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素朴な石仏と、荘厳な阿弥陀三尊

引用元URL:http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000003085

ローカル線で寺巡り
安住るり
2006-11-15 20:38

【画像省略】
撮影者:安住るり

 兵庫県の西部、姫路市の北東にある加西(かさい)市北条(ほうじょう)町に、「羅漢寺」という小さなお寺があり、その境内に、石の卒塔婆のような素朴な仏さまが何百体も、のどかな表情で立っておられます。

 「五百羅漢」と呼ばれていますが、その由来は、分かりません。権力と縁のない「庶民の祈り」の賜物(たまもの)であることの証拠ともいえるでしょう。

 1つひとつに、つくり手のイメージの中の「誰か」の面影が宿っているのでしょう。有名な「円空」の木彫に似た勢いのある単純な彫りのものが多いのですが、南太平洋の島々の石の作品を思わせるものもあり、お猿のような顔あり。角柱形の体にちんまりと両手を彫り付けてあったり、苔(こけ)が丸い斑点模様を描き出していたり、いつまでも見飽きることがありません。

 中国自動車道の加西インターチェンジで下りて高速沿いに西へ進み、北条幼稚園と小学校、中学校に囲まれているのが、羅漢寺です。

 電車で行くとしたら、かなり不便です。神戸からなら、阪神か阪急の三宮駅から西へ行き、新開地駅で神戸電鉄の粟生(あお)行きに乗ります。有馬温泉行きには乗らないこと。

 粟生駅で、さらにローカル線の北条鉄道に乗り換えます。これはほぼ1時間に1本ですから、事前に調べておいたほうがいいでしょう。切符は乗ってから買えます。20分ほどで、終点の北条町駅に着きます。神戸から約2時間。1200円あまりです。

 羅漢寺へは北条町駅から徒歩で15分ほど。駅前のビルの2階・3階が、加西市立の立派な図書館になっています。ここで、周辺情報を調べることができます。

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撮影者:安住るり

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撮影者:安住るり

極楽山浄土寺の阿弥陀堂は、鎌倉初期の「大仏様(だいぶつよう)」という独特の建築様式。内部から屋根の構造がよく見える

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撮影者:安住るり

 もうひとつ、北条鉄道で戻って、粟生駅から東にクルマで15分ほどのところに、「極楽山浄土寺」というありがたい名前のお寺があります。

 独特の建築様式の大きな本堂の中に、黄金色の丈六(じょうろく)の立派な阿弥陀如来三尊が威風堂々と立っておられます。本尊の背丈は5.3メートル。台座から光背の上までの総丈は8.3メートルという大きさです。

 本堂は、鎌倉初期の創建当時のままの貴重な建物で、阿弥陀三尊とともに「国宝」に指定されています。東大寺再建の勧進をした僧「重源(ちょうげん)」の開山と伝えられています。鄙(ひな)には稀(まれ)な、と言いたくなるような荘厳な仏様です。

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浄土寺パンフレットより

オーマイニュース(日本版)より

※引用文中【画像省略】は筆者が附記


この記事についたコメントは6件。

6 マウンテン・ティム 11/16 13:12
写真中段のトラみたいなニャーみたいなやつ。
かっこよくてステキ。

5 みずなす 11/16 03:37
やっぱり狛犬さんのような位置にあったのですね。
面白いですね。
狛犬は高麗イヌ。
南回りで渡来したのがシーサーです。

統べるには宗教が一番ですから
宗教は権力と結びつきやすい。

キリスト教もイスラム教も仏教も 偶像崇拝を認めなかった。
それがいつの間にか、仏像を造り、十字架のキリスト像を刻み・・・・
イスラム教は今でも偶像崇拝を厳しく禁じているようですが。

日本や韓国のカミも、山や岩がご神体で 社などなかったはずなのですが
神殿が立派になればなるほど 統治の手段になってしまう。
いや逆か。
統治のために宗教施設に金をはずむようになる。

「反権力」というレッテルを貼りたがる人って
権力に安らぎを見つけるのでしょうね。
権力によって守られていると感じるのでしょう。

私などは権力が守ってくれるという信仰を持っていない。
だから
名もない人が石に刻んだ素朴な信仰に 安らぎを感じます。

4 安住るり 11/16 01:07
先日ご紹介した加古川の「鶴林寺」は、聖徳太子ゆかりのお寺でした。
http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000002978

古代日本の宗教がらみの権力争いの真っ只中で「魂の救済」と「和」の思想を仏教に求めた聖徳太子です。
現代の鶴林寺のご住職は、憲法9条と教育基本法を守る運動の地元のリーダーだそうです。
聖徳太子の理想にならえば、そうなるのかなあ、と頷けました。

この記事でご紹介したお寺については、別にそういった情報はありません。
大きなお寺、かつて大きかったお寺というのは、例外なく「時の権力」の支援を受けています。
文化とか芸術の発達には、多くの場合、【権力】がかかわっていますね。
この極楽山浄土寺も、記事に書きました通り、東大寺という、まさに「権力」の中枢の発願による寺院に連なる由緒あるお寺であり、大変立派な仏像です。

一方で、この五百羅漢のように、四角い石の柱に、おそらくほとんど素人の農民が、身内の供養のためか、なんらかの願いを込めて、思い思いに「仏」の姿を刻んだらしき素朴なものも、見る者、拝む者に時を越えて訴えかけるものがあります。

向かい合った「トラ」のようなのは、たぶん「狛犬」のつもりなのだと思います。
身の回りに居る「猫」をモデルにして造ったのかもしれませんね。

最近作られたような作品も境内に気ままに置かれている、そんな自由さもまた、素晴らしいと感じるのです。
「美」とか「聖」というもの生まれ方、質の違い、その「対比」を、ここでは狙ってみた、という面も少しありますが、私がたまたま出会って感動したものを、みなさまにも伝えたい、という率直な思いで書いてみました。

3 Hounddog 11/15 22:56
>「五百羅漢」と呼ばれていますが、その由来は、分かりません。権力と縁のない「庶民の祈り」の賜物(たまもの)であることの証拠ともいえるでしょう。

仏像一つ見るにも、反権力から離れられないんですかね、この手の人って。

2 ふねしゅー 11/15 22:01
こういう場所が、まだまだ日本には多く残されているのだと思います。
大事に守っていきたいですね。

1 みずなす 11/15 21:50
いいですねえ、石仏の表情。
他地域で見られる石仏より、表情もはっきりして個性的です。
山猫のような姿は、まさか狛犬代わりではないですよね?
ローカル線の旅は、今では一番贅沢な旅かも知れません。
ぜひ一度行ってみたい・・と、プリントしておきました。


良い記事ですよね。こういうのは好きで楽しく読ませてもらいました。コメント欄で言及された狛犬様の向かい合った虎像は上記ブログにも画像が掲載されています。

記事を読んで面白いな行ってみたいなと思わされたのでわたしの負けです。