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彼女は死ぬまで女であり続けた

引用元URL:http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000003321

自分自身が望む女性像
N島 M津子
2006-11-24 08:48

【画像省略】
写真はイメージ

 祖母は90を越えて大往生で逝きました。戦後の時代を生き抜いた、明治生まれの気骨のある女性でした。世間が「女に学問など不要」という風潮のなか、また祖父の反対も押し切ってまで、「時代は変わる」と先見の明を持ち、娘にも息子にも学を究めることを望んだ女性でした。と同時に、和裁を趣味に持ち、一生を通じて縫い上げたものは数え切れません。今でも実家の納屋を占領しているのはその品々です。

 「手仕事をしていれば、脳の運動になって認知症にはなりにくいらしい」。こんな話を聞いたことがあったので、近所の人たちだけでなく私たち家族も誰一人として祖母が認知症を発症するとは想像もしていませんでした。

 「最近少し物忘れをするようになったな」。母が異変に気付いたのは祖母が82歳の時です。病院で診察を受け、「認知症ですね。お母さまの場合はアルツハイマー型ですので治る見込みはありません」(認知症には治るものもある)と診断されたのは6年後の88歳の時でした。

 当時は母も仕事に就いていたので十分な世話をすることが出来ないと予想し、診断を受けて間もなく祖母は施設に入所しました。週末の1日だけを家で過ごすことが時々ありました。

 これは入所後1年ほどたったころのエピソードです。

 週末退院のある日のことでした。母は薬局で老人用オムツを買ったあと、自家用車で祖母を迎えに行きました。車に乗り込む時、後部座席の窓のところに置いてあるオムツをチラッと見ましたが、祖母はその時は何も言わなかったそうです。

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写真はイメージ

 ところが車が走りだして30分後、自宅周辺まで来た途端、祖母は突然大声で怒鳴ったのです。「オムツを隠して。隠しなさい! 見られたら恥ずかしい」。母は最初わけが分からなかったのですが、車を停めて考えました。気が強い自分の母親の性格上、近所の人に「あの人も年をとったね」とうわさをされることがイヤなのかもしれないと思い直し、「何を言ってるの? 恥ずかしくないわよ。みんな年をとったら同じよー」と、なだめるつもりで答えました。

 その時、祖母はこうつぶやきました。「私は女だよ。オムツを使うなんて見られたら……」

 突然大声を上げることもありました。夜中に病室を徘徊することもありました。母の顔だけでなく、誰の顔を見ても、自分からは全く名前を思い出せなくなった最後の最後まで、オムツの取替えの時だけは、「自分でします。恥ずかしい」と祖母は繰り返し言い続けました。

 祖母が亡くなった後、当時の祖母のエピソードを聞かされ、彼女は死ぬまで「自分自身が望む女性像」であり続けようとしたのだと感じました。

 「認知症は症状の進行と共に人格さえ奪われ、発症前の姿など見るかげもなくなっていくものだから、子供をあやすように接したり、適当に会話をつなげておけばいい」と思っている方がいるかもしれません。

 しかし私にはどうしてもそうは思えません。「若い時に耳がとても良かった人は、寝たきりになっても周囲の人の会話は聞えているんですよ」と話してくれたお医者さんがいます。それと同じで、自分の世話をしてくれている人が誰だかも分からない、自分の子供も認識出来ない、そこまで症状が進んだとしても、人は最期まで人格を手放すことはないのではないでしょうか。

オーマイニュース(日本版)より

※引用文中【画像省略】は筆者が附記


この記事についたコメントは20件。

20 Tony 12/03 01:42
「介護施設の現実の悲喜こもごも
ああ、世の中に、なんと、自分の肉親を後ろ髪惹かれる思いで介護施設の入所させている者の多いことか・・・。」

この意味は、私の例は義母ですが、現実は致し方ないのですが、できれば、我が家で最期まで看取りたい気持ちで一杯ですが。現実の世界との対比です。それぞれ家庭でもそれぞれなのかな。

「私も確かに、心ない施設や介護者がある現実も知っております。また、わが肉親の生き様から出てくることばより、施設側の方が困る現実があって、」

既に亡くなった義父の場合、介護施設でかなり衰弱して、びっくりして他の施設に移設して、元気取り戻した経験もあるですが、現実にはどのようになっていたか家族としては不明でしたが、何となく気懸かりときがありました。

19 じぇじぇ 12/02 04:50
>17 T橋さん
>自分の親の人格も最後まで大事にしてあげたいと思います。
そのお気持ち、大事にしてください。

(私信返し)
①ならば「放任主義」の意味するところが分かりますね。
②ところでAとB、どちらが強いですか?
 >占いとか興味ないので
 私も同じですが、これは私がよく聞かれることなので
 聞いてみたくなっただけです ^^;

18 じぇじぇ 12/02 04:42
>16 うしきさん
>Tonyさんが思われているように、「心無い施設と介護者」が多く施設に預けるのは嫌だ。という考えが世の中に広がっているのは大変残念です。

たぶん……(少なくとも)Tonyさんは「嫌だ」とは思ってないと思います。「申し訳無い」という気持ちでおられる、ということではないでしょうか。ただやはり私もそういう意見は耳にしたことがあります。でも祖母がお世話になった所は、とても良いスタッフが多かったので、「イメージだけで『嫌だ』というふうに捉えている人たちがいる」ということは、うしきさん同様に残念だなという思いです。

どうしても当事者でなければ見えてこない世界でもあるので、

>現場に人が入る(面会や見学が増える)ことで、施設スタッフの資質向上にもつながると思います。

というご意見にも賛成の思いです。

17 T橋A哉: 12/01 03:42
今頃の書き込みすみません。
ご自分の母上をボケ呼ばわりした挙句に嘘吐いて騙している田口さんに、是非とも読んでもらいたい素敵な記事です。
自分の親の人格も最後まで大事にしてあげたいと思います。
そして、私も最後まで人格を手放したくないと思います。

私信ですが。(^_^;
私も魚座のABです。丙午ですが。
占いとか興味ないので、それがナンなのか判りません。
勝手に親近感ですみません。

>16;うしきさん
全面的に賛成です。

>14;Tonyさん
私がこの世に生を受けた時、父母、祖母が小さな家で二世帯暮らしをしていた為、ポリオで四肢障害の叔父が施設に行きました。
「だから何ですか?」と聞かれても、そういう現実も有ると言う事です。

16 うしき@篠ノ井 11/26 05:38
介護分野への就職を目指すものとして、記事大変興味深く読みました。
コメント欄での議論で気になっていることを一つ。
>2 私がヘルパーの実習に入った施設では認知症の女性が入所者から「ばばあに負けるな」といった言葉でいじめられている場面を見ました。その女性が認知症の症状が出て私がその女性の扱いに困ってるときの話です。

 いじめているのは施設スタッフではなくて入所仲間の利用者さんですね。また、この方の祖母が入所している施設でいじめられているように感じたというのは憶測の域を出ない話ですね。Tonyさんが思われているように、「心無い施設と介護者」が多く施設に預けるのは嫌だ。という考えが世の中に広がっているのは大変残念です。
 利用者さん(入居者)の人権と生命の尊重をするのは介護施設・介護スタッフの鉄則です。勤務の厳しさ、待遇の悪さなどの要因で一部に問題とされる施設はあるかもしれませんが、オムツ換えも、入浴のお手伝いも、床ずれ予防も、食事を食べてもらうことも、看護の心なしにはできないことです。
 私が施設実習で気になったことは、入所させた後ろめたさからか、ご家族の面会が少ないということです。お盆、お正月など引き取れると思うようなシーズンでも多くの利用者さんが施設に残られているそうです。(かえってショートステイ利用など増えるとのこと)
 施設を利用することは恥ずべきことではないし、かえって自宅より清潔・快適・安全な管理の下で介護の一番しんどい部分(排泄交換・入浴・夜間管理)をして、アメニティーの部分をご家族が余裕をもって担う。という役割分担がなされると良いのにと心から思います。
 良い施設の介護の実際をもっと知って頂きたいです。また現場に人が入る(面会や見学が増える)ことで、施設スタッフの資質向上にもつながると思います。

15 IT夫 11/25 21:41
#ととと記事への感謝がまだでした…

別所でもコメントしましたが
認知症はすべての人の問題ですよね…

それにしても
やはり人は相手からどのように扱われるかで
相手のことがかなりの程度分かってしまう
これは認知症の方であってもなくても変わりなく

だから人は誰でも幾つになっても
尊厳をもって扱われるべきという

#親子の愛情のことを考えていたら
 脈絡なく花餃子の話を思い出しました…
 http://61.145.69.8:8080/was40/print?record=2976&channelid=18730&back=-1

14 Tony 11/25 12:15
>12 N島 さんへ
ご返事ありがとうございます。
感涙・・・。

介護施設の現実の悲喜こもごも
ああ、世の中に、なんと、自分の肉親を後ろ髪惹かれる思いで介護施設の入所させている者の多いことか・・・。誰も、肉親を施設に本当に入所させるなど・・・、しかし、それがないとどうにもならない現実があるのです。

私も確かに、心ない施設や介護者がある現実も知っております。また、わが肉親の生き様から出てくることばより、施設側の方が困る現実があって、酷いことばや酷いことすることもあるのかなあ、と思い堪える入所利用者の現実があります。ほんとに、「ばばあ・・・」では、溜息ですよね。

12 じぇじぇ 11/25 07:49
>2 この世は仮の世(elcantare)さん
>「ばばあに負けるな」といった言葉でいじめられている場面を見ました。その女性が認知症の症状が出て私がその女性の扱いに困ってるときの話です。
それにしてもこれは乱暴ですね。いただいたコメントを、もう一度読み直して、つくづくそう思いました。そういう状況でなくとも「ばばあ」という言葉は聞いていて不愉快な言葉だと思います。ご自身のお祖母さまがいじめられてる現場は見てないということですが、それは何よりです。なんだか溜息が出てしまう現実ですね。

>10 Tonyさん
>そのうち、打ち解けて、ニコニコ顔も返ってきたりするのです。
Tonyさんと奥様、お母様の情景が浮かび、生前、祖母が施設にいた頃(頻繁に会いに行くことは出来なかった私ですが)行った時の自分と祖母、そして他家族との笑顔の時間をまた色々と思い出してしまいました。

>お義母さん、少しでも元気で長生きして欲しい、と願うのみです。
いただいたコメントからも十分その思いは伝わりましたから、たぶんTonyさん自身の笑顔から、そういうお気持ちはお義母さまにも伝わっていると思います。

10 Tony 11/24 21:07
記者さま へ
感情マ-クは、ご逝去されたお祖母さまへの家族の敬愛の念に対して。合掌。
そうです。私の妻の母(89歳)も介護施設に入所しています。施設に顔を出すと、話の内容や遣り取りがチンプンカンプンなのですが、入所していることの、悔しさなのか、「私は死にたい」、「連れて帰って」など、と漏らします。だが、よもやま話をしたり、ぼくが強く手を握ったりして上げたりすると、そのうち、打ち解けて、ニコニコ顔も返ってきたりするのです。妻に言わせる、と母親は、すごく勝気でよくがんばる母だった、とのことです。ボケが始まった義母であっても、ときどき顔を見せることで、少しでも、長生きと気が安らぐ時間があれば、と思う日々なのです。いずれは、私たち夫婦も同じことになるのか、と帰り道の会話も幾度あったことか。しかし、今の介護施設はいい施設のですが、介護費用も大変、面倒も大変のこの時代です。ただゝ、お義母さん、少しでも元気で長生きして欲しい、と願うのみです。

9 Mint 11/24 19:38
この記事を見て昔のテレビドラマを思い出しました。
題名は「それぞれの秋」だったかなぁ。
木下恵介(字が違うかな)さんが監督だった気がする。

小林桂樹(これまた字に自信が無い)さんが脳腫瘍で性格が変わっていくのですが、家族それぞれがそれを受けて家族、家庭との関わりが変わっていくのです。
脳腫瘍と解った時に手術を受けてお父さんは回復するのですが、最終回で家族それぞれ、たしか2男1女、がお父さんが脳腫瘍で性格変わってしまって、自分は父親を中心にした「家族」を何故離れてしまったかを懺悔(今流に言うとカミングアウト)するんです。
家族全員が話した後で、お母さん役の久我美子(これまた字に自信が無い)さんが「お母さんは言わない。お母さんは自分の心にしまっておく。だって、また家族に戻ったんじゃない」
って言います。

当時、高校生だったかなぁ。家族ってのを教えられました。

あと、筑豊の炭鉱から北海道の根釧原野に移住する賠償千恵子さんが出ていた映画「家族」も好きです。あの、人類の進歩と調和がスローガンの大阪万博の時代、家族は絆を持って生きていくってテ-マ性がありました。これも木下恵介さんだったっけ?

笠地衆(これまた漢字に自信が無い)さんが、根釧原野に辿り付いた日に亡くなるのは「家族」がたどり着いたって安心感なんでしょうね。

「家族」大事にしてます>みなさん

8 マツ 11/24 19:28
勉強になりました。
そして、最期まで抗い続けた彼女を尊敬します。
とても良い記事でした。素直にそう思います。
ありがとうございました。

6 じぇじぇ 11/24 18:05
>この世は仮の世(elcantare)さん
治るものと治らないもの これについてはインターネットでも多くの資料が出ているようですので、探してみてください。(なにせ大量にあるので全て貼り付け出来ません。^^; すみません)

認知症=「人」ではない

ここまで言い切る人はいないとは思いますが、人の命、人間性(その人らしさ)は最期まで尊厳されるべきだという個人的主観から、蔑視的な表現に近い、偏った見方は避けるべきだという思いがあるため、この記事を書かせていただきました。

ちなみに「私の物忘れも…」とか「家族のこと心配」という思いのかた、こういう相談室も見つけましたのでご利用してみてはどうでしょう。(但し登録制のようです……)http://www.chihou.net/soudan/bbs/index.html


最後に私信で申し訳ない↓
>石さん
まだ大丈夫ですよね、ね、ね?6

5 IT夫 11/24 15:55
●本人により、コメント欄を通してエールが送信されました。

4 じぇじぇ 11/24 14:07
コメントありがとうございます。
今もう一度読み返して、自分でも「おかしな」表現ありますね。
あ、間違ったと自分で思うところは

1行目:戦後の時代を生き抜いた⇒戦時下を生き抜いた
最終行:人格を⇒「プライド」を

意味合いとして表現したかったのは、こっちですね。失礼いたしました。

3 新緑 11/24 12:21
おっしゃるとおりで認知症になっても羞恥心がなくなることはありません。
しかし、一般の認知症に対する認識不足や効率重視の施設運営の中では認知症の方の心の内を推し量ることが疎かになっていると思いますが、長島さんように体験の中で認知症に対する認識が変わったことは嬉しく思います。

『下の世話』を受けるかどうかというのは人としての尊厳、自尊心に係わる大きな問題であり、対処の仕方によっては痴呆が悪化してしまう場合すらあります。
自立した排泄を促す事により痴呆の改善が見られることは判っていても、現実的には家族も施設でもオムツをして貰った方が楽なんですよね。本人が諦めていないのに、周りが諦めさせているのが現状ではないでしょうか。
安易なオムツの後ろには様々な福祉行政の問題が潜んでいます。

>この世は仮の世さんへ
アルツハイマーではないから治るということではなく、治る可能性があるという事だと思います。何らかの血管障害からの脳虚血で認知症の症状が出る場合もありますので、その場合は治る可能性があるということではないでしょうか。

2 この世は仮の世 11/24 09:24
この間は私の記事に一言コメントしていただきありがとうございました。
治る認知症と治らない認知症があるとは思いませんでした。
認知症は治らないと思ってましたがアルツハイマーでなければ治るんですね
私の祖母には学習療法がいいと思いましたが
学習療法をしているところは少なく
認知症の人に優しくしている施設は少ないように感じました。
認知症に対応している施設は少なく認知症の人は職員からも
いじめられているように感じました。
家族が来ているときだけは優しく接しているようですが
私の祖母がいじめられてる現場は見てないんですが何となくそう感じました。
私がヘルパーの実習に入った施設では
認知症の女性が入所者から「ばばあに負けるな」といった言葉でいじめられている場面を見ました。その女性が認知症の症状が出て私がその女性の扱いに困ってるときの話です。

1 Mint 11/24 09:24
「女」の部分を「人間」に替えると解りやすいかも。

人間の尊厳は介護には必須の条件です。
「煩わしい患者」と思った瞬間に相手は人間ではなくて物体になってしまいます。そして、介護の精神が薄れていきます。

>人は最期まで人格を手放すことはないのではないでしょうか。
滑稽な表現ですね。
疑問に思うのでは無くて、当然人間には人格を手放すなんて行為は出来ません。法的には死ぬと人権がなくなりますが、人格はたぶん永遠に無くならないでしょう(こうして、子孫が書いてるのですから)


親が介護施設に入所することで家族の負担が大幅に軽減されるという点は記しておきます。認知症を発症した寝たきりの高齢者の介護を自宅で行なうのは最低1人がつきっきりでいなければ成り立ちません。ヘルパーさんに来て助けてもらいながらでも相当大変です。寝たきりでもかんしゃくをおこして暴れて家具とかコップとか壊しますよ?

それぞれの家族の事情はあるでしょうが、介護する家族が潰れる前に介護施設への入所を勧めます。