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【くらしの話】1000万ウォンで60坪の大邸宅を手に入れる

引用元URL:http://www.ohmynews.co.jp/LookKorea.aspx?news_id=000000003271

カン・ギヒ
2006-11-20 11:23

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撮影者:カン・ギヒ

 都会で暮らしていたころ、一度も自分の家を持とうとは思わなかった。住宅の価格が論外に高いうえ、望んでも叶わないものと、持ち家についてはあきらめていたのかも知れない。

 持ち家に対する執着がないので、誰もが持っている請約通帳(請約関連預金を通じて一定の要件を備えた者に同時分譲されるマンションを請約できる資格を与える制度に基づく通帳)も作らなかった。田舎に来る前は、京畿道ソンナムのオクタプパン(屋塔房。屋上に建てた別棟)に住んでいた。その頃、パンギョ新都市が発表された。人々は請約通帳をつくれと薦めた。家を持たず、居住基準を満たしているから、請約通帳だけあれば当選する確立が高いというのである。

 周りの人びとの言葉に従ったなら、今頃パンギョにマンションを構える「金持ち」になっていただろう。実際、パンギョ新都市のマンションを分譲された人もいる。しかし、そんな話を聞いてもまったく羨ましくなかった。

 もう少し正直に言えば、マンションが当たっても私にとっては負担になっただろう。中途金と残金を払うことを考えると、夜も眠れそうになかった。

 もちろん、当選したマンションを売っていくらかの利ざやを残す方法もあったが、それすら私には面倒なことだったのである。ただ、するべきことを楽にこなして暮らせる空間だけあればいいという考えだった。そんなわけで、自分の家を持ちたいという執着などあるはずもなかった。   

 その頃の私は、長い都会暮らしで身も心も疲れ果て、田舎への脱出を夢見ていた。幼い頃、都会へ脱出したかったときのように、疲れ、病んでいた。

 オクタクパンの保証金があればどこへでも行ける気がした。これといって持っているものもなく、発つのも簡単だ。暇さえあれば空家を探して歩いた。綺麗な家でなくとも、楽に暮らせそうな家ならよかった。

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撮影者:カン・ギヒ

 田舎出身の私は、まず山と渓谷があるところに行きたかった。江原道ヤングのオジ村や華川(ファチョン)を訪ねた。しかし、住みたいと思うような場所はなかなか見つからなかった。

 そうして数カ月が過ぎた。インターネットで検索していたところ、地上権だけの家を見つけた。家は江原道平昌(ピョンチャン)郡にあった。600万ウォンなら、価格もちょうどいい。計算してみると、戻ってくる保証金が1500万ウォンあり、家代を払っても十分に残る。

 平昌の家は、村からさほど遠くない場所にあった。一日中陽射しに包まれる南向きの家だ。そのうえ、家の前には平昌川が流れている。気に入った。すぐに契約した。すでに空き家で、いつでも入居できることも気に入った。

 家の修理にかかったお金が200万ウォン。できる限り節約した。そうして2年近くここで暮らした。それが、前の冬、故郷である江原道チョンソンに空き家があるという情報が入ってきた。いつか故郷に帰ろうと思っていたところだ。情報に耳をそばだてた。

 平昌の家を売るのは惜しかったが、すぐにチョンソンに向かった。家はカリワン山の端の谷あいにあった。平昌の家のように、未登記で地上権だけの家だったが、周辺に家が見当たらないのが気に入った。

 なにより、黄土づくりであるうえ、家の構造、大きさが私の心をとりこにした。窓から見える風景や周辺の様子は、のんびりしていた。その場で契約を終え、平昌の家を空け渡した。

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撮影者:カン・ギヒ

 平昌の家は田園住宅で遜色もなく、1200万ウォンで売れた。新しく引っ越す家の価格は700万ウォンだった。家代を払っても、修繕費は十分に残る。1年以上空き家だった家は、ゴミだらけだった。何人かの人がこのゴミのせいで決心がつかず、購入をあきらめたという話を聞いた。

 だが、田舎の家は土台さえしっかりしていればいいということを経験から知っていたので、家の修理はどうということないという考えだった。そのうえお墓をひとつ管理すれば、1000坪の畑を使えるという好条件だった。

 まず、一間だけ壁紙と床の油紙を張り替え、引越した。この一部屋が相当広く、平昌の家の荷物がすべて入った。平昌に引越したときと同様、引越してから本格的に家の修理を始めた。リビングをふくめ、9つの部屋があり、壁紙、床紙を張り替えるだけで2ヵ月かかった。

 土づくりの家の特性を生かすため、壁紙には韓紙を用いた。床にも油紙の代わりに、昔式に、コンテムを施した。紙の上にふやかした大豆をひいて塗りつけるコンテムは、丁寧さと時間を要する作業だった。

 新しい家の魅力は、部屋ごとにオンドルの焚口があり、暖房費がかからないという点だ。最近は山に木が多すぎるほどで、その点の心配もなかった。まずは前の主人が残していった木を焚口にくべた。火を焚いたオンドル部屋で寝たのは40年ぶりだ。 

 体の疲れがジンワリとほぐれ、よく眠れた。家の修理が終わり、この前の父の日には母を招待した。母も故郷を離れて20年ぶりだと、喜んでくれた。

 今住んでいる家は、修理費込みで1000万ウォンである。都会では夢のような話だ。都会のサラリーマンの2ヵ月分ほどの月給で、大邸宅を手に入れたのだ。

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撮影者:カン・ギヒ

 今年一年、春には山菜を摘み、夏には渓谷で仙人になって暮らした。秋には山草の実をとり、山草の油を作った。最近は、オンドルの焚口の火でさつまいもを焼いて食べる楽しみができた。

 複雑な世事も考え方ひとつで、仙人の世界に住める。運動もかねて木を刈りにいくのは、また違った楽しみである。家代も保証金も上がって戦々恐々とすることもない田舎暮らしの醍醐味は、心が楽だということだ。

 田舎に暮らしてみると、未登記なうえ、地上権だけの家は不安ではないかという人もいる。そう尋ねる人は、大概、都会の人だ。一言、そんなこと気にすることないと答える。田舎には未登記の家がいくらでもあるとも付け加える。

 田舎の人びとは、それでも数十年暮らしている。都会的思考をもってすれば、田舎暮らしは大変でやってゆけない。私も初めは登記がどうのこうのと言った。今はそんなことは、考えもしない。

 退屈じゃないかという人もいる。退屈していられないのが、田舎だ。インターネットとテレビが世の中とつないでくれるので、生きるうえで何の支障もない。退屈したら、心の雑草を摘むように、庭の雑草を抜けばよい。

 田舎に行ったら、何を食べて暮らすのかと心配する人もいる。食べる物は自然食だから、都会よりよほどいい。問題はお金だが、これも欲を捨てれば簡単だ。少なく稼いで、少しだけ使えばいいのだ。

 近所にソウルから来た夫婦がいる。40代だが、楽しそうに暮らしている。公共の勤労に一日出かければ、その報酬で1週間暮らすという。彼ら夫婦は、晴れた日にはバイクに乗ってでかけ、川辺でラーメンを作って食べる。とても快適に暮らしている夫婦である。

 風の音が心地いい。カリワン山を覆う雪もありがたい。時折訪れる山の動物たちもいとおしい。さえずる鳥の声も楽しい。

 母はもう、オンドルに火を入れている。ポカポカするオンドルで背中を暖めるのが何ともいいという。煙突から上る煙を眺めるたびに、自然に微笑がこぼれる。

オーマイニュース(日本版)より

※引用文中【画像省略】は筆者が附記


この記事についたコメントは1件。

1 ハラボジ 11/23 20:39
カンギヒ貴下   T田@市民記者です。

こころ暖まる良い記事です。カンギヒさんは現代の

キムサッカス(編み笠の金さん)ですね。写真のほか

きっと作歌・作詞もされるのでしょう。


リタイアして悠々自適な暮らしというのは憧れます。ラジオで時々話題に登る古民家を修繕するなどして田舎で暮らし始めた方は、どなたも手に職を持った方だったような覚えがありますね。染織家の方だとか木工職人の方だとか。最近だとリモートワークも可能な職種もあるでしょうしもう少し幅広い層で住む場所を選ぶ動きがあるかもしれません。

首都ソウルの住宅事情は相変わらずのようですので、この記者さんのように地方で暮らす道を選ぶ方も多そうです。