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韓国のニュースを読む――壊れる儒教的価値観

引用元URL:http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000003294

慶尚北道 浦項で10代が老人を集団暴行
S士 M嗣
2006-11-21 04:07

 韓国は儒教の国である――韓国という国家に対してこのような定義付けがなされるケースがある。しかし、果たしてこの定義は正しいであろうか。確かに我々は、韓国において、年上に対する言語的な用法、あるいは、電車内における年配者への積極的な座席の譲歩など、往々にして「儒教的」な側面というものを見たり聞いたりしてきた。

 しかし今回、韓国においてそのような「儒教的価値観」からかけ離れた事件が発生した。

韓国KBSは20日、夜九時のニュースにおいて、「喫煙を注意し、老人へ暴行」というニュースを伝えた。
報道によれば、事件は13日午後、浦項で帰宅中の老人(79歳)に対し、高校生らしき集団が浦項駅付近の路地で「煙草」を要求。老人がその要求を拒否するや、集団暴行の被害にあったというもの。犯人は現在も捕まっておらず、浦項駅付近の警察官によれば「犯人と見られるグループは飲酒していた疑いもある」とのこと。報道は、「ますます凶悪化する10台の犯罪は、完全に度を越えてしまった」という言葉で締めくくられている。10代による暴力事件が多発する中で、その矛先が79歳の老人へと向かったわけである。

 今回の事件は、韓国のごく一部の側面であり、韓国全体を体現するものではないといえる。しかし、今回の事件によって「儒教的」という言葉で語られ続けた韓国社会が急速にその姿を変質させているということは事実であろう。ある事柄を定義付けようとすれば、その定義にそぐわない事柄が往々に発生する。ことさら、急速な変化を遂げている社会集団に対しては、なおさらのことである。韓国は現在も「儒教的」側面が強いという社会であることは確かである。しかし、「儒教的」という定義によってのみによって韓国社会は捉えられないほど複雑であり多様化している。つまり、韓国社会を眺める時に、ある言語的な定義に拘泥されず多角的な視点を持つことが必要ではないだろうか。

(ソースhttp://news.kbs.co.kr/article/news8/200611/20061120/1255068.html)

オーマイニュース(日本版)より

これもよくわからない記事です。ある特定の事件から韓国全体を論じようとして失敗している印象です。無理矢理にでも論じたいのであれば、もう少し長い期間にわたって他の似たような事件の例を複数あげて徐々に韓国社会が変化してきているとしたほうが良かったのではないでしょうか?(ないだろうか構文)


ニュースで取り上げられる事柄は多くの人の感心をひくある程度の閾値を超えたものです。よく言われる「犬が人を噛んでもニュースにならないが、人が犬を噛んだらニュースになる」というやつですね。生きてきた周囲の環境や学んだことで振れ幅が大きいとはいえ韓国人も日本人も(普通の人は)そう大きく変わりませんよ。本家から出張されてた朴哲鉉記者(てつ氏)ともライブ動画で何度かやりとりしましたが、ピーキーな方ですが感性は普通かなぁと思いました。