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外科は3年後、内科は5年後

引用元URL:http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000001959

完全な破綻を迎える「医師雇用制度」
池澤 和人
2006-10-04 08:34

 厚生労働省がリーダーシップをとって誕生した「新・卒後臨床研修」がスタートして2年半が経過した。「スーパー・ローテーション」と呼ばれるこの臨床研修制度は、専門性を排し、医師自身の掲げる専門診療科に偏ることのない「全人的医療」が可能な医師育成を目指した、極めて画期的な試みである。卒後2年間は、ほぼ全診療科を順番で研修するという内容だ。その一方で、産科と小児科に代表されるように、急速な医師不在の問題が頻繁に報道されている。その2つの間には、どういった関連があるのだろうか。

 日本における終身雇用制度は、とうに破綻した。それは医療業界でも同様である。入職して数年経たずに自ら職場(つまり勤務する病院)を転々とする医師が後を絶たない。過酷な労働条件や煩わしい職場の人間関係など、医師を取り巻く労働環境は決して容易なものではない。「より自分に合った病院がどこかにあるはずだ」という幻想を胸に抱いて、新しい職場探しに奔走する。ところが現実はそうは甘くはない。どこの病院に異動したところで、いまの医療情勢では天国のような職場に巡り合えるはずはなく、次第に燃え尽きていく医師たちの行く末は、日中の外来や検査だけの「バイト」医師として、パートタイムで細々と働いていくことになりかねない。

 これまでの先輩医師たちだって、同じように「ほぼ24時間拘束され、いつ呼び出しがあるかも分からない人生がこのままずっと続くのだろうか」と不安に思っていたはずだ。しかし「後輩ができれば、ちょっとは楽になるのかな」と期待しながら、毎日の診療に当たっていた。事実、春になれば国家試験に合格した新人ドクターが後輩として定期的に自分たちの大学の医局に供給されてきた。しかも以前は、新人医師の大半が母校の卒業生だったためか、ちょっと先輩顏して応対できた。前日までは一番シタッパだった医師たちが、少しずつ後輩に仕事を委譲して、次第に負担は軽減されていった。入局して数年間はさまざまな修業期間だから仕方ないとしても、少し年季を積めば、非人間的な「24時間拘束」という事態からは開放されてきた。

 それが、「新・卒後臨床研修」が始まって、この淡い期待も夢と消えた。つまり、春になれば当然入局してくるはずの新人がいないのだ。既報のように、卒後研修医の就職先は、大学の医局を嫌って市中の民間病院へと大きく異動した。その最大の理由は、自分の意思にそぐわない人事異動を嫌ったためであると推測される。大学の医局に身を置くと、数年間(あるいはそれ以上)は教授の指示によって、はるか遠方であっても行けと言われた病院へ赴任せざるを得ない。大学の医局は派遣業務の免許がないにもかかわらず強力な人事権を持ち続けてきたわけで、いまの世代の新人医師たちが大学医局での「他動的な人生」を好き好んで甘受するはずがない。「新・卒後臨床研修」は、新人医師にはまたとない好制度である。なぜならば、自分で自分の職場を選ぶ権利が、卒後新人医師へ与えられる制度となったからである。

 いま、若い医師たちの生活観・職業観に急速にある変革が生じている。彼らは「なぜ医師だけが24時間拘束される業種なのか」と大きな疑問を抱いている。しかも24時間一生懸命に働いても、自分の思いとは裏腹に訴訟に巻き込まれる危険と隣り合わせだ。その結果、朝9時〜夕方5時までの勤務だけで、夜間のコールのない業務を希望する若い医師が急増する。都心のクリニックでの医師求人は「買い手市場」に大きく傾いているという。一方、地域医療を担う市中病院のように昼も夜もなく働かされる職場は敬遠されて、高額の収入で求人してもほとんど見向きもされない。医師が減り続けるのに仕事量は相変わらずだから、医師1人当たりの仕事はどんどん増加するという悪循環のため、ますます医師は離れていく。所轄官庁である厚生労働省は「医師は足りている」と主張するが、絶対数としての医師数は増加傾向にあっても、常勤医としての勤務医数は全診療科において極度に不足した切迫した状況である。
 
 他方、激務といわれる外科や内科に対して眼科や整形、麻酔科は人気があるようだ。これらの共通項は夜間の呼び出しが少ないということである。人気の裏に逼迫した医療現場の実情が見て取れる。なにも報道されている産科や小児科の2科に限ったことではないのだ。問題の表面化が先行しただけの話である。

 外科では新しく大学の医局に入局する医師は、ここ数年ゼロから1けたという状態だ。あと3年もすれば逆ピラミッド構造になってしまうだろう。内科も現在は少数ながら入ってきているようだが、5年後にはどうなっているか分からない。そういう状況では医師雇用制度は完全な破綻を迎えてしまうのではないか。「新・卒後臨床研修」の功罪は大きい。

オーマイニュース(日本版)より

この記事についたコメントは6件。

6 augfirst 10/10 16:33
医師に限らず、どんな職業でも勤務地を自由に選べるなら、総合的に魅力のある場所を選ぶでしょう。便利さや子供の教育など考え都会を選択することは当然と言えます。
僻地に医師が足りないのは自明ですが、東京23区ですら病院が医師募集をかけている病院があるそうです。
都市部で仕事もなく余っている医師がいるなら別ですが、日本全国どこにも医師過剰地域があるとは聞こえてきません。

必要医師数について、そもそも医療の高度化・専門分化はこの四半世紀で著しく、一人の医師が請け負える範囲が狭く深くなっているようです。
昔はできなかった治療が今はできるようになり、その専門的治療を支える医師が「上乗せで」必要となっています。そのため患者数が変わらなくても必要医師数は増えるはずです。
そしてロニーさんがおっしゃるように、本来不確定(最善の手を尽くしても必ずよい結果になるかは保証困難)な医療に結果責任を求める機運がますます専門外に手を出さない風潮に拍車をかけています。
病気があるのは病院の責任ではなく、病気が重くて亡くなることは病院・医師に非がなくても起こりうることの理解がなくなっているようです。

厚労省は知ってか知らずか正式に認めませんが、医師不足は現実に進行している、という認識のほうが正しいようです。

5 たままん 10/05 06:31
非常に興味深く拝見しました。

記事としては文句のつけようがありません。このような記事が増えることを期待します。現場の人の声も聞きたいですね。

4 ロニー 10/04 21:39
いま、医療の現場では、やり場のない怒りと無力感が満ち満ちています。医療関係者が書き込むネットの掲示板には、もうやってられないという悲鳴が溢れています。
 かって救急病院に当直していた頃、そのスジの方々が夜中に跳びこんできて、「死んだら承知せんぞ!」 ⇒ 今や、警察・検察・裁判官が同じ台詞を吐く時代となってしまいました。この島国には、リスクがあってはならないという建前があるのです。
医療過誤だと訴えれば金になるかもしれない = ダメモトだと安易に訴える理不尽な訴訟件数がウナギ昇り。その結果は、「危ない手術は止めよう」「大都会の大病院に行って下さい」という、“火中の栗は拾わない”“触らぬ神に祟りなし”という医師だけが生き残ることが出きることになってしまいます。
 そもそも、薬には副作用があるし手術には後遺症が残るのです。フグには毒があるし牛肉にはプリオンが存在するのです。リスクのない社会なんて、現実離れした幻想でしかありません。海洋気象や船舶の専門家が裁く海難審判所と違って、医療現場を経験したことのない自然科学の素人が裁く医療裁判 = 中世魔女狩りの異端審判所が極東の島国に現存していたというのが医師仲間の実感です。

3 yonemura 10/04 12:49
本音のところがあまり出てこない分野なので、記者のこれからの情報提供にたいへん期待しております。

2 kz 10/04 12:07
新・卒後臨床研修の功罪は記事の通り非常に大きいと思います。
医局が人事権を握っていた状況が良いのかと言うとそれは不自然だし良いものではない様に思えます。ただ、その医局の力が地方の医療を支えて居たと言うのも事実でしょうね。
厚生労働省は「医師は足りている」と言ってるようですが医師免許保持者は増えているのでしょうが臨床医が実際に増えているのかは良く判らないらしいですね。また医療需要も増加していることから医師は都市部でも決して余っては居ないと聞きます。この問題は非常に根が深く難しい問題だと思います。出きればこの件を多くの人が知って議論が盛り上がって欲しいです。
感情は問題提議をされた記者の方に。

1 うしき@篠ノ井 10/04 09:00
分かり易い記事でした!ありがとうございます。医師が自由に勤務地を選べるようになると、僻地・地域医療はのきなみ苦戦するということですね(今までも苦戦していましたが)。長野県ではそれに対応してか、地域医療の審議会も発足したそうです。


医師でもない人間がこんなことを書くと問題だろうとはわかっていますが、医者は神さまじゃないですからね。何でも治せる魔法の使い手でもありません。うさんくさい謎文字で書かれた魔法陣を刻むよりバンドエイドキズパワーパッドを貼ったほうが傷の治りが早いくらいは誰でも理解できると思います。(わたしの理解できる範囲でですが)医者はどうすれば命が助かるか、病気が治るかの知識と技術を持った専門職人だと認識しています。できないことも当然あるということを理解していないように見える人が多いのかなという印象ですね。

なんでこんな当たり前のことを書いているかというと所用で某地域拠点病院に行った時に大声でわめいているクソ患者(家族の人かも)を見かけたからです。「無理なものは無理、バーカ」と思いながらそこを後にしましたが対応されていたスタッフさん(事務員含む)も大変だなと思いました。