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なぜいま「食育」か?

引用元URL:http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=0000000002647

~日本人の医療と健康はどこに向かっているのか~
三田 典玄
2006-10-25 11:39

最近「メタボリックシンドローム」「介護予防」「食育」という話を多く聞くようになった。一方で、あまり大きく報道されていないが、介護保険に関する法律などに、重要な改正がされていることは、あまり知られていない。そこで、この記事では、政府が日本人の医療と健康について、どのように考えているのか?ということを、政府発表の資料から探ってみることにした。

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2006年4月の介護保険法改正は、要するに福祉の切捨て、医療への国庫補助や保険金などの大幅な削減を目的としたものだった。つまり、このままでは医療保険制度の破綻が見えているので、医療保険を払わない方向で、国は動き始めた、ということだ。その「受け皿」となるのが、厚生労働省が推進する「健康フロンティア戦略」、15歳までの児童を対象とした「健やか親子21」、65歳以上を対象とした「ゴールドプラン21」、「働き盛りの健康安心プラン」、「介護予防10カ年戦略」などだ。さらに、女性のガンのみを対象とした「女性のガン緊急対策」なども、「健康」をキーワードとすれば、この施策に入るものだろう。実際、先進諸外国では例外的に、日本では女性のガンが増え続けている。

ところで、「健康フロンティア戦略」とそれに関係する制度やキャンペーンの目標は、「これからの10年間で健康寿命を平均で2年伸ばす」ということだ。厚生労働省の発表している資料によれば、日本人の平均寿命は諸外国にくらべかなり高いのだが、男女ともに死ぬ前の7年間は介護を受けなければ生きていけない状況にある、ということがわかる。また、近年、国民の医療費に占める老人医療費の割合は、年率8%という速度で増え続けており、それは要介護制度認定者数の推移からも読み取れる。そのため、諸費用あわせ、2000年から2005年のあいだに、介護保険支出の総費用は、年率13.5%という増加を見せている。これは現在の経済成長率よりも当然のごとく高い。ちなみに、2005年度の介護保険の総費用は6.7兆円である。

つまり、少子化による保険料の支払い人口の減少とあわせ、このままでは、医療保険は破綻するのは目に見えている。これは、ニュースや健康番組で報道されている通りである。

そこで、この介護保険制度の適用を受けるに至った疾病を調べてみると、介護度が高いほど、「脳卒中が原因で介護を受けることになった」という場合が多いということがわかる。厚生労働省の「国民生活基礎調査」の2001年度版を見ると、その割合は43%にものぼる。つまり、高血圧などの「生活習慣病」と言われる一連の疾病が、より重要度の高い介護を受ける主原因となっている。

簡単に言えば、日本人の生活習慣病を克服することは、そのまま国の医療保険制度への負担を劇的に少なくすることにつながる。そのため、医療に対する保険の適用範囲を限り、補助率を下げ、医療費を高く設定し、疾病になっても医療にかかれない、という「ムチ」を用意するとともに「アメ」として、「生活習慣病」を克服して、「死ぬ直前まで医療にかからなくていい健康な」状況を作り、保険料の支出を抑えたい、というのが、政府の思惑である、ということがわかる。たしかに、死ぬ直前まで健康でいられる、ということは、保険料の問題を抜きにしても、個人レベルでは喜ばしいことではある。これらのことをまとめて「介護予防」と呼んでいる、というわけだ。

ところで、生活習慣病にかからないようにするには、なによりも「食事」を気をつけることだ、と、よく言われている。なぜかと言うと、「食」と「運動」は、人間にとってエネルギーその他の具体的な「入力」と「出力」、ということになるけれども、現代人、特に都市生活者の多くは体を使うことがあまりないし、運動する時間なども制約を受けることが多いため、「出力」である「運動」の制御はままならないが、「入力」である食事の制御はなんとかなるだろう、ということがあるのだ。

つまり、「食事を調節し生活習慣病を克服することは、個人にも良い人生を送れる基礎を作り、国のサイフにもやさしい」ということになる。そこで、前述のようなキャンペーンや法律の整備がなされ、それがこの2006年の4月に、一斉に改正になった。そして、その中心となるのが「食」である以上、「食育」ということになったわけだ。

ところで、「食べる」ものは、厚生労働省の管轄ではない。農産物その他をぼくらは食べるわけだから、それは当然のごとく「農林水産省」の管轄になる。さらに、医療では「医者」がその役割の中心を担ってきたが、「食」「栄養」となれば、その中心を担う役割を持つ国家資格といえば「管理栄養士」ということになる。しかし、医療中心の時代では、医者が多くの人の命を預かる責任を負ってきたのだが、今度はそれを管理栄養士が必然的にそのいくぶんかを持つことになる。しかしながら「管理栄養士」の資格は、現在「花嫁修行」的な資格であり、言ってみれば、現状は医師の資格に比べて取得も簡単な、かなり「軽い」資格なのだ。

そのため、個人の健康管理、という視点から考えれば、今いる管理栄養士のしてきた勉強の内容はその資格を持っている管理栄養士でさえ、忘れてしまったりしていることが多い。 また、栄養学も年々進歩しており、本格的に取り組むには不断の勉強を強いられる学問でもあるため、「花嫁修業」の範囲をあきらかに超えた勉強も必要になる。さらに、現状の医療と栄養士の連携も過去以上に必要になってくるから、栄養士は医療知識も多少は持っていなくてはならず、「管理栄養士」という資格にのしかかる責任の重さが、いっそう重いものになることは言うまでもない。言い換えれば、日本人の多くの人の「いのち」の担い手の中心を「医療」から「食育」に移動させた、というのが、今回の法改正のいちばんの要である。

そのため、この4月の介護保険法の改正など一連の法改正は、前述の趣旨によって進められている。しかし、これらの動きに対応した地方自治体などの行政の動きも、また、予算の削減を大幅に強いられる中、一向に進まないどころか、 認知さえないところもある、という状態だ。たとえば、介護と医療の連携の強化なども重要な今回の法改正の目玉であるにもかかわらず、その認知が一向に進んでいない。また、今回の法改正で重要な役目を負うようになった「管理栄養士」への再教育なども、一向に進まない。今でも、管理栄養士の多くは、まさか自分が国から「日本人のいのち」という大きな責任の一部でも、負わされるうようになった、とは夢にも思っていない人が多いだろう。

また、今回の法改正では「医療過誤」と同様に、起きるかも知れない「食育の失敗」の責任は、当然のことながら、ほとんど銘記されていない。しかしながら、今後の成り行きによっては、これが訴訟などの事件として取り上げられることさえ、あるかも知れない。

日本は「小さな政府」を目指した結果の1つとして、2006年の4月に、医療というカネのかかる「お荷物」を、静かに降ろし、「食育」という名前で「病気になるのはおまえが悪いのだ」とばかりに、国民自身にその責任を転嫁した、という言い方もできるだろう。たしかに健康管理は自分の責任であることは確かだ。大義名分は立っている。しかし、いつでも安心してさまざまな医療が受けられる、というこの「安心感」が失われた、ということは、私たちの生活にとって、かなり大きなものであることは、論を待たない。「誰もが安心して受けられる医療」は重要な国家のインフラの1つである、という認識と、そのインフラへの国家の投資は、やはり必要なものなのではないだろうか?

オーマイニュース(日本版)より

面白い投稿だと思いますが、なぜにニュースのたね止まりなんでしょうかね。手が回らなかったから長文投稿は放り出したかな。

通勤通学の行き帰りや仕事中の移動など「歩く」という基本的な運動をおろそかにしたまま毎日の運動をしないで過ごすと、目に見える形で足腰が弱くなっていきます。特に高齢者は足の筋肉が削げて棒みたいな脚になってしまいますね。自分の脚で移動できることは健康な生活をおくるための基本ですから(どこかの乳製品企業ではありませんが)健康貯金はこつこつと貯めておきたいものです。