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<反論> 日本にとっての「特定アジア」とは?

引用元URL:http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000000451

記者名 李 京錫

 本紙に掲載されている竹野裕昭氏の「『アジア』という言葉に潜む罠」を拝読した。地理的にはその通りで、「中国、韓国、北朝鮮だけがアジアではない」。しかし、次の分析には疑問が残る。「アジア」という言葉の「誤った用法により、アジア全体があたかも反日主義で凝り固まっているという誤解を与えることは危険であるし、本当の意味でのアジア諸国との友好にもヒビを入れかねない」。

 この種の議論は、映画「プライド―運命の瞬間」と軌を一にする。アジアにおける日本軍の略奪や殺戮の様子はなく、インド解放への献身的な闘争だけが描かれ、東京裁判に抗する英雄たちの姿とオーバーラップされる。要するに、「日本は中国に対しては侵略者であったかもしれないが、インドにおいては真の友人であり解放者であった」ということである。これは、大塚健洋氏の大川周明論の結論である。
 このような言説が大学の講壇で若い青年達に注入され、生けるアジア主義の亡霊たちはインドに赴き岡倉天心や大川周明を顕彰する。靖国神社はパール博士顕彰碑を境内に建立する。遊就館のなかではガンディーまでが日本への共鳴者になっている。韓国・北朝鮮・中国との対話を拒まれた小泉総理・安倍官房・麻生外相は、口を揃えて、インドはアジア最大の民主主義国云々と、親密さをアピールする。

 しかし、インドとて小泉内閣の拙劣な外交の本質を見抜けぬはずがない。タゴール、ガンディー、ネルー、さらには、日本軍と共にインパール作戦を戦ったスバス・チャンドラ・ボースまでが、日本のアジア侵略についてどう語っていたか調べてみるがよい。インドは日本の真の友人などと、それは良識あるインド人を蔑ろにする言葉に過ぎない。

 なるほど、アジアは広い。韓国・北朝鮮・中国だけがアジアではない。この異質な存在はいわば「特定アジア」に過ぎない。アジアには日本を理解するもっと多くの国がある。しかし、アジア広しといえども、日本が「特定アジア」の魔の手から逃げ隠れる場所はどこにもない。日本は否が応でも、韓国・北朝鮮・中国と向き合わねばならない。この「特定アジア」こそが、アジアの実体であり、日本の自画像である。脱亜した日本が普通のアジアと友好を深める為に、潜り抜けねばならない入亜の関門である。

 したがって、ネット上の「特定アジア」の定義は修正が要される。正しくは、日本の歴史歪曲に対し、内政不干渉の国際法規に拘束されることなく充分且つ直接的な批判の権利を有する国々を指す、と。また、天皇や首相、日本人の「心」より、「特定アジア」の人々の心が優先することは言うまでもない。

 おわり◆◇◆◇
2006-08-31 06:03

この記事は2006年9月2日07:25以降、2006年9月3日07:32までの間にニュースのたねに掲載されました。タイムスタンプは2006/08/31 6:03:13。翌年のリニューアル時にタイムスタンプが2006-08-31 02:08へと修正されました。

残念なおしらせですが「特定アジア」は2ちゃんねる発祥の用語です。そもそもこの用語の発生原因を考慮すると記者氏個人が勝手に定義を修正できるようなものではありません。記者氏の主張はダイオウグソクムシを絶世の美少女と再定義しようとしているものであり、根拠となる歴史的事実も科学的仮説もなく、非論理的な個人の妄想に過ぎないと断言せざるを得ません。

もっとも近年の日本では競走馬が美少女になったり、海上戦闘艦が美少女になったりしているので、記者氏がスマホゲームクリエイターかアニメーション製作者になれば、一抹ではありますがその主張が世に認められる時もくるのではないでしょうか。