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コンピューターゲームの特徴(妙)

引用元URL:http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000000296

記者名 I曽根 K一

一.多くのコンピューターゲームの特徴として、まず、追体験や参照が困難なことが挙げられる。例えば、本の場合、参考文献に書いてある本を読もうと思えば、買うことさえできれば、比較的容易に、その本を参照することが可能である。また、映画を参照しようとする場合、レンタルヴィデオ屋でヴィデオかDVDを借りて見れば、長くても三・四時間でその映画を見ることが可能である。しかし、コンピューターゲームの場合、その内容を参照しようとすると、何十時間かかることもありうる。つまり、接近可能性が狭い。この意味で、コンピューターゲームは、参照する素材となることが、少ないと考えられる。それは、コンピューターゲームが比較的閉じた関係性の中で消費されがちであることを意味している。つまり、コンピューターゲームをする人間は、その内容に関して、人に話したりすることも少なく、自分で内容を反芻することも少なく、非常に限られた範囲で、享受することになりがちである。その意味で、コンピューターゲームをするという行為は、とても孤独なものである。

二.参照性の困難に続くもう一つの特徴として、多くのコンピューターゲームは厳格なルールに縛られているということができる。このルールの厳格性によって、参照の困難性が規定されているという関係も考えられる。

三.一と二を合わせて考えると、多くのコンピューターゲームは、内容を享受するのに、時間がかかるといえる。例えば、本なら、どんなに理解しがたい本でも、最後のページまでめくる事は可能である。字面だけを追う事も可能である。つまり、たとえその内容を理解できなくとも、一応、「読み終える」ことは可能である。それに伴う達成感を味わうことも可能である。映画の場合も、たとえ、内容が理解できなくても、三・四時間見続けていれば、終わりは来る。つまり、一応、「見終わる」事は可能である。それに伴う達成感も、本を読んだ場合と同様に、あると思われる。しかし、多くのコンピューターゲームの場合、ある場面から先に進めることができなければ、最後までたどり着くことはできず、その場合、ゲームを「やり終える」ことはできない。どこかで、つまってしまえば、「やり終える」ことはできず、「やり終えた」ことから来る達成感を得ることもできない。その意味で、多くのコンピューターゲームの内容は、狭い解釈しか与えられない傾向がある。本や映画の場合、たとえ誤読が含まれていたとしても、内容に対して、多様な解釈が可能である。しかし、コンピューターゲームの場合、そのルールの厳格性と「やり終える」ことの困難性と参照の困難性から、多様な解釈を多くの人が共有するのは、困難であると考えられる。この考えに、一で考えた、コンピューターゲームをするという行為は、孤独なものであるという考え方をあわせると、多くのコンピューターゲームの特徴は、次のようにも言い表すことができるだろう。つまり、多くのコンピューターゲームとは、「やり終える」のに時間がかかることや、ルールの厳格性ゆえに、参照とされることが少なく、また、内容に対する解釈も多様とは言えないものになりがちである。その結果、コンピューターゲームをすることは一種の「苦行」のように感じられることがある。このことは、すでに、えのきどいちろう氏が「Vジャンプ」における連載で指摘していたことである。
2006-08-29 20:38

ニュースのたね記事です。記述を簡略化するため掲載日時は省略します。

日本版オーマイニュース創刊の頃で言えばラグナロクオンラインが脂の乗った頃であり、モンスターハンターフロンティアがリリースされる直前といったところでしょうか。YouTubeでは今でもコンピュータゲームのプレイ動画やライブ配信が人気コンテンツの一角を占めています。

いろんなバグ技(最近ではグリッチと言うらしいです)を楽しむマニアックな遊び方もあり、特定の分野のゲームではサービス終了までその世界をずっと楽しむ方が大勢いらっしゃることも珍しくありませんでした。

笑顔になれる楽しいコンピュータゲームに出会えると良いですね。