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約束事の重なり

引用元URL:http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000001586

「仮名手本忠臣蔵」観劇記
記者名 I川 M之
2006-09-26 14:50

 「忠臣蔵」の観劇は、幾層にも重なった約束事の享受である。

 誰もが知るとおり「仮名手本忠臣蔵」は、元禄期の事件を題材とするものでありながら、物語は「太平記」の時代のそれとして緊張感を漂わせながら進んでいく。大序の舞台となる鎌倉・鶴岡八幡宮に並んだ、高師直(こうのもろのお)は吉良上野介であり、塩冶(えんや)判官は浅野内匠頭である。時の権力に配慮しての作劇ではあったが、初演当時、観客は舞台で繰り広げられる遠い昔のこととされる一齣一齣に、記憶にまだ生々しい今時を重ねあわせ、あらためて溜飲を下げたのだった。こうした成り立ちは「仮名手本忠臣蔵」の最も重要な勘所である。

 歌舞伎での近時の通し上演は、2001年4月のことだった。新たな世紀を迎えた春の公演では、かつては確かにあったろう赤穂事件への喝采や往時の権力への憤懣(ふんまん)を重ねる者は皆無だった。もちろん寛延元年(1748年)の初演以来継承されている登場人物の読み替えという約束事は変わらない。しかし舞台を目(ま)の当たりにして湧き起こる感興は、時代を経て大きく異なるものとなった。観客である我々は、今、「仮名手本忠臣蔵」を史実からすっかり切り離し、歌舞伎役者たちに大切に受け継がれる最大の演目として心を浮き立たせ受け止める。

 6年前の新橋演舞場での興行は「七世梅幸七回忌・二世松禄十三回忌追善」と銘打たれ、目の前で絢爛(けんらん)豪華に繰り広げられる物語の登場人物に扮する菊五郎や辰之助に溜め息をつきながら、まだ思い出というには記憶もあらたな梅幸や松禄の在りし日の姿を二重写しにしていくことが初めからの約束事として与えられていた。

 当時はまだ新之助と名乗っていた海老蔵の定九郎(さだくろう)はどんなだろう。菊之助とのお軽勘平はどう演じられるのか。かつての孝夫・玉三郎を凌駕(りょうが)できているだろうか。物語そのものの展開への興味より、そうした継承の芸としての歌舞伎を演じる役者ひとりひとりへの関心の方がはるかに重大事だった。

 同時期に場所を移して歌舞伎座で八段目と九段目が上演されたことも、眼前の舞台に他を重ねあわせるという「仮名手本忠臣蔵」独自の趣をますます深くしたことだった。演舞場と歌舞伎座という物理的に離れた2つの空間をひとつに統合して、好事家たちは壮大な歴史絵巻を思い描くことになったのである。歌舞伎座は演目に「十四世守田勘弥二十七回忌追善」と横書きされ、玉三郎の戸無瀬(となせ)初役に、ここに至るまでの玉三郎の役者としての足跡とかつての勘弥の所作に思いを馳(は)せるべく演舞場とは別に動機付けされていた。両所いずれでも伝統の魅力を十分に堪能し、満喫できたことを昨日のことのように思い出す。

 このたびの国立小劇場での通し上演での話題は、なんと言っても蓑助の由良之助初役である。永らく玉男の定役であった立ち役を、女形の名手がいかにして遣って魅せてくれるか。文楽の愛好家たちで、98年に蓑助が当たり役のお軽を演じているさなかに脳出血で倒れたことを知らないものはない。江湖(こうこ)の不安を払拭(ふっしょく)するようにして再起なった蓑助が、このたびは体調不良により決まり役を辞した玉男に代わり由良之助を遣るとなれば、チケットの払底も頷(うなず)ける。お軽は桐竹勘十郎で、勘十郎は九段目で由良之助を遣るという心憎い配役でもある。

 大劇場では、来月から3カ月通しで開場40周年を記念して真山青果の「元禄忠臣蔵」が全編上演されることとなっており、ここでも大石内蔵助を吉衛門と幸四郎とによる藤十郎をはさんでの兄弟競演が話題になっている。

 歌舞伎そのものが数々の約束事の重なりであることは言うまでもない。そのなかでも「忠臣蔵」は、そうした特質を殊更に増幅させる作品であること言を俟(ま)たない。

 観客は史実と歴代の名人上手を重ねあわせ、歌舞伎にとどまらず、落語や映画・テレビでの体験まで重ねあわせることになるのだが、この度の小劇場での文楽通し上演を「大序」とする大劇場での年の暮れまでの興行は、「忠臣蔵」の真骨頂であるところの二重三重の重層性を色濃く醸したものとなっている。

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歌舞伎に限らず映画・テレビの時代劇、アニメ・マンガまで『忠臣蔵』をとりあげたメディアは数多いですが、近年年末特番での大型時代劇として放送される『忠臣蔵』がないためか、認知度は下がってきているように思います。いくつかのアンケートや調査を見てみたのですが、10代、20代だとざっくり3割程度の方しか『忠臣蔵』を知らないようです。

そもそもテレビや動画サイトでも時代劇をやっているところはめっきり見なくなりました。時代劇専門チャンネルのCMをときたまみかけるくらいです。昭和生まれとしてはさびしい限りですが他に楽しいことがたくさんありますしこればかりは仕方のないことかもしれません。