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いじめられた私の初めての同窓会

引用元URL:http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000002965

中学卒業から23年
A井N行
2006-11-15 12:08

【画像省略】
友だち(写真はイメージ、ロイター)

 近ごろ降ってわいたかのようにいじめ問題が話題になっています。いじめによる青少年の自殺も同時に問題になっています。

 私も中学生のころ、いじめという大波にのみ込まれた1人です。私の中学時代は1980年代初めです。ちょうど、忠生中学事件(生徒が暴れるので先生が生徒をナイフで刺すという事件)に代表されるような校内暴力の問題がありました。また、教師による体罰の是非が問われ始めようとしていたころです。
 
 高松市内にある私の母校は50年前の創立当初から元々文武両道に熱心な校風だったため、公になるような事件はありませんでした。しかし、私が2年のころから校内でいじめが目立つようになりました。

 私自身、いじめの対象になりました。取り囲まれて「お金を持って来い」「500円持って来い」と迫られ、仕方なく持っていったことがあります。教室などでカッターシャツやズボンを脱がされたり、それを隠されたりしたこともあります。更衣室にある他人の制服やカバンの中から財布の金を抜き取れと強要されたこともあります。さすがにそれは断りましたが、相手が烈火のごとく怒りました。

 特につらかったのは2年のゴールデンウィーク明けのできごとです。性格の悪い同級生に追いかけられた挙げ句に、プロレス技をかけられて大たい骨を骨折、全治5カ月のけがをしたのです。

 追いかけられた私は、とっさに校舎屋上の誰もいない家庭科教室に逃げ込みました。これが私の判断ミスとされてしまい、「運動場など、人が大勢いるところになぜ逃げなかったのか」とPTAの一部が批判していると間接的に聞きました。

 そのようなこともあってか、高校合格の際は祝福される一方、PTAの一部から「いじめられた子がなんで合格するんだ」と嫌味を言われました。

 その中学の同窓会が今年8月のお盆休みにありました。卒業から23年経って初めてです。少子化で高松市内の中心部で生徒数が減少し、それに伴って隣接の中学校との統合が決定、母校が再来年に廃校となるというのです。その寂しさもあって「集まろう」という声が上がりました。

 当時、金八先生のように情熱的で人情味ある先生がいた一方で、問題の生徒には見て見ぬふりをする体育教師がいたので、会いたくないと思ったのです。体育の授業中、みんなが走り終えているのにまだ走っている私を指して、その体育教師はみんなに「(あいつは)ほうっておけ」と言うなど、生徒を切り捨てる言葉を発していました。しかし、先生は招待していないと聞き、ほっとしました。ただ、私をいじめた人に会うのはいやだという思いがありましたが、ある人から「みんな大人だから大丈夫」と背中を押され、1週間前に出席の意思を固めました。

 当日、仕事を終えて会場に着いた時、「23年前にプレーバックするのだろうか」という不安が一瞬よぎりました。このような言葉を出すと、実際に事件や事故に遭われた被害者やその親族の皆様にお叱りを受けるかもしれませんが、「(当時の記憶が)フラッシュバックするのではないか」など想像していたのです。

 しかし、それは杞憂でした。いじめの加害者たちは顔を見せていなかったのです。そればかりか、温かく迎えてもらえました。「あの時いじめられていたけれど、自分は何もできなくて申し訳ない」という言葉をもらったのです。彼らなりに良心の呵責に悩んでいたことが分かり、心の傷が少しずつ癒されていくような不思議な感覚が広がっていきました。

 いじめでの自殺が最近話題になっています。いじめられた経験のある私にはそのつらさが分かります。30代後半になっても、その記憶は私を苦しめます。しかし、かつての級友たちが「何もできなくて申し訳ない」と謝ってくれたことで、私は一人ではなかったのだと思いを改めることができました。

心を痛めながらいじめを見ている仲間がきっと近くにいるはずです。いじめられた先輩として、今いじめられている子供たちに声をかけてあげたいのです。死なないで。もう少しだけ頑張ってみよう、と。

オーマイニュース(日本版)より

※引用文中【画像省略】は筆者が附記


この記事についたコメントは5件。

5 kokoni 11/16 18:28
A井N行記者、「いじめ」はやられた人でないと、その苦しみはわかりません。よくがまんしました。

どうすれば「いじめ自殺」をなくせるのか。いじめの問題では、その件数が多いか少ないかの問題以上に、これが生じた際に、いかに迅速に対応し、その悪化を防止し、真の解決に結びつけることができるかが重要となる。全教職員が一致協力して指導に取り組む。いじめの訴え等を学級担任がひとりで抱え込むようなことがあってはならない。と文科省でも指摘している。
ところが実態は、上からの管理と統制でしめつけるやり方で、文科省は教育現場に「いじめ半減5カ年プラン」という数値目標を押し付けているとろに問題がる。これでは数値目標達成のために実態が奥に隠されてしまい、いじめの実態は見えないところにいってしまう。子どもからのサインも受け止められなくなり、教員も子どもの命に目を向けるのではなく、教育委員会など上の方に目を向けることになる。

最近の「いじめ」は、証拠が残らない形のいじめが増えている。何の理由もなく疎外されるつらさ。思春期にはプライドもあり、親にも言えずにいる。いじめの取り組みは、自分のクラスの問題を素直に出し合うような協力が欠かせない。しかし、校長に続き、今年から教員にも人事「評価」などの成果主義が全面実施され、みんな競争になり、いじめを明かせば“ダメ教師”と評価されかねない。いじめがあると校長や教師がマイナス評価になってしまう。こういう文科省の教育指導要領にこそ根本問題がある。

4 香林塾の先生 11/16 14:59
アクセス数トップ10で、7番なのに、書き込みが 3件・・・
どうなっているんでしょう。
記者のA井さんも、ごらんになっていないのかなあ。

3 まさと 11/15 15:07
なるほど。そういう言葉もあるか。助けてやれなかったと。
機会があれば参加して、振り返ってみることができるのが大人なのかも。
ですが、私はできないな~。正直いまでもうらんでます。特に、傍観者であった人にはなおさらの思いがあります。
私の現在は、
おまえらみたいにはならんぞという動機でつくられている様におもっています。

2 月の輪グマ 11/15 14:06
私にも経験があるのでよくわかります。
最近にわかにいじめ問題が取り上げられていますが、昔からいじめはたくさんありましたし、「いじめられる側に問題がある」という風潮も変わりません

今日、大学の歓迎会で一気飲みさせられて亡くなった学生の訴訟判決がありましたが、賠償責任を負わされたほうはさぞかし不服でしょう。悲しいことに、いじめる側といじめられる側の認識はいつの時代も温度差があります。
「何でそんな学校に入ったのか?」とか「何でうまく逃げなかったのか?」などと、他人が後から言ってみても意味はありません。

子供でも大人であっても、閉鎖的な環境では絶えずいじめは起きるのです。
いじめのない社会を目指すことも重要ですが、閉鎖的な社会からもっと楽に抜けられる環境を整えることはより重要です。

でも、学校行きたくないとか言うと親から怒鳴られるか、社会から引きこもりだと思われて問題視されるのだろうな…。

教育現場にはびこる、現実離れした理想主義はもうさんざん。

1 香林塾の先生 11/15 12:39
この記事には、いじめ問題で、解決しなければならない点が、含まれているように感じます。
まず、「全治5ヶ月にのなる大けが」をされたとき、保護者や、学校はどのように対応されたのでしょうか。
つぎに、「家庭科教室に逃げ込んだとき」なぜ、PTAの一部の批判だけが、しかも、間接的に伝わったのでしょうか。この件は相談されなかったのでしょうか。
後日でしょうか、高校入試に際しては、誰らから祝福され、違うPTAの一部から、わざわざい、イヤミを言われたってことでしょうか。
同窓会にはいじめっ子達が参加していなくて、一安心だったってところでしょうか。
お子さんはみえますか。お子さん達はどうでしょう。


そうですね、いじめはいけませんね。特に最近は被害者を装った加害者が悪質ないじめをすることも多いようですからつきあう友達は特に慎重に選んだほうがよいかもしれません。