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事前にご確認を!!

引用元URL:http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000002042

凱旋門賞にみるディープインパクトの熱狂を見て
Y田 H
2006-10-03 15:52

「第85回 凱旋門賞」(2400メートル芝)が現地時間1日、フランス・ロンシャン競馬場で行われました。

残念ながらご存知のように、武豊とのコンビで世界一へ挑戦した日本馬ディープインパクトは、およそ4分の3馬身差の3着に敗れました。競馬ファン以外の人も注目したこのレース。競馬にはあまり関心がないので詳しいことはわかりませんが、それだけディープインパクトの注目度が高いという証拠でしょうね。

その「凱旋門賞」は1920年に第一次世界大戦後の復興を願って誕生した国際レースで、世界中のホースマンが憧れる由緒あるレースのようです。
馬の速さを競わせること自体は有史以前、馬が家畜化された頃から行われていたと考えられ、映画『ベン・ハー』に見られるような戦車を引いた競争がローマ帝国の時代から行われていたことが伺われます。
現在のような、ルールにのっとった競走(近代競馬)は16世紀のイギリスに始まったとされ、19世紀には競馬場は英国上流階級の社交場となり、競馬場に現れた下町娘(オードリー・ヘップバーン)が一転して立派なレディに生まれ変わって人々を魅了する姿を描いた映画『マイ・フェア・レディ』でその様子を伺い知ることは出来ます。
競馬は単なるスポーツやギャンブルとしてではなく、音楽、文学、絵画、彫刻などの創作活動の主題として取り上げられたりもしています。立派な文化を形成していると言えるでしょう。


さて、各種ニュースなどでも凱旋門賞の様子は伝えられ、正装する姿が映し出されていました。比較的若い方々がタキシードやドレスを着こなし、シャンパンで乾杯する姿なども目にしました。時には正装して、歴史や伝統に触れる。そんなきっかけとして凱旋門賞を楽しみにしている人も多いのかもしれません。ちょうど、日本における歌舞伎座や帝国劇場に訪れる時の気持ちのようなものかもしれませんね。(一概には言えませんが)


一方、日本における競馬の歴史はヨーロッパのそれとは違うようです。
もともと神社の祭典において直線の馬場で行われていたようですが、現在のような洋式の競馬形式になったのは明治になってからであり、日本で最も古いレースは1861年在留外国人によるものが最初といわれています。富国強兵を国策する時代でもあり、「馬政三十年計画」として、馬産改良の名の下に馬資源の増大と資質の向上を図るため、施行者に補助金を交付して競馬を行わせていたようです。後に馬券販売が禁止されるものの、昭和7年には日本ダービーが創設され、昭和16年には戦前の競馬人気のピークを見るにまでに成長したようです。


上流階級の社交場という歴史の欧州とスポーツ、ギャンブルの要素を持って発展した日本とでは、競馬に対する捉え方はおのずと違ってくるのは無理ないかもしれません。


先の凱旋門賞でも、開門前に数百人の日本人が待ちわび、正門の鉄さくが開くと、先頭に並んでいた日本人の若者10人ほどがスタンドへと全力疾走し、勢い余って1人の靴が脱げる本気ぶりに、競馬場職員からどよめきが起きたり、正装した英国婦人が「ジャパニーズ、クレージー」と眉をひそめた。と報道されていました。
日本では珍しくない光景ですが、文化の違う国なのですから、ちょっと恥ずかしい行動だったと同じように眉をひそめた日本人もいたことでしょう。
1人1部が決まりなのに5部6部とパンフレットをわしづかみにする人もいたそうですね。ヤフーオークションを覗いてみると、確かにレーシングプログラムが出品されていましたし、中には「数量9」というのもありました。
ここまで来ると、日本人とかうんぬんとかじゃなく、人としてのモラルの問題です。


これらの行動が凱旋門賞に訪れた日本人全ての方ではありませんし、着物を着た方もいたようですから、そこだけにスポットを当ててあれこれ言うつもりは毛頭ないですけれど、せめてその国の文化や歴史、少なくとも競技やそれにまつわる背景なんかは予習して欲しいですね。


あなたは自分の家庭のルールをそのまま他人や社会に持ち込みます? それが自己であり、アイデンティティであり、表現だ!なんて思っている人はいないと思いますが、自国の風習をそのまま他国に持ち込むのはナンセンスですから、自分も気をつけたいものです。


日々の仕事のように新規の会社へ営業する時は調べますよね、いろいろと。
どこかの消費者金融のCMではありませんが、事前に確認することを忘れないでいたいものです。

オーマイニュース(日本版)より

たった1人の行動で全体がそのように見られてしまうのは悲しいことです。個々の事案ごとに考慮すべきだとは思いますが、なかなかそういうわけにはいかないようで。

ところで散々「危険だから行くな」「捕まって人質にされ身代金を要求される恐れが非常に高い」と注意勧告を受けていたのを承知で無謀にもシリアに渡り無事身柄を拘束された方の記事が面白いので貼り付けておきます。

記事内容をバッサリ要約すると「日本政府はテロリストに屈するくらいなら自分勝手で警告を聞き入れない日本人1人を見捨てる」ことを裏付けする記事です。今でもそのネタで営業できているので良かったのではないでしょうか。

関連して渡部陽一氏の過去の発言とされているものを否定する記事も貼り付けておきます。似たような文章で違う意味なことも多いので気をつけたいですね。