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【映画】『ダーウィンの悪夢』の監督が来日

引用元URL:http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000003129

淡々とした語り口に秘められた真実
O倉 T之
2006-11-17 07:53

【画像省略】
記者会見より(ビターズ・エンド提供)

 映画『ダーウィンの悪夢』が12月23日からシネマライズ(東京・渋谷)で公開されるのを前に、フーベルト・ザウパー監督が今月上旬、来日し、記者会見とシンポジウムが東京都内で開かれた。その模様をお伝えする。なお、ザウパー監督は6カ国語を操るが、今回は通訳を介してフランス語で話した。

 外来魚の放流によるヴィクトリア湖の生態系の破壊、沿岸の町の荒廃を描いたこの映画は、舞台となったタンザニアの政府にとっては不都合な映画である。世界に向かって見せたくはない部分がたくさん描き出されているからだ。実際、ザウパー監督とこの映画に抗議する官製デモまで組織されたという。

 「デモに動員されたのは、おそらく映画を見てもおらず、私のことを知りもしない人々だろう」。監督はそう言った上で「一番見てもらいたかったというタンザニアの人々のうち、この映画を見たのはほんのひと握りだろう」と推測した。大統領は映画を公然と批判し、不衛生な現場をきれいに清掃させたあとで「あの映画にはうそが含まれている」とまで話しているという。

 一方で監督は淡々と事実を語るだけである。社会問題を鋭くえぐり出してはいるが、熱く語るわけではない。その静かな話しぶりは、あくまで事実を淡々と描写する映画とちょうど符合していた。

 監督は、アフリカについて、何も新しいことを披露しているわけではないと言う。「すでに知られていることを、映画という手法によって描いただけだ」と謙虚な姿勢を保ちつつ、「世界に向かってメッセージを発信するすべを持たない人たちにとっては、自分たちの声なき声を伝える機会になったのではないか」とも語った。この声は、政府にとっては不都合な声だ。政府としては、声なき民のままの方がいいのである。

 監督を交えたシンポジウムにおいて、アフリカ事情に詳しい日本人パネリストは「このような悲劇的な光景は、国家が“公的サービス”を提供すべきものとして機能していないから起きている」と指摘した。社会的弱者を救済し、最低限の福祉を保障するのは、本来、国が行なうことである。それが出来ていないところに、アフリカの悲惨さがある。政府の役人が腐敗し、開発援助などの利権に群がるありさまは、国家としての体裁をなしていないというのだ。ただし、かつてアフリカを植民地支配し、国家としての機能をそこなったのも、ヨーロッパ諸国にほかならないだろう。

 ザウパー監督は、この映画に絶望ではなく“希望”を見出してほしいと言う。しかし、試写を見た記者としては、それはとても困難な作業だと感じざるを得ない。どうやれば、ストリートチルドレンたちの前途に希望を見出せるだろうか?

 監督の言うように、このような過酷な現実があることを、まずは映画を通して共有することだ。そして、みんなの気持ちがひとつになれば、そこから何かが始まるかもしれない。せめて希望を見出すとすれば、ここにあるのではないだろうか。


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オーマイニュース(日本版)より

※引用文中【画像省略】は筆者が附記


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どんな社会問題も知ることから始まるというのはあるでしょう。様々な問題があるにしても、それを多くの人に知らせることができるのは現実にそくして考えるとやっぱり声の大きい人が言ってることになると思います。

声の大きい人の言ってることが正しいなら問題ないですが、(削除)。結局自分の頭で考えて判断しないといけないという点は変わらないかの。