏。ヒトラー56歳死去。

 自分が何かを決める時、そこには”信義”と情熱”、そして"決断力”が必要である。勇気だけの問題では決してない。その決断は時に"孤独”であり、そして莫大なエネルギーがいる。そんなケースでも構わない。大小も問わない。誰もがこの"決断”しながら余生を送っている。人は誰もが「決断者」であり、誰もがその決断を下す。時に喜びを覚えたり、時に身を縮める思いをする。”決断”をする。長所と短所が入り混じる。リスクを抱える。いい結果、悪い結果、勇気と忍耐・・・。言葉の羅列に終わりが無い。

 先に出したヒトラーは、自分の中でこう見つけた。「構想がある。私にはも目標がある。降伏こそが構想ではない。ベルリンの神殿こそが、私の”信義”である。」

 決断を下す時、忘れてはいけないのが「目標(構想)」に必要かどうかである。リスクと思うか否か、それは”先”を担えるかだ。”その先”があって、初めて決断が出る。

 教育には”先”がある。私の決断力もまた、そこから繋がっていくのである・・・。

オーマイニュース(日本版)より

映画の感想ならそう書かないと読者には伝わらないと思います。