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「肩書き」の不思議

引用元URL:http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000003237

あなたの仕事は目的、それとも手段?
O保方 T之
2006-11-22 08:06

【画像省略】
「はじめまして。私は×××です」(写真はイメージ)

 いろいろな肩書きを持ち、いろいろなことをやっているように見えるせいか、よく「あなたは何者ですか」と聞かれます。私は「情報発信をデザインしたいんです」と答えます。この言葉に、私が関わっている90%のことは集約されます。

 それで解ってくれる人とそうでない人がいますが、それは仕方ありません。私が本当に興味あること、それは、情報の中身、目的、ターゲット、思い、メッセージから、その情報にとってのより良い発信の方法を考え、それを実践することなのです。ですから「情報発信をデザインしたい」という言い方になるわけです。

 ただし、「あなたは何者ですか」という質問は、ほとんどの場合「どこに所属されていますか」ということを意図して使われているように感じます。

 情報発信に関して考えていると「目的」と「手段」が、明確になっていないことに気づかされます。

 例えば「ホームページを作ってください」と言われた時に、私は「どんなホームページがいいですか」とお聞きします。この時に「うちの商品が売れる、うちの仕事が増えるようなホームページ」と答えてくれる人は正しいと思います。ですが「フラッシュとか使って派手にアニメーションが動いたりするようなやつ」と答える人も少なからずいらっしゃいます。

 前者は「ホームページを道具として使いたい方」、後者は「ホームページ作ることが目的の方」となるわけです。「どんなのがいいですか」という質問は、両方の意味合いに取れるので、必然的に重みのある方が前に出てくるんじゃないかな、と思っています。

 実は「肩書き」もそうなのではないかな、と思うのです。

 私がもし、やりたい仕事がなくて、ただ好きな人と家庭を持ちたいと思っていて、とりあえず何か仕事をしているのであれば、「あなたは何者ですか」と聞かれれば「良き夫、良き父親を目指して暮らしています」と答えるでしょう。肩書き(仕事)は、そのための手段です。手段だからと言って手を抜くのではなく、手段だからこそ、ちゃんとしないと目的は果たせないわけです。

 つまり「どんな暮らし方をしたいか」がまず最初にあり、仕事、住まい、もっと言ってしまえば人間関係も、その目的を果たすために「選択できる手段」なのではないかと感じているのです。

 私は今33歳ですが、小さいころから「肩書き主義」のような教育を受けていました。どこへ進学するのか、どこに就職するのか、ずっとこれに違和感を感じていました。「あ、肩書きじゃないんだ」と気づいたのは20代後半になってからです。もっと小さなときから、それに気づいていたら、今の段階で思い描いた人生により近づいていたのではないかと感じます。

 様々な周囲の声に惑わされることもありますが、そういう時こそ「自分は何を大切にしているのか」を考えるようにしています。何が目的で、どれがより良い方法か。この図式に置き換えることができると、非常にシンプルな問題に変ってゆきます。

 私は「場面に応じた、より良い肩書き」を使い分けるところがあるものですから、それで「あなたは何者ですか」と聞かれるわけですが、皆さんはいかがでしょう。今持っている肩書きは、目的なのか、手段なのか、どちらでしょうか?

オーマイニュース(日本版)より

※引用文中【画像省略】は筆者が附記


この記事についたコメントは5件。

5 ohgatta 11/23 23:26
O保方です。

皆さん、コメントありがとうございます。

私自身の場合、初めて見るもの、初めての感じのもの、と対峙した時に、
今までの経験を総動員して、適当な言葉をはめようと試みます。

しかし、そのどれもがぴったりと当てはまらないときに、
もしかすると、私も「あなたは何者ですか?」と言ってしまうのかも
しれません。

それも仕方のないことだと思います。

ただ、肩書きをお伝えしても、結局、「何をされているんですか?」ということまで
言われてしまうと、肩書きも意味を成さないことに気づきます。

肩書きを手段として使っているからこそ、何をしたいのか、何ができるのか、
ということを分かるように伝えるよう心がけているつもりです。

こういう感覚がない方には、コンサルです。って言います。
この言葉には、不思議と頭の中の「?」を収める力があります。

HPのお話はあくまでもたとえ話です。
ですが、実際に相談に乗ったりすると、未だにいらっしゃるのも事実です。
ただ、フラッシュやアニメーションも所詮ツールですので、
それを使った方がいいかどうかは、また別の話だと思います。
目的を明確にした上で、必要かどうかの判断をするのであって、
最初に使ってくれ、と言われても、必要なければ受注しません。

目的に沿っていなければ「せっかく高い金かけて作ったのに、
効果ないね。」と言われるのがオチですからね。

4 全力失笑 11/23 16:38
ホームページをお金を払って作ってもらうんだから
宣伝になるように、売上が増えるようにというのは
言うまでもないことではないでしょうか?
そのうえで「フラッシュやアニメーションなど派手な」ホームページを作ってください。
という具体的な案を出してくれているのだと思いますが。
もちろん、ただ派手なのを作れば売れるってものじゃありませんけども。

3 しゅうくん 11/23 06:26
私の場合、目的ですね。でもこの記事、読みやすい。

2 じぇじぇ 11/23 00:33
O保方 T之記者 はじめまして

>「あなたは何者ですか」

うわぁ聞かれますか! 同じです!! なんかうれしい。。同じような人がいる。やっぱ世の中広いですね。2行目にして記事に興味を持ちました。

私もです。ただ私の場合、女というのが理由なのか、もっと言い方乱暴ですね、みんな。「お前は何者だ」もしくは「お前は何屋だ」…と。^^; もちろんこれは友人たちが毎度呆れて言う場合の物言いで、初対面の人はだいたい名刺を見て唖然とし「あ、あのぅお、あなたは何者ですか?」と言います。そういうリアクションは慣れました。ちなみに9つの肩書きの主です。 ^^;

> 今持っている肩書きは、目的なのか、手段なのか、どちらでしょうか?

日本で生活の時を思い出して答えると、殆どの業務は、フリーでの活動でしたから、依頼(受注)あっての仕事でした。そういう点では名刺に肩書きを記載していた理由は、「私こういうこと出来ますよ」という宣伝目的でした。

1 ストリーム 11/22 10:42
ミミガー痛い。


わたしの場合、肩書きは手段ですね。言い換えれば道具です。この記事だと具体性に欠けるので「普通自動車運転免許証保持者」という肩書きを例とすると、口でいくら「車の運転できるよ」と言ったところで友人でも知人でもない人にはそれが本当なのかはわからないわけです。そのような場合でも運転免許証を見せれば、最低限の交通ルールを理解し自動車を操縦できる技能は持っていると誰にでも理解できます。公的機関のお墨付き(資格・免許)はそういう性質のものでしょう。

肩書きが目的となる場合の具体的な例は何だろう。全員が全員というわけではないでしょうが『漢検』とか『色彩検定』とかかな。両方の資格とも実務で活かせる人にとっては強力な後ろ盾になるでしょうが、イメージだけで書いてしまうと「自分がどのくらいのスキル(能力)を持っているのかチャレンジしてみたい」という人が受験しているように思えます。個人の感想ですが。漢検1級とか素直にスゲ~と感心します。わたしは読めないし書けないw

書道や茶道、柔道、剣道など『~道』の資格は「箔がつく」ので持っているなら自慢していいと思う。努力してきたことの証明でもありますしね。