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私は「いじめ」をしていました

引用元URL:http://www.ohmynews.co.jp/HotIssue.aspx?news_id=000000002889

いじめる側、いじめられる側の心理
K野 Y一
2006-11-06 11:46

【画像省略】
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 私は小学生の頃、転校してきた男の子A君を「いじめ」をしていました。

 A君には何の落ち度もなく、転校して間もないので素性も知りません。ただ、A君は少しおどおどしていて、人にこびるような笑い顔をしているような気がしました。それが気に入りませんでした。今から思えば、誰も知らないクラスに1人で転入してきたのですから、なじみのない人に対して気に入らないのは当然かもしれません。

 動物は、弱くおどおどした者を排除しようとする性質があるのではないでしょうか。弱肉強食ということもそうですが、ほとんどの動物(オス)は、自分の子ではないと殺す「子殺し」をします。自分以外の遺伝子を排除し、自分の遺伝子を存続しようとするためだといわれています。

 そんな動物の本能を隠すこともなく、弱い立場にあるA君を見下し、何のためらいも、何も考えることなく彼をいじめていました。それは生理的に合わないという感じだったと思います。そのころ、少なくとも私の周囲ではいじめは集団ではなく、1人ひとりが気ままにしていたように思います。もちろん、いじめられる側にしてみれば、集団からいじめを受けているのと同じことです。途中でいじめを止めていじめる側の生徒に対して怒る友だちもいました。

 怒っている友達の言葉に目が覚めたように我に返り、「ドキッ」としたことがあります。それでもA君のことは好きになれず、クラス替えをするまで不快な気分でした。恐らくA君はもっと不快だったでしょう。

 ただ、今でもそれが悪いことだとは思えないのです。正直なところ、謝罪する気持ちもおきません。そんな自分に嫌気がさすことがあります。

 その後、私は中学・高校でいじめられる側になりました。集団でいじめが始まる初期だったと思います。A君をいじめた経験があるので、いじめる側の心理がよく分り、「耐えれば、どうせ卒業して別れることができる」と考えていました。ただ、学校には不満がありました。教師に訴えてもむだでした。授業中にいじめられていても見て見ぬフリなのです。

 学校というのは多数決の世界です。いじめる側が多数だと、少数のいじめられる側に異常があると判断されます。「君は協調性がない。もっとみんなと打ち解けなさい」と言われるだけです。高校はケンカすれば退学もありますし、耐えるしかありません。
 
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写真はイメージ

 クラスで孤立した私は高校生のころ、精神的に辛くなったことと、期末試験が終ってホッとした反動だったのでしょう。ある日、無意識に本を万引きしていました。補導された私は警察で泣きながら「うちの学校ではみんな万引きしている」と思わず口にしていました。

 意図したわけではありませんが、学校に復讐したような気がしました。一時的に気分はスッキリしましたが、高校を卒業するまでは刑務所に通っているような辛い毎日でした。自殺も考えましたが、死ぬ勇気はありませんでした。

 学校は期間限定で通います。そのため、いじめが分っても解決する頃には卒業してしまい、次のいじめが始まるのです。これでは、いじめ対策は難しいと思います。

 そこで、クラスという考え方をやめ、1つの教室に毎日同じ顔ぶれの生徒を閉じ込めないようにしたほうがいいと思います。学年も、学力が個々に違うので、混在してもいいのではないでしょうか。時間割は個人ごとに決め、学科の授業開始時間が決まっていて、その時間に合わせて受講する方式がいいと思います(自動車学校のような授業方法)。

 インターネットやDVD(ビデオ)などを有効に使い、教師は授業をするのではなく、勉強の仕方をアドバイスしたり、生活指導に重点をおいて子供達を見守るだけでいいと考えます。尊敬されない教師に教育は無理なのです。

 学校側は集団行動で学校の思い通りに生徒を誘導しようと考えるのはやめた方がいいと思います。いじめの本当の怖さは、学校を卒業した後、いじめる側もいじめられる側も親になり、ある者は教師になり、子どもを育てる立場になるということなのです。

オーマイニュース(日本版)より

※引用文中【画像省略】は筆者が附記
この記事は【特集】いじめ考に掲載されました。


この記事についたコメントは32件。

32 WilЬur Wright 11/14 07:58
 小学生時代。 学校、クラスの中という閉鎖された空間では、
何かをすると警察が入ってきて…、という事はまず考えられません。
 ですから先生がいない所では、善悪の基準はある程度子供達の良心に頼らざるを得ないのだと思います。
 でもその基準は法律のように全ての人に平等ではなく、クラス内の力関係がある程度影響してくるのでしょう。
 理不尽さに耐えなきゃいけない人もいるかも知れません。
 正義感が強い子供同士が見張りあっています、でも抑止にならないかも知れません。
 … それが小学生の、同級生の間での “法” であり、暗黙の了解なのかも知れません。

31 WilЬur Wright 11/14 06:47
 申し訳ありません。
 読解力も無く、説教してしまったようです。
 貴重な体験談ありがとうございました。

>今でもそれが悪いことだとは思えないのです。

 この一文で 「何年も経って、記事を書いていても結局は理解出来ていないのか」
と勘違いし、何度読んでもここで引っかかっていたようです。
 申し訳ありませんでした。

30 WilЬur Wright 11/08 23:57
 何でこんなにコメントし難いのか悩みましたが。

 これは記者の体験談ですよね。
 記者は、いじめて何を考え、何を得たんですか?
 記者は、いじめられて何を考え、何を得たんですか?
 体験しても成長していないように感じますがどうですか?

 いじめる理由、いじめられる理由、記者の理想なんか、二の次三の次でしょう。
 とりあえずA君に謝罪して、話でも聞いてきたらどうです?
 そのほうが人間的に成長出来るんじゃないですか?

29 WilЬur Wright 11/08 23:02
>ただ、今でもそれが悪いことだとは思えないのです。

   自分は悪い事だとは思っていない、 なぜならそれは、 本能だから。

 本能のままに行動したから罪悪感が少ない、というのは分かります。
 でも、本能のままに行動するのは、悪い事ではないのでしょうか?
 極端な例を挙げるなら …
   道のあちこちに子作りに励む人達がいた、としたら … 。
 ケースバイケース。本能だから悪くない、というワケではありませんね?
 「いじめられる方も悪い」 という議論は、いじめる人間を正当化するためのモノではありません。
 最終的にいじめを 悪 と思うかどうか、は強制する事は出来ませんが … 。

27 哲人 11/08 18:36
>風の音さん
私の「治療」という書き方が悪かったですね。
「罪悪感の無い人間をよい子にする」のは、監視カメラでなく教師や親の仕事でしょう。
監視カメラに期待される効用は「罪悪感の無い人間をよい子にする」ことではなく、「罪悪感の無い人間」に「見られたらまずい(見られてなければやる)と思う行動をさせない」ことです。抑止力にすぎません。
いじめられている子が期待するのは、いじめっ子がよい子になることより、いじめられないことだと思います。もしいじめられて、それを訴えても多勢に無勢で証明できないとき、証拠になる画像や音声があるということは心強いのではないでしょうか。いじめる側にはいじめることを躊躇させる存在になると思います。
本当は教師が躊躇させる存在であるべきなので、そうであれば監視カメラなんて全く必要ありません。しかし現実はそうではないからこそ、自殺者が出ています。

26 風の音 11/08 18:21
そもその罪悪感の無い人間が、監視カメラの前でよい子になるとでも・・?

25 哲人 11/08 18:06
>風の音さん
監視カメラ導入の前提条件として挙げておられることは、これまでもいじめが事件となるたびに言われたことではないでしょうか?
今まで何度も言われてきてできないということは、不可能とはいわないまでも実行が難しい案なのだと思います。
理想的で副作用は少なそうだけど、遅行性の治療法ですね。
監視カメラの導入は、今同級生や下級生をいじめて自殺に追い込みかねない加害者の子供に対する速効性の治療法になるのではと思っています。(この場合の治療対象はいじめられっ子ではなくいじめっ子及び教師です)
監視データのトレースだけではなく、いざ実施となったら難しい問題は当然たくさんあるでしょう。それは風の音さんのおっしゃる前提条件の実施においても同じでしょう。速効性のあると思われる方法を否定するほどの根拠になるとは思えません。
それに長期の監視データのトレースより、いじめられたと主張する子及び保護者が監視データを日時指定して開示要求するような短期的局面が多いと思います。教師や加害者が言い逃れできない抑止力になればいいのです。
大相撲の判定にもビデオは使われています。画像や音声は中立ですから。

24 風の音 11/08 15:39
監視カメラが有効に機能するためには幾つも前提条件が必要ですね。
例えば、まず第一に、何をやって良いのか?何をしてはいけないのか?について、地域社会でコンセンサスが出来上がっており、教師、生徒(児童)共に、その善悪を事前に理解していること。第2に、人の目があるところでは、悪いことを控えるという行動様式が、教師と生徒(児童)の両方に定着していること。
これらの前提条件が成り立っていない状況で、監視カメラやマイクをいくら増やしたところで、いじめで深刻な事態が起きた後の、責任追及合戦の資料にはなっても、予防にはならないでしょう。責任追及をするにしても、何が善で何か悪かのコンセンサスが無ければ、記録された情報も、泥仕合の道具に使われるだけでしょう。つまり、教師や生徒(児童)の言動をどう評価するか?という問題についてのコンセンサスがまず必要だということです。

今の日本で、その前提が成り立つ地域が幾つあるのでしょう?
監視は体裁作りにしかならないのでは?それ以前に大人が、どんな事情があってもいじめは悪だという価値観を、子供達にはっきり示す必要があるでしょう。今はそれすら出来ていないのですから。

余談になりますが、いじめを原因とする不登校や自殺、心理的な傷は、数ヶ月、場合によっては数年以上いじめを受け続けた積み重ねの上に起きるケースも珍しくはありません。現実問題として、何か問題が起きたとき、それだけ長期に渡る監視データを誰がトレースするのでしょう?それだけの時間を使える人が、世の中にどれだけ居るのでしょう?

23 哲人 11/08 14:42
私は学校でいじめをなくす方法は一つしかないと思っています。
監視カメラ&マイクの設置です。
教師が監視し続ける必要はなく、登校から下校時間まで録画録音して一定期間保存すればよいと思います。
教室はもちろん、廊下・体育館・校庭・裏庭、更衣室やトイレは出入り口だけでもいいでしょう、いじめの現場になりそうなところはすべて死角なく設置することが必要だと思います。
できれば職員室にも設置したいですが、さすがに難しいか(笑)
録画データは第三者機関が管理し、編集は許さない。
保護者・生徒から要請があればいつでも見せなければならない。
プライバシーとか監視社会がどうのとか反論はあるでしょうが、これ以外にいじめをなくす本当に効果的な方法は考えつきませんでした。
たくさんの子供が自殺するほど追い詰められているのに、プライバシーもへったくれもないと思いますが、生命よりプライバシーが大事という人もいるのでしょうね。不思議ですが。
本当の問題は、かなり予算がかかりそうということですね。それこそ生命にはかえられませんが。

22 哲人 11/08 14:27
「動物の本能」や「自然淘汰」などの、一見科学的な用語でいじめを正当化したり逆に非難したりするのは、問題点をあいまいにしてしまうだけだと思います。

人間の肉体や行動の全てを「自然淘汰」だけで説明できるわけではないのです。
たとえば「癌になりやすい遺伝子」というのは「自然淘汰」の対象にはなりにくい。遺伝子が発現したときにはすでに子孫を残してしまった年齢に達しているからです。
「本能」についても、行動様式が複雑な動物ほど、生得的な本能だけではなく、後天的に学習した行動の重要性が高くなります。

イルカも群れ対群れだけでなく、群れ内の子殺し行動もありますし、チンパンジーも群れ内で老いたボスをいじめ殺すような行動も観察されています。かと言ってもチンパンジーでいじめ殺されない元ボスもいますし、だいたい人間はイルカでもチンパンジーでもありません。

私はダーウインの進化論を大いに支持するものでありますが、人間の社会問題に動物の例を自説の補強に使うのには、(どちら側に立つにしても)賛成できません。

21 風の音 11/08 12:41
ありがちな話で、自分の内面を正直に綴った筆者を責めたくはありませんが、
>そんな動物の本能
は科学的に見て誤りでしょう。少なくとも群れで暮らす動物として進化を遂げたホモ・サピエンスの場合は。
チンパンジーやイルカでも、確かに残虐ないじめや殺戮が観察されていますが、それはあくまで群対群の戦いであって、自分が所属する群れの中で、弱者に対して、序列の維持に必要なレベルを逸脱した攻撃を繰り返したり、それをボス(学校でいえば教師)が押さえられないというのは、種としての本能が、むしろ損なわれた状態でしょう。

いじめ問題は、群れを作って生息する種である人間が、自滅に向かっている状態ではないかと思います。子供も種としての本能を失っていますが、それ以前に、種としての健全な本能を失った個体が教員として配属されている状況も、問題だと思います。

20 X 11/07 22:29
私は記者の言うことは結構理解できますね。
万引きのくだりも十分に情状酌量の余地があると思います。
あえて言えば、小中学校には社会性に乏しく凶暴で陰湿な犯罪者予備軍と思われる動物以下の児童は必ず一定数存在すると思いますよ。(実名じゃとても口にできませんが)
そんな連中と気弱な児童を狭い教室内に一緒に閉じ込めたらそりゃいじめも起きるでしょう。
私も大学のような選択参加スタイルの学校を増やすといいと思いますよ。人格のゆがんだ児童を真人間に修正するより、よほど現実的な対策でしょう。

18 タキョシ 11/07 22:00
>動物は、弱くおどおどした者を排除しようとする性質があるのではないでしょうか。
>ただ、今でもそれが悪いことだとは思えないのです。正直なところ、謝罪する気持ちもおきません。
あなたは動物の本能だから仕方がないと言いますが、人間は他の動物とは違います。
しかも、悪意も謝罪する気持ちもない。あなたは、人間が本来持つべき人間としての最低限の倫理観もない。
あなたは人間ではなく、人間以外の他の動物です。

立場が逆転したら、万引きをいじめが原因だという。そして学校に与えた損害で悦にひたる。
あなたの動物の理論では、あなたがいじめられるのは必然では?

>自殺も考えましたが、死ぬ勇気はありませんでした。
死にたいと考えるのではなく、生きたいと考えるのが本来の動物の遺伝子では?

都合のいいときだけ人間にならないでほしいです。
私は、あなたみたいな人間がいるからいじめはなくならないと思います。

17 WilЬur Wright 11/07 21:45
 いじめ対策の新案は、“一つの案” として論じられてもいい、とは思いますが、

 “友達が出来る可能性がある”、 という事は、 “いじめが起こる可能性がある”、という事だと思いますが … どうでしょう ?

16 kousuke 11/07 16:13
私にとっては、記事を投稿すること自体が大変勇気のいることです。にもかかわらず、いじめ問題に関する自身の体験談を投稿されたことに敬意を表したいです。

差別やいじめの本質は、自分自身を客観的に捉え、その上で、相手の立場に立って考えることが出来るかにかかっています。

投稿記事の中で、「 ただ、今でもそれが悪いことだとは思えないのです。正直なところ、謝罪する気持ちもおきません。そんな自分に嫌気がさすことがあります。」という下りがあります。私はこの部分に引きつけられました。
私自身も、自分はなんと冷たい人間なんだろうと、感ずることがあります。

上記の最後の部分に「そんな自分に嫌気がさすことがあります」と書かれています。私はこの言葉に、大変重いものを感じます。

愛情や思いやりの欠落した人間は多いものです。(大なり小なり大半の人間に言えることかもしれません)このことは本人だけの問題ではありません。まず子供を育てる人との関係の中で、築かれていくものです。

最後に私がこの記事を読んで感じたことは、記者が過去にいじめた人と、落ち着いた環境の中で、もし今会うことが出来れば、きっと素直に謝罪することが出来るだろうと・・・そんな気がしました。

終りに余談ですが、万が一その人物と記者が会うことが出来たら、その相手の人物が、いじめが始まる以前に、記者のことをどう思って接したのか、その心の内を知りたい気がします。(勿論いじめの言い訳にはならないことを前程の上です)

15 jichan 11/07 09:14
>>10 Hounddogさん
> 随分と虫のいい話ですね。

私はそうは思いません。
いじめというのは立場が違えば認識も正反対になるものです。
それを客観視せよ、というのは生徒にとっては無理な要求だと思います。

問題は、違う立場が重なり合うその現場を包括的に監督する立場である教師が立場や認識を客観的なものにできないことです。
その原因は、一つには教師の質の低下であり、もう一つは教育行政組織の硬直化です。特に後者は教育委員会をはじめとする組織に蔓延する官僚主義の弊害だと思います。

さらにいじめという行為そのものの質も昔とは変わってきてますね。これは>>14でねこだらけさんが指摘されているように、家庭環境の変化が大きく影響しているように思います。
子供の人格形成の重要な時期に、情緒の面で破綻してます。
最近よく街中で、いわゆる「ヤンママ」が子供を叱るのにほとんどヤンキー同士の喧嘩みたいな口調で怒鳴っているのを見てびっくりします。
あれではまともな子供が育たないと思うのは、私が古い人間だからでしょうか。

14 ねこだらけ 11/07 00:08
人間なんて、いじめたりいじめられたりするものだとは思うが、最近の「いじめ」は度を越していると思う。それこそ遺伝子の問題じゃないか?!と思わせられるほど。そういう意味で、この記者さんのなんだかわからないけどいじめてしまった、というのも本当にそうだったのかもしれないな、と。
中学になってから自分がいじめられたみたいだから、環境に影響されやすいこどもだったんだろうな、と推察します。万引きも愛情欲求の表れだと言われていることだし。
いじめる側の人間がそれほど罪の意識なくやっているとすれば、それについて考えることはいじめの問題を解決するキーポイントになるのでは?サイコロジストにがんばってほしいな。

もちろん、学校環境や家庭環境の改善をすることは大前提でしょうけどね。

13 am 11/06 23:03
 人がいやがることを楽しいと思う人、他人の気持ちを理解できない人は、いじめを行う可能性が大きいと思う。だからそういった人は、どこかで生きづらさをかかえているのでないかと思う。でも、変わることができる人もいると思う。きっかけは、身近な親しい人の死とか、自分の子どもができたときとかでないだろうか。

12 ねこまんま 11/06 22:43
>動物は、弱くおどおどした者を排除しようとする性質があるのではないでしょうか。

つい先日のこと、爆笑問題の太田さんが「相手の中に自分と同じ不細工さを見出したとき、自分は相手をいじめてしまう」といった主旨のことを言っていました。「弱くおどおどした者」が記者さんにいじめたいという欲求を起こさせるのは、記者さんの中に「弱くおどおどした部分」があるからでは。それを認めたくないので、自分と同じ部分を持つ者をいじめてしまうのではないでしょうか。

>時間割は個人ごとに決め、学科の授業開始時間が決まっていて、その時間に合わせて受講する方式がいいと思います(自動車学校のような授業方法)。

この部分には賛成です。いじめとはあまり関係ないとは思いますが。

11 行雲 11/06 22:35
 「いじめる側が多数だと、少数のいじめられる側に異常があると判断されます」ってあんた、だれが「判断」するのよ。いじめてる側が勝手に錯覚してるだけだろ。
 「学校というのは多数決の世界」って言うけど、実際にはいじめを行っているのは、「教室」あるいは、極めて他から見えにくい、閉鎖された空間だろ。大っぴらにやってるわけではないだろ。隠そうとしているだろ。
 先生も含めた学校関係者全体が見ている前でいじめはやれるものかね。あるいはPTAも含めてはどうだ。それでもいじめている側が「多数」を取れるかね。いじめている側が正常なら、極端な話、全国に実況しているテレビカメラの前で、顔を晒してやれるかね。恥ずかしくてできゃしないだろ。

 「水戸黄門」で、よってたかっていじめられているところを、助さん角さんが助けに入る場面があるだろ。視聴者は助さん角さんに喝采を送るはな。決していじめている側に喝采を送ったりしないわな。
 人間とはそういうものよ。

10 Hounddog 11/06 21:50
随分と虫のいい話ですね。
小学校時代に自分が行ったいじめについては

>「今でもそれが悪いことだとは思えないのです。正直なところ、謝罪する気持ちもおきません」

と開き直る一方、中学・高校で受けたいじめについては、

>ただ、学校には不満がありました。教師に訴えてもむだでした。授業中にいじめられていても見て見ぬフリなのです。
>学校というのは多数決の世界です。いじめる側が多数だと、少数のいじめられる側に異常があると判断されます。「君は協調性がない。もっとみんなと打ち解けなさい」と言われるだけです。高校はケンカすれば退学もありますし、耐えるしかありません。

と、自分がかつてA君に行ったことは綺麗さっぱり頭の中から追いやったかのように繰り言を述べる。
こんな首尾一貫しない人が何を言おうが、説得力ゼロです。

9 哀独者 11/06 21:44
生理的にあわないなら必要以上に関わらなければ良いわけで
いじめの理由にはなりませんよ。
人付き合いを学ばないで社会人になんかなったら
5月病で退社やら自殺なんかが増加するだけだと思いますよ。

7 Mint 11/06 20:13
転校生への「いじめ」は多いようです。
オダギリ・ジョーと課長次長の河本が同じ転校生で逆に仲良くなった話は有名ですよね。

私がショックを受けたのは
>動物は、弱くおどおどした者を排除しようとする性質があるのではないでしょうか。

の一文です。
獣にはあるかもしれませんが人間には無いです。逆にそのような感情を持つ人間は獣です。

記者の年齢は解りませんが、最近の若者の感覚に人としての感性が欠如してるのではと思うときがあります。

それは、自己愛が強すぎて他を愛する感覚が欠如してる現象です。「いじめ」もそうですが、基本的に人間として生きていない、獣の掟が自分を支配してると肯定する人間らしさの欠如。

飲み会の席で後輩を殴ったことがありまして、
「結婚なんかして、子供が出来て、子供が成人するまでの20年、俺って奴隷じゃない」
って言った子が居まして、
「俺をバカにしてるんかぁ」
と手が先に出ました。

なんで、他人を愛せないのか。

いじめ、援助交際、少子化、履修回避、総てが人間は他人を愛してこそ幸せを得られるって感覚の未体験故の欠如です。

犬や猫をペットとして飼う前に、人間は人間と正対すべきです。

その意味でこの記事は軟弱フニャフニャで、よくもまぁ、編集部は採用したなと思います。

6 わだっち 11/06 19:46
>無意識に本を万引きしていました。

万引きは無意識ではできないと思うのですが。

無意識のうちに物に当たっていたのであればわかりますよ。
私自身、高校受験の不安定な時期に足元にあった家具を壊したことがあります。ほんとそれは一瞬の出来事なんですよ。意識的にやったという感覚ではないんですよね。

でも万引きを無意識にやるというのがわからない。仮に品物を無意識にポケットに入れたとしてもすぐに気づくはずですよ。

ただK野さんの場合は、十分更生できるパターンだし、実名での告白もほんとすごいと思います。

5 tantakatan 11/06 19:18
学校というのは、子どもたちが小さな「社会」を体験するところです。決して教科の学習だけが目的ではない。日々繰り返される人と人との関わりの中で,将来社会へ巣立ったときの生き方を学ぶのです。ホームルームを無くして授業を選択制にしても,周りは人だらけです。いじめの解決にはならないのでは?うまくいかないから,そんな努力はやめてしまった方が良い,というのでは,後ろ向き過ぎませんか?人と関わらずには生きて行けないのが人間なのですから,正面切って立ち向かうしかありません。いじめた側もいじめられた側も今、親になり,教師になっているのですから,親と教師とが経験を生かし,知恵を出し合うしかないと思います。

4 yonemura 11/06 13:54
小学校~高校もクラス制をやめ、大学のように単位制で、仲間と集まりたい人はクラブやサークル活動をするのがいいのかもしれませんね。
よくは知りませんが、飛び級や落第が多かった昔のほうが自由だったのかも。

2 straysheep 11/06 13:07
 自分がいじめをしていたことを実名で書くことは勇気がいったとは思うが、結局の所「自分のやったいじめは正当化」し、「自分が受けたいじめには不満を持っている」訳ですね。この時点で主張が破綻しています。しかも、万引きしたことをいじめ(孤立したこと)を原因に言い訳しています。あなたがいじめた「A君」も精神的に追い詰められたと思いますよ。しかも、転校により孤独感が強いところで、明確な理由も無くあなたにいじめられたのですからね。あなたは、この記事を書くに当たって「A君に謝罪」をする必要があると思います。それが出来ない(するつもりも無い)のにいじめについて論じることはおかしいと思います。

1 香林塾の先生 11/06 12:13
いじめたり、いじめられたり、様々な事例が有ることと思います。
しかし、それが限度を超えないように、何とかならないかと考えるわけです。
はるか未来の話ではなく、何とか、明日からでも改善できる方法はないかと考えるわけです。


人間が捕食者であるかぎり他への攻撃性はなくならないでしょ。それでも社会を保つために試行錯誤されてきたのがでありルールであり法律です。ボスの女には手を出すなとか、貢物をしたヤツはきちんと面倒をみるとかですな。歴史時代に入ってからは体裁よくまとめられるようになりましたが、近代に入るまで戦地における「盗み犯し殺す」は勝者の当然の権利でした。ざっといいから歴史を見返してみ? 本当だから。日本もわりと例外じゃないですしね。

ロシアは現在進行系で「盗み犯し殺す」を実行していますね。さすが蛮族www(善良なロシア人を除く)


いじめだとツイしてた方もちらほら見かけたので、上記経緯を何度も参照のこと。わたしには売られた喧嘩を買ったら相手が逃げ出したようにしか見えません。他にどう見えるのかちょっと理解できないですね。