見出し画像

─アンニョン ピョンヤン─

引用元URL:http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000002142

なし
すんはぎ
2006-10-06 20:04

―アンニョン、ピョンヤン―
 安倍内閣発足の翌日、奇しくも、在日朝鮮人一世の生き様を追ったドキュメンタリーが、NHKの朝のニュースでトピックとして取り上げられた。
 
 ところで、原題は、「ディア、ピョンヤン」。日本では、このまま公開されているのだが、僕が昨年、釜山国際映画祭で見た時には、「アンニョン、ピョンヤン」と、親しみやすいタイトルになっていた。、
 
 ということで、「アンニョン」について、少しだけ。
 「アンニョン」という言葉は、本来、「お元気で」という意味で、朝鮮半島に暮らす人々が、毎日の挨拶で使っている。お陰で、「こんにちは」でもあり、「さよなら」でもある。訳す場合には、その状況が分からなければいけないから少々やっかいだ。
 それでも、NHKのハングル講座、「アンニョンハシムニカ」によって、ようやく市民権を得た感じ。そう、「アンニョン」は、「アンニョンハシムニカ」の口語体なのです。

 さて、ドキュメンタリーというのは、映画よりも強烈に印象に残るものらしい。テーマが身近であればあるほど。
 僕は、このドキュメンタリーを、昨年の釜山国際映画祭で見た。

 昨年、僕は、釜山国際映画祭を舞台にした日本の映画の撮影準備のために、監督をはじめとするスタッフの一員として、当地を訪れていた。日々、撮影に追われるスタッフに付き添って、通訳ガイドの役をかって出ていた。
 そんな時、たまたま、別行動をしていた監督が、この映画を見て、さらには、ティーチインまで参加して、尚、このドキュメンタリーを撮ったヤン・ヨンヒ監督と直接話をしたというのだ。結果、在日韓国人である僕は、是非、見るようにと薦められて、翌日、見ることになった。

 スクリーンには、ハンディカムか何かで撮られた素朴な映像の中に、よく見慣れたアボジの顔。そして、オモニの顔。表情は穏やかだが、芯に秘めたその強さ、女の意地がちらつく、そのなんともいえないオモニの顔。

 だからか、僕のスタッフの監督に、在日としての意見を求められたので返した言葉、「どうってことないでしょ」という言葉とともに、僕は、いつの間にか居眠りしていた。
 
 暫しのうたた寝の後、僕は苛立ちを覚えた。監督のヤンさんの質問が、一世のアボジとかみ合わない。ヤン監督も、自身が意図する答えが引き出せないようだ。でも、このもどかしさは、演出なのだろう。

 今回、NHKが取り上げる前に、テレ朝のお昼の番組で、このドキュメンタリーを紹介したのをたまたま見た。所詮、日本人の北朝鮮に対する冷やかしだと思って、ケセラセラだった僕。息子3人を北朝鮮に送ってしまった在日朝鮮人の家庭など、日本人の生活、社会の中で、めったにお目にかかれる光景でないのだから、興味を引くにはうってつけだ。

 かと言って、このドキュメンタリーのテーマは、アボジの悲しみではない。もちろん、僕たち、在日の悲劇でもないはず。それを象徴するシーンは、オモニが3人の息子のために荷造りするシーンだ。慣れた手つきで、手際よく、いくつもあるダンボール箱に日本の食品や薬を詰め込む。まだ希望はある…

 娘の質問に面倒臭そうに答えながら、荷造りの手を休めないオモニの仕草がこっけいで、周りで笑い声が上がった。でも、僕はそっと涙を拭う。

 10年の歳月をかけて撮り続け、そして、アボジと心を通わせることができたというヤン監督に敬意を送ろう。だけれども、一世のアボジ達が決して口にしない体験を、ヤン監督はどれくらい聞くことができたのだろうか?、そして、隠し持っているのだろうか?

 原題「ディア、ピョンヤン」…「親愛なる平壌」。
 僕にとっては、やっぱり、「アンニョン、ピョンヤン」…「さよなら、平壌」と呟きながら、韓半島に背を向ける僕を感じる。

オーマイニュース(日本版)より

いわゆる匿名記事ではありません。

当時どれだけの人が気づいていたか知りませんが、この『ニュースのたね』の記事のコメント欄は開いていました。「面白い記事でした。釜山国際映画祭のこぼれ話も記事にしてもらえると嬉しいです」とかそういうのを思わずコメントしてすぐに消したような記憶があります。残しておけば面白かったとは思いますが、この記事が掲載された当時は市民記者さんたちとの交流は目的ではなかったので。

以降誰もコメントしていないようですので、そもそも読まれた回数が少なかったのかもしれません。