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【トラベル】昌寧・牛浦沼と三千浦

引用元URL:http://www.ohmynews.co.jp/LookKorea.aspx?news_id=000000002781

イ・ヒドン
2006-10-31 09:00

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撮影者:イ・ヒドン

 金曜日、退社したその足でデジタルカメラを下げ、昌寧(チャンニョン)の牛浦(ウポ)沼に向かった。牛浦沼は、写真を習い始めた者なら誰もが一度は行きたい場所だ。人間の手がおよばない所などない昨今、人を寄せ付けない自然はそれ自体が驚異的な被写体だからだ。ソウルから遠く離れた昌寧。蔚山(ウルサン)での暮らしは、私に牛浦沼を訪れる絶好の機会を与えてくれた。

 昌寧の村に一晩泊り、明け方に市内バスで牛浦沼に向かった。思い通りにはいかないものだ。バスは牛浦沼までは行かず、遠く2kmも離れた場所に私を降ろした。いまだに車がなければ行き着けない。

 思った以上に遠く、牛浦沼方向に行くトラックをヒッチハイクした。ようやく牛浦沼だ。牛浦沼に向かう道は行き止まりで、その果ては巨大な工事現場になっていた。私を乗せてくれたトラックは、この工事現場に向かっていたのだ。工事現場は「牛浦沼生態公園」を建設中だった。勇壮な建物が建てば、自然学習活動だ、どうだこうだと、牛浦沼について説明してくれるだろう。砂埃のたつ工事現場を眺めていると、胸苦しくなった。

 寂しげな脇道を行くと、広大な何かが開けた。沼というからにはスイスイと人がはまる、そんな沼を想像していたのだが、牛浦沼は巨大な湖となんら変わらない。明け方の靄の向こうに静かな村と勇壮な山のシルエットが浮かび、沼のほとりにはあらゆる種類の鳥たちが私の気配に羽をバタつかせた。これこそがまさに汚れのない自然の姿だ。あるがままに残された沼の姿に、ただ感謝する。この狂気の時代に、これほど広大な空間があり続けることは容易くはないだろうに。 

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撮影者:イ・ヒドン

 牛浦沼の終わりは、また別の沼の始まりだった。その規模の広大さゆえに、牛浦沼は人びとに知れ渡っている。牛浦沼は、正確には4つの沼が群落を形成している。牛浦沼(1.3平方km)、木浦(モクポ)沼(53万平方メートル)、サジ浦(36万平方メートル)、チョッチポル(14万平方メートル)。その名前にさえ思いがこみあげる。

 牛浦沼を出て、つぎの目的地、南海(ナムヘ)のクムサンに向かう。ヒッチハイキングで時間に余裕ができた私は、まっすぐ南海に向かわず、まず泗川(サチョン)の三千(サムチョン)浦に足を向けた。いずれにしろ三千浦と南海はすぐ隣なので、南海にはあとでも行けると判断したのだった。

 三千浦に到着して深刻な問題が生じた。南海まで行くバスは早くになくなるというのだ。タクシーもあるが、その費用は高すぎる。けっきょく、私は三千浦の落日とクムサンのポリ岩の日の出のうち、どちらかを選ばなければならなかった。そこで私は、ポリ岩の日の出を放棄し、落日と三千浦大橋やチャンソン大橋がもっともよく見えるという三千浦のカク山に登り始めた。

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撮影者:イ・ヒドン

 やがて日は傾き、四方が赤く染まり始めた。大韓民国の地でもっとも美しい道といわれる橋は、本来の色を消してひとつふたつと照明が光を放ち、橋の向こう、南海島の峰々も人口の明かりをともしている。隣で、ある人が息子に、あそこが李舜臣(イ・スンシン)将軍が戦った場所だよと教えているが、美しい日没の風景はそれらすべてを瞬時に消し去った。毎日のように起きる奇跡、この奇跡に感謝するばかりだ。

オーマイニュース(日本版)より

※引用文中【画像省略】は筆者が附記
この翻訳記事の元記事は以下。


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雄大な自然の中を歩くと心が洗われますね。自然を大切にする気持ちは大事です。自然保護と言えば、辺野古の自然を守るため基地移設に反対して座り込みを続けておられる山城博治氏の活動は外せないでしょう。

現在は後進に道を譲られたようですが、それでも意気盛んなご様子です。

あ、ちなみに山城博治氏は社会民主党の常任幹事です。

共産党と強いつながりのある仁藤夢乃氏はいろんな方とColaboされておられるようですね。