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国旗・国家に敬意を表さない自由

引用元URL:http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=0000000002660

―それもまた美しい日本の伝統
T田 S作
2006-10-25 23:42

日の丸を国旗とし、君が代を国家とする―。
 ただこれだけのことを定めた法律のもとに、教育の現場で教師や生徒の信条の自由が脅かされている。
 昨今、裁判所で教育現場における国旗・国家の強制は違憲との判決が出た。筆者はこの判決を肯定的に評価している。しかし、ここで取り上げたいのはこの判決を受けての小泉元総理のコメントである。
「国旗・国家に敬意を払うのは、人として当然なのではないか―」
 小泉元総理のこの発言を受けて、多くの人が同じことを述べている。曰く、国旗・国家に敬意を表するのは諸外国では当然なのだから、日本でもそうあるべきではないか。自国の国旗・国家に敬意を表さないのに、外国の国旗・国家に敬意を表することができるか。国旗・国家に敬意を表することにより、国際理解と友好親善の精神が涵養される……。
 筆者は逆に、国旗・国家に敬意を表さない自由があるからこそ、国際理解と友好親善の精神の涵養にとって重要だと考える。
 この国に国旗・国家に敬意を表したくないと考えている人が少なからずいるのは事実である。そのような少数者の信条の自由を尊重して、式典などで国旗・国家の強制がなされないのは、多様化価値観が共存しているという意味で素晴らしいことではないだろうか。また、国旗・国家への敬意とその国の文化や習慣への敬意は別のものではないだろうか。自国や他国の文化や習慣を理解し、それらを尊重することが重要であり、国旗・国家に敬意を払うことは副次的なことでしかないだろう。むしろ筆者としては、国旗・国家を国家権力の象徴と考えているので、自国であれ他国であれ国旗・国家に敬意を表することに抵抗を感じてしまう。
 こういう反論をする人もいるだろう。国旗・国家に敬意を表する習慣のない日本の若者が外国に行った場合、そのことで恥をかくのではないか、と。しかし、外国の習慣を知らないために恥をかくのは、国歌・国家への敬意以外に、いくらでもあるではないか。
 逆に、日本に来た外国人が自国の国旗・国歌に敬意を表さない一部の日本人を不快に思うかもしれない、という懸念があるかもしれない。筆者なら、その外国人にこう説明するだろう。この国は昔、侵略戦争をした歴史があり、そのために国民も大変な苦労をしました。それらのことを忘れてはいけないと考えている人々は、その意志を示すために、自国の国旗・国歌に敬意を表さないのです、と。それで相手がどう思うかはその人次第である。また、単に「日本は伝統文化や芸術が美しい。先端技術が素晴らしい」というステレオタイプじみた日本観を超えて、日本社会の微妙な問題についての理解を深めることは、その人にとっても有益ではないだろうか。
 教育基本法の改正案には「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」とあるが、他国を尊重すると同時に自国にいる少数者の信条の自由も尊重するべきであり、国旗・国家に敬意を表さない自由が尊重されることもまた、尊重されるべき日本の文化ではないだろうか。

オーマイニュース(日本版)より

心の中で思うのは自由です。

国旗を燃やす方々に共通しているのは消火器やらバケツに入った水を用意していないことです。国旗を燃やした火が他へ延焼しても構わないというテロリストと同じ考え方をした人ということですね。

今後も国旗(日の丸に限らず)を燃やす人は出てくるでしょう。予言してもよいですが、彼らは消火器やら水の入ったバケツは用意しませんよw