見出し画像

憲法、教育基本法改正の国会論議おける市民記者の憲法改正草案造りの提唱

引用元URL:http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=0000000002860

国民投票法案など重要法案の国会で論議の最中であるが国民的議論になっていない現状に思う。
H岡 S良
2006-11-03 04:13

今国会では、安部内閣の教育再生を掲げ、国会で教育基本法改正・国民投票法・憲法改正に対して、国会論戦の真っ只中ですが、国民の理解はあまり浸透しているとは、言えません。その中、なぜか全国に拡がりをみせた、大学受験に控えた高校必修科目未履修問題といじめによる自殺者が出る学校の対応問題だけ、特化した論議だけ先行して、真の論争が避けられ、教育基本法をなし崩し的に改定されつつあります。また、教育基本法の改定を前提とした世論形成づくりを国が求めるあまりに、八戸のタウンミ-ティングでは一般の市民を装っている質問者に「やらせ質問」をしてのが、この教育基本法改正の国民の動向で、国民の盛り上がり機運はないとも言える現状なのです。

憲法改正とそれに伴う国民投票法案の国会審議でも、国民はかなり低調な見方です。国民投票法案の例でも、本来は国民世論をきちっと捉えることのできる投票手順や投票方法を定めるべきであるが、国民投票を実施するときは、投票行動に対する意見表明を国民に伝えるしくみがないがしろになって、国民投票を政府の意のままになるようなしくみづくりなるように、制度作りになっております。それも、国民投票法は憲法改正のための特別法として発動するのみで、他の国民世論として、重要な法案、例えば、日米安保、教育基本法・年金法改正、防衛庁の省格付変更法など、防衛・行政制度・国民生活・社会基本整備など強度の影響のあって、国民の意見の二分するような案件に、国民参加で法案を選択するに必要なしくみとしての国民投票法ではなのです。
やはり、国民は直接、法案のその中身について良し悪しの評価や法案の審議やり直しを求められることができると、もっと国民生活にマッチした法案づくり参加でき、もっと国民にとって身近な法律として活かすことで
社会の法的基盤整備の整い、より法律を守る規範意識に寄与できる、と思われます。今国会でも問題になった利息制限法改正の法案審議でも、国民参加できる法案づくりならば、土壇場で法案組み換えするまでもなく有効な法案になり得た、と思います。当初、提出された業界寄りの改正案から世論の猛反発の結果、自民党も
已む無くの変更した訳で、国民の目で法案チェックの大切さが分かる、と思います。

次に、憲法や教育基本法の改正において、政府は国会審議でも逐条審議はされず、なぜか一括審議で改正できることを求めているようです。このような、重要な改正案や憲法において、一括審議では、国民の求める改正案や憲法の改正が得られるとは思えません。例えば、憲法改正の国会審議では憲法9条に特化した憲法改正するなら、現行憲法で十分なのです。憲法の中身が国民生活のあらゆる場面において、法的環境の条件の整合性が十分満足する国民の権利保障大系になるべきです。憲法という法大系は、けっして国家機関の目的によって立つ論理であってはならず、国家機関に与える大権の本質の規定が国民のためにある規制としての規定であるべきが、民主主義の本質ですから、それにそぐわない大系なり得べき規定は否定すべきなのです。だから、法学者も含め、そのような否定されるべき規定はないか、細部に渉って、慎重に規定されるよう審議されるべきです。それは、改正憲法を現行憲法と違いを具体的にチェックしながら検討すべきなのだから、国会審議で憲法の審議手続きは逐条審議されなければなりません。その中から、国民世論的に賛否が分かれるところを国民投票で逐条的に投票して決定することで、民主主義の憲法の権威となり得るのです。初めから、改正するのに
一括審議である党の憲法改正案に賛成か反対が決する憲法改正では、ある党の憲法しかなり得ず、国民の憲法になり得ないでしょう。憲法改正の作業は国民と国会の共同作業でなければ、民主的な憲法が成立できることの保障はあり得ない、と思うべしです。これは、教育の憲法、と言われる教育基本法の改正でも言えるのではないか、と思います。

私は、そのような、国会における逐条審議で綿密で慎重な審議を促す世論づくりを担う方法として、この
オ-マイニュ-スのオンライン記事が有効なのでは、と気がします。そして、オ-マイニュ-ス社が他のメディアに先駆けて、憲法改正案の逐条草案のコンペティションを発案し、国民世論の形成に貢献してはどうか、と思うのです。明治期の帝国議会の草創期の帝国憲法の発布の目前にして、草の根の活動家が一大ペ-ジョントと化し、憲法草案の建白書が多数、建言された、と聞きます。現代社会でも、日本の理想は何かを考える上でも、必要な話題づくりに寄与できるのです。オ-マイニュ-スのオンライン記事はインタ-ネットで実名報道する市民記者で運営しようとするコンセプトをもっております。これを、活かせば、かなりの強度で国民にインパクトを与える世論を可能なはずです。市民記者(国民)が憲法改正案づくりの一端を担うことこそ、国民参加の憲法改正案の共同作業になることだ、と言えるのではないか、思うのです。もちろん、憲法改正草案案づくりにもたたき台となる意見集約作業せねばなりません。法律を専門とする市民記者の方を中心したグル-プ作りも必要です。グル-プの輪の中で逐条的な憲法法案の討論するワ-クショップで纏め上げたものを発表する市民記者参加型の憲法改正草案づくりをするオ-マイニュ-ス社の旋風を起こしてみませんか。

オーマイニュース(日本版)より

これ↑を信じていた市民記者さんの投稿ですね。社会を変えるというのはすなわち他人を変える/生活環境を変えるということです。ほとんどの場合大きな力をもった人だとかものすごい天才によって変わりますが、身の回りに限っていえば凡人の地味な努力による変化もそこそこあったりします。

歩道脇の植え込みで先が見通せなくて危ないから撤去してほしいだとか、ガードレールを設置してほしいだとか、そういうのも周辺住民の声をまとめて陳情する人がいないと改善されることはありません。大所高所から論じるのも大事だけど、できることから手を付けるのもいいんじゃないでしょうかね。たまには真面目な感想を書きますね。


間接民主主義がどうだとかはものすごく面倒な議論を経験したことがあるので避けます。量子暗号が実装された量子ネットワークによる一意性が担保された環境でなければインターネットによる直接民主制なんて夢の話ですよ、というのがわたしの持論。投票所へ行って投票用紙に鉛筆で候補者の名前を書いて投票するのが一番よ、という話です。