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高校必修科目・履修漏れ問題の原因と対処

引用元URL:http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=0000000002797

入試科目・内容も再検討すべき
T中 T薫
2006-11-02 08:14

 高校必修科目の履修漏れ問題は全国で400校以上に及び、数万人に及ぶ高校生に影響をもたらす事態になっている。すでに補習などの対策を開始した学校もあるが、卒業式までに大量の補習授業を実施する必要がある高校も多く、対処に苦慮している事例も多い。茨城県内の高校で校長が自殺する事件も発生し、履修漏れ問題との関連が予想されている。

 まずは、現時点で問題に直面している生徒に対処することが急務であろう。伊吹文明文部科学大臣は補習を課す上限を70コマ(1コマは50分授業1回)とする方針を固め、これが是認される方向性が高い。

 しかし、今後はこの問題に関し抜本的な問題解決を図ることも必要である。すでに「“ゆとり教育の見直し”や教育基本法の改正といった問題と関連させて議論すべき」という意見が各方面から出されている。

 だが、この問題が起きた直接的な原因を見過ごしてはならない。すでに多方面で指摘されている事項だが、学習指導要領の内容と大学入試の出題科目・内容が大きくかい離していることである。

 例えば、学校側の不手際として「(地理歴史という科目において必修科目である)世界史の授業を実施していない」という点が問題視されている。しかしながら、入試において世界史を必修としている大学は少数派であるという。

 「世界史・日本史」または「世界史・地理」といった組み合わせで受験が必要となっている大学は、難関国立大学に限定される。さらに言えば、私立大学ではほとんどの大学で日本史を初めとする他の科目との選択制が設定されている。つまり世界史を学ばなくとも合格できる大学のほうが圧倒的に多数なのである。

 効率良く受験対策をしたい(させたい)というのは、特に大学進学の実績を重視する進学校の教員や生徒ほど強く願っている内容であろう。このような状況下で「高校で(実質的に)世界史の授業を実施しない」というのは、生徒と学校側にとって言わば利害関係が一致した事項なのだと言えるだろう。

 このような現場のニーズと学習指導要領とのすれ違いがなければ、高校側が虚偽のカリキュラム作成や報告をするという事例は多発しなかったであろう。特に、有名な進学校で必修科目の履修漏れがあったという報道があった。例えば、名門として名高い神戸市の名門私立・灘高校で、3年生全員の約220人に履修漏れがあったということだ。そうなってしまった事態の背景を考慮すべきである。

 当事者には気の毒だ。しかし今回の事件は、よりよい学習指導要領を考える1つの契機であろう。さらに、大学入試のあり方も再検討する良い機会である。

 すなわち、高校での学習科目や内容と大学入試の科目や内容を合致させるべきである。また、それらは大学で学ぶ学問の基礎となる内容にすべきであろう。「高校で学ぶべき学習内容は何なのか」「大学で学ぶ際に基礎として身につけるべき知識・技術は何か」「入試選抜はどのような観点で実施すべきなのか」……このように熟考すべき問題が山積している。

 「法学部の新入生が、憲法9条の内容を知らない」「経済学部の新入生が、マルクスやケインズといった経済学者の名前を知らない」。大学教員が毎年のように,こう嘆息しなくても済むようこれらの問題に対する構造的な見直しも必要ではなかろうかと思う。

オーマイニュース(日本版)より

この記事についたコメントは5件。

5 ゲオルゲ 11/03 14:52
機械的に講義を受けた者が履修したとはとても言えないでしょう。

4 00KATA 11/03 11:23
マスコミの報道において、教育、政治の場面のみ報ぜられて、一向に根本的対処が論ぜられないのは、奇怪である。二度と起こらないようにするには、刑事面からも迫る必要が在ろう。即ち、校長らは、公文書偽造行使の罪にとわれる可きが当然と思う。これ無くしては、再発は、一層巧妙なやり方で必ず起こる。

3 Tony 11/02 20:04
この国は、みんな誰が責任者で誰(個人)が責任を取って事件を収拾するかが問題になり、組織として指示命令関係で任務を負う現場も個人責任で責任を負わせることばかりに汲々として、組織は責任として、その責任のありかが問われずじまいで終わり、真の原因が何で、どのような改善をして、同じ失敗を繰り返さない方法は何かを追求し改善点を見つけ改善することをしません。必修科目未履修問題でも、大学受験生の負担軽減策だけに矮小化して、学校運営をすべき当局(文科省)の責任として、未履修になった真の原因とその対応は追及された形跡がないのです。特に文科省の責任は少子化社会になって、大学全入してもいい時代に、いまだに大学選抜入試制度を維持しているこに問題があるとみています。私は、大学入試制度を全廃すべきとも思っています。また、入試対応のための単位不足に学生救済のため措置で70時間補習とかで終わりでは何と言う大岡裁判なのか面喰うばかりです。必修科目の取得が学校責任にあるにしても、基本原則は単位取得こそが重要なのです。単位取得済の学生も多数いるのですから、取得されていない学生は後期入試として時期をずらし、秋季入学することを前提に高校必修単位を得て、卒業してから、大学入学の手続きする道もあったはずです。何で春季卒業、春季入学の学制年度でなければならないか、その理由がわかりません。こんな、お目こぼしをする必要性はないし、学校は学生に履修させてこそが学校なのですから、学校には履修されていない者を卒業させる権利はなく社会の害毒です。学生の保護者にはお気の毒ですが、学校を大学の予備校にした元凶は私たちの社会(保護者も含む)そのものです。学ぶべきは、失敗学会 会長の畑村洋太郎先生の著書にある通り原因はその背景にあるです。みんなで渡れれば怖くない赤信号の論理の未履修問題の解決策に異議ありです。

2 みずなす 11/02 10:25
もうひとこと

http://www.chunichi.co.jp/00/sei/20061102/mng_____sei_____001.shtml

「やらせ」までして民意を教育基本法の改定に導こうとする内閣府。
職員会議で教員に「挙手のような意思表示」をさせてはならないとする文化省。
「デモに行くような教員は免許剥奪」という発言をする中川昭一政調会長。
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/feature/news/20061023k0000m010115000c.html

基礎教育で、世界を知り政権に批判的な目を向けるような国民ではなく、盲目的な「愛国者」を育てようと、民主的教育基本法を変えてしまおうとする政府の姿勢が見え見えです。

1 みずなす 11/02 10:10
ひとことで言えば、正すべきは、受け入れる大学の入試に対する姿勢だと思います。
最後に書かれているような、「憲法9条の内容を知らない」「経済学者の名前を知らない」生徒をふるいにかけるべきでしょう。
高度な専門知識は大学に入って得ればよく、また、大学では「学ぶ」というより「研究する」ものなのですから、学生自身が深めていくでしょう。
高校までには基礎的な知識を一通り得ていなければならない。
大学側は、その観点での入試に改めるべきだと思います。


大学入学共通テストを受験した生徒さんはおつかれさまでした。本番はこれからなので体調管理をしっかりして気を引き締めていきましょう。

「生物基礎」で得点調整が行なわれるかもしれないという情報が出ていますが、類似した設問の正解率(偏差値)のデータの反映に出題者がミスったということなんでしょうね。受験生が公平に扱われることを期待します。


公平と言えば、

当選した議員さんの権力はデカいからねぇw 同じ議員さんじゃないと対抗は無理。

『幽遊白書』における魔界と人間界の間にはられた結界みたいなものでしょう。たぶん。抜け道があるところも同じ。

落選した候補者に対しては与野党にかかわらず容赦なく適用されているのが救いといったところですかね。