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いつの間にか「ノイジーマイノリティー」に支配されてしまう

引用元URL:http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000002956

いじめの構造と現在のマスコミ支配の共通点
栗原 宏文
2006-11-07 18:11

いじめの構造とマスコミ支配の構造には類似点があると思いますので、述べさせていただきたいと思います。

自殺等の現象はこの際置いておきまして、近年の日本での「いじめ」が陰湿になったと言われるのは、「いじめっ子」と「いじめられっ子」という直接の当事者よりも、むしろその他大勢の傍観者に特徴があるという研究結果があります(正高信男著『いじめを許す心理』岩波新書1998)。
正高によると、「いじめっ子」の攻撃性や、「いじめられっ子」の弱さに関しては、実は昔の日本とも、他国とも差はない。差があるのはその他大勢の「傍観者」だということです。

その「傍観者」達の特徴として、

・やさしい
・繊細
・マイナス思考

などがあるということです。これを「傍観者の特徴」と呼ぶことにします。
これらの要素はいじめにつながらないのでは?
と思われるかもしれませんが、次のような仕組みでいじめが広がります。


まずクラスで少数のいじめっ子が1人の子をいじめていたとします。(ここまではごく普通の現象です)

ここで多くの傍観者は最初、「いじめは良くない」と思うとのことです。しかし、だからといっていじめを止めようとはしません。

なぜでしょうか?
いじめっ子が怖いからでしょうか?
それも少しありますが、その段階ではいじめっ子はごく少数です。何人か集まって止めれば、十分止められるはずです。
少なくても、傍観者の大半で止めれば、簡単に止められます。

ここで、「傍観者の特徴」、特に「マイナス思考」が働いています。つまり自分が止めようとして、それに賛同してくれるであろう友達の人数を、マイナス思考により、実際よりもかなり「少なく」見積もるのだそうです。
「もし自分だけだったらどうしよう。自分もいじめられるのでは?」というマイナス思考ばかりが働くということです。

こうしての状況が続いていくうちに、傍観者達は「良心の呵責」に陥ります。なぜなら、「良くない」と思っているのに、「止められない」自分がいるからです。

そこでまた「傍観者の特徴」、特に「やさしさ、繊細さ」によって、その「良心の呵責」に耐え切れず、こう考えるようになるとのことです。

「止められない自分が悪いんじゃない。きっといじめられている奴が悪いんだ。そう考えれば自分が悪いことにはならない。」

こうして、傍観者の中には、いじめに加わる者も出てきます。ここまで来ると、の段階よりも、いじめる側の人数が増していて、もはや止めるのは困難となります。いじめる側がクラスの「体制」になっているからです。ここまでくると、常に誰かをいけにえにする(供儀)ことでしか場の均衡を保てないような、傍観者達による神経戦となってしまいます。


の段階であれば簡単に止められたはずなのに、結局「傍観者の特徴」によってまで進行させてしまったのです。こうしたいじめのメカニズムのことを、「赤信号みんなで渡ればこわくない」型という表現もあります。


こうした傾向は昔からあるでしょうし、海外でもあるでしょうけど、特に近年の日本では強い。それは、日本の子供が他人の目を非常に怖れる「訓練」を積んでいるというのが大きな理由です。

その「訓練」とは、日ごろからのマスコミ報道に違いありません。日本の子供達は、日ごろから常に周りの目を意識し、栗原先生の仰るようにマジョリティーなのにいつの間にか「ノイジーマイノリティー」に支配されてしまう。

(正高によると、「いじめはよくない」と思う気持ちがクラスの9割を占めていればいじめは阻止されるが、それがクラスの7割にとどまる場合はいじめは進行するとのことです。7割もいれば残り3割には勝てそうなものですが、それができないということです。)

これは子供だけの問題ではなく、日本の大人達も同じではないでしょうか。

オーマイニュース(日本版)より

既存の秩序を破壊して新たな秩序を刷り込むには、現在のロシアがやっているような正面から暴力で押し切るようなやり方は不適切です。ゆっくり時間をかけて(10年とか30年の単位で)浸透していくよう、上手に物事や理屈をすり替えていきます。

馬鹿では共産主義者にはなれません。やっかいだよねw


(削除)『十二国記』を読んでみ? シリーズ全部読んで欲しいけど、とりあえず『風の万里 黎明の空』の城壁の上での三人娘の会話の部分だけでいい。