民族のルーツ 1 ねなしぐさ はじめ 2022年7月27日 07:54 引用元URL:http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000002543更に在日コリアンについてO江 S郎2006-11-21 08:08【画像省略】写真はイメージ 関西、とりわけ大阪には在日コリアンが多い。大阪に住めば彼らとの交流の機会は必然的に多くなると言える。昔は日本人と在日が、同僚として同じ仕事をすることはまずなかった。かかわりたくなければ関わらないでいることもできたわけだ。ところが、特に高度成長期において人手不足の世相となるや、日本人の職場に在日コリアンの姿が普通に見られるようになった。背景にあるのは、人手確保にやっきになっていた企業や仲介業者が彼らを引き入れたのだ。私の知る限りでは当時、みな日本名を名乗っていた。ところが、これが不思議と日本人か在日コリアンなのか分かるのだ。言葉も外見も変わらないのになぜか分かる。それはもって生まれたメンタリティの違いなのかも知れない。 特に高度経済成長期以降、中小零細企業などで日本名で日本人と同じ職場で働きだした在日コリアン。彼らはたとえ「在日コリアン」という出自が知られたところで実力と体力が物言う仕事ならどうってことはない。もともと彼らの中には「仕事内容で勝負するしかない」と覚悟を決めている部分がある。だから例え職場で仲間はずれにされたくらいで動ずることはなかった。でも、この“覚悟”が日本人に受け入れられないという面もある。常に先輩に気を使い、以心伝心で通じ合えなくては仲間とは認めてもらえないのが日本の職場。日本社会であからさまな実力主義は多勢の反感を買う場合もあるのだ。 日本人はグループの一員であることに心の安定を得ている。だからこそグループからはじき出され、村八分状態になることを極度に恐れる傾向がある。いじめの定番は子供の場合も大人の場合も仲間はずれと決まったもの。それがまた一番効くのだ。どこかの仲良しグループに属していないと不安な日本人に対して、在日という立場の人たちの気質は少し違うように思う。グループに属するのを潔しとしない傾向があるように思う。グループにはリーダーがいて、これにおとなしく合わせなくてはならない暗黙のルールがある。しかし在日たちはそれに同調しない場合があるようだ。相応の理由がなければ同調もしないし従いもしないという合理主義に徹したところがあるのかも知れない。和やかな雰囲気を至上のものとし、協調と従順を期待する日本人は、これに少し違和感を覚えることもあるわけだ。 「周りが敵ばかりの在日コリアンが頼れるものは実力だけだ」という風潮は確かにあった。好意が期待できないからおべっかも用がない。気を使って遠慮などしないから、しゃしゃり出ることにいささかの戸惑いもない。そんな在日コリアンたちが私の周りにはいた。これでグイグイ押してこられると日本人の方が戸惑ってしまう。「部下にしても同僚に回しても扱いにくい相手だ」と思うこともしばしばあっただろう。従順で協調的、角のない人物が好まれる日本社会ではどうしても波風が立つときもある。 右へならえが上手な日本人と違い、個性も我も強いし自己主張も強いと私は思う。在日コリアンである芸能人やスポーツ選手の存在感のありようを見ればわかるように、ひと筋縄いくような人物ではない気がする。大国との攻防を繰り返しながら何千年の歴史を生き残ってきた民族の血を引いているからだろうか。大陸では弱虫になれない宿命を背負っているのだ。海に囲まれた島国とはわけが違う。住む環境が違えば感性も異なる。この違いがあつれきを生むことになる。 大陸に生きる民族は心の底から屈服も服従もしないという。大陸で固有の種として生き残るには、死んだ振りをしてチャンスを待つくらいの執念が必要なのだろう。敗者になっても自負心を失わないから態度がでかいし頭も高いのかもしれない。とりあえず頭を下げる日本人とは明らかに違うように思う。頭が高くてイエス・ノーがはっきりしていると思った。日本社会で一番排斥されるなタイプかも知れない。「よその国へ来て大きな顔をさらすな!もっとしっかり頭下げんかい!」と思う日本人だっていただろう。近頃、不祥事が起きるたびにテレビカメラの前で深く頭を下げるのが流行りのようだが、これこそが日本人の典型的な処世術だ。業者は客に、下請けは親会社に、部下は上司に、後輩は先輩にと弱いものが強い者にひれ伏すのが日本社会のしきたりだ。よそから来た新参者が大きな顔をすることなど許さないのだ。 「人の顔みてへコリと頭を下げたら間違いなく日本人だ」とは外国帰りの人から何度か聞かされた。外国で見たら気恥ずかしくなる日本人のおじぎだが、日本の社会でこれがうまくできなかったら一人前の日本人として認めてもらえない。おじぎが足りないと、「ろくにあいさつもできない無礼者」とそしられることもある。いくら日本語が達者でもおじぎのコツがのみ込めなくては日本人の仲間入りはできない。在日コリアンはこの日本的礼法のコツが会得できていないというのは私の経験だ。ついでに言うなら、帰国子女がいまひとつ歓迎されないのも、おじぎがぎこちないからだろうか。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という古い格言があるのように、日本社会では頭を下げることをもって第1の徳目とされている。 服従のイメージが付きまとう低頭を、何の抵抗もなくできるのは日本人だけだろう。誰彼なしにやたら頭を下げる人を腰が低いと賞賛する。選挙ともなれば揉み手しながら頭を下げまくる候補者。とてもよその国の人にはマネのできない芸当だ。他国に通用しない日本独特の礼法。この文化が外国人とうち解けにくい大きな障壁に思えてならない。おじぎとは他と自分をしゅん別する動作である。握手や抱ようとは似ても似つかないものだ。おじぎが深ければ深いほど距離は遠のく気がする。個人的には友好に適した作法とはとても思えないのだが……。国際化が必要だと言うのなら、マナーの型も国際標準に合ったものに変える必要があるのかも知れない。こんな窮屈な礼儀作法に息の詰らない方が不思議というものだ。 在日コリアン排斥も礼儀作法の違いという点が大きいだろう。だがこの問題はもう山を越している。ここまでの話は在日1世のころ、少し昔の話だ。在日3世ともなれば自分のアイデンティティを日本に求める傾向も強くなる。このような混血は、はるか昔から断続的に続いてきたことで、いまさら騒ぐほどのことではなかろう。どちらにしても、朝鮮半島からの渡来人によって日本の文化が更新されてきたという歴史を消し去ることはできないのだ。 日本人の苗字のルーツをたどれば、そのほとんどが渡来人に行き着くそうだ。渡来人とは当時の在日コリアンのことではないか。この歴史をどう解釈しようと勝手だが、日韓が濃い親戚同士であるという事実は変えようがない。“親戚同士”さえ仲良くできないとすれば、世界平和など口にするのも気恥ずかしいと私は思うのだ。オーマイニュース(日本版)より※引用文中【画像省略】は筆者が附記この記事についたコメントは17件。17 shouichi 11/26 17:35まあ要するに、その国の文化・風習になじめないのであれば、祖国にかえればいいだけの話ですね。そこのところ理解できていない民族がいるようです。16 deadkorean 11/24 00:02それと、渡来人という言葉も、少し前までは帰化人、と表記していました。朝鮮は朝鮮、帰化人は帰化人。このことを忘れないようにしたいものです。15 deadkorean 11/24 00:00なんですか?在日コリアンって。在日朝鮮人でしょ?最近コリアンとか訳の分からない表記で人を騙そうとする輩が多くて困ります。朝鮮語、朝鮮半島、朝鮮人、朝鮮人参、朝鮮は朝鮮。朝鮮以外のカタカナ表記で何かを誤魔化そうとしているのでしょうが、朝鮮は紛れもなく朝鮮であり、朝鮮は朝鮮と表記すべきではないでしょうか。編集部も、朝鮮を別の言葉で言い換える、このような誤った表記についてはきちんと修正すべきです。14 通りすがり 11/23 19:30ちなみに、韓国在住の人間より興味深い話を聞きました。韓国人は、欧米人には(たとえ結婚式であっても)滅多にクンジョルを強要することは無いそうです。※韓国人と欧米人の結婚自体少なかったのですが、最近はロシア人女性との 結婚が流行っているそうですので、徐々に増えてはいるようです。しかしながら、韓国人は日本人にクンジョルを強要することは多く、韓国在住の友人も、そのような場面をしばしば見かけたそうです。(もちろん、それが韓国人にとって必然的と思える場面も含みます)このことから、文化的に遠い欧米人には遠慮をするが、「自分たちと近い」、「もっと言えばルーツが同じ、俺たちの子分だ」という意識がどこかにある日本人に対しては、韓国人は自分たちの風俗、風習を強要する傾向が見て取れます。異文化を異文化として受け入れ、風習、文化の違いを認めるだけの知識、見識を、是非我々も身に付けていかなければなりませんね。日韓の架け橋になれる資質があろう大江さんには、是非「頭を下げる文化が外国人とうち解けにくい大きな障壁に思えてならない」という意識を捨てず、クンジョル廃止、クンジョル強要撲滅に向けて戦っていただきたいと思います。12 木村延夫 11/23 09:08( *H*)y-~~些か余談ですが…韓国映画「ブラザーフッド」などを見ても、韓国では祖先を拝む場合、頭を床につけて拝むようですし、一般的な拝み方ではあるのですが、日本人がそれを求められ、拝んだ場合、写真画像だけを表面的に見ると「土下座を強要された」ように見える場合もあるんじゃないかと思います。それと、この種の問題を取り上げる場合、「国民」と「民族」概念の混同が多々見られますので、注意した方が良いかも知れませんね。11 じぇじぇ 11/23 04:12O江 S郎記者 はじめまして。> 関西、とりわけ大阪には在日コリアンが多い現在、学友の一人である大阪出身の男の子も韓国の血をひいています。友人は大阪で生まれ、大阪で育ち、大阪の大学を卒業し、現在、大連に留学中の身です。友人は先日、学生寮で韓国人学生に交流会に誘われ参加したのですが、みんなそれぞれ人生観や恋愛観などを語り合ったらしいのです。その時友人は何かにつけ、「お前はそういう考え方は日本人みたいだ。在日はやっぱり韓国人ではない。日本の水、日本の食べ物で思想は日本に染まっている。韓国の土は踏むな」と言われたそうです。彼は韓国語は普通に話せますが、日本語は当然のことですが完璧な大阪弁です。大阪出身の学生たちとも仲良くつるんでいます。友人にとってはとてもショックな出来事だったようです。外国の血をひきながら日本で育った者の感情は当事者でなければ理解は出来ず、日本人である私にはうまく表現は出来ませんが、友人がその出来事を語ってくれた時のひと言は心に刺さりました。友人はこう言いました。「ほんま俺は、なにじんやねん」と。O江記者が表現するところの“親戚同士”も、互いの違いを認め合えれば仲良く出来ると思います。でも、“兄弟同士”も認め合う時代が来ればいいのにな、とも感じました。9 tc 11/23 00:42あ、孫さんは91年に日本人に帰化したんですね。8 tc 11/23 00:33でも在日コリアンの人の和式なお辞儀は在日アメリケンやエゲレス紳士より上手いと思います。日本人より上手いことやることもあるし…孫さんもドコモやAUのお偉方がやらない量販店の直接詣出で味方につけたしね。ま、個々人のやり方もあるけど。7 ご隠居さん 11/22 17:52『この歴史をどう解釈しようと勝手だが、日韓が濃い親戚同士であるという事実は変えようがない。“親戚同士”さえ仲良くできないとすれば、世界平和など口にするのも気恥ずかしいと私は思うのだ。』日本的というか、言いたいことが、最後の最後に書いてあるんですね。付き合いたくない人間とは、付き合わない、関わり合いにならない、これは当然の権利でしょう?お尋ねしますが、あなたは、暴力団の幹部や構成員達の付き合いを望みますか?多分の、NOだと思います。(YESならば、この記事にも「あー、ナルホド」と納得します。あとは、何言っても無駄でしょう。)この世の中には、付き合うべきでない人もいるのです。これは、否定できない冷酷な現実です。私の基本的なポリシーは、「誰と仲良くするのかは、個人一人一人が決めるべきこと。関係を切るべきと思うならば、バッサリと切りなさい。」ということです。ですから、私は、麻薬密売人やその支援者とは、一切関係をもちません。国家と国家の関係ならば、国は簡単には移動できませんから、どことも多少のお付き合いは、必要でしょう。しかし、個人と個人との付き合いに関しては、自由じゃないですか?「親戚」との関係だって同じでしょう。親戚が、みなよい親戚だとは限らんでしょう?6 罵倒観音 11/21 21:19渡来人って中国人なのでは?5 杜子春 11/21 15:54O江さん、お辞儀は美しい大切な日本の文化です。言葉なしで通じる万能サインなのです。おはよう、よろしく、おしえて、ありがとう、さようなら。時と場により含む意味は限りもないくらいです。誇りに思うことはあっても恥ずかしいことではないのです。洋服と着物、洋食と和食に優劣がないのと同じです。日本文化に誤解あれば折角の主張も台無しになります。4 Wingard 11/21 12:32言いたいことはここですね。>マナーの型も国際標準に合ったものに変える必要があるのかも知れない日本独自の文化が気に食わないので、在日が日本に適応するんじゃなくて、日本人が在日の文化に変えろって言いたいんだと思います。3 ひらりん 11/21 11:08 自虐的日本人論というのは語る方にとっては気持ちのいいものなんですよ。 一段高いところから「お前ら駄目だよなあ」というのはこたえられません。 私ももう少し年を取ったら、日本人論で小言幸兵衛を楽しんでみようと思います。2 ストリーム 11/21 09:59前に掲載された記事も在日コリアンがテーマだったと記憶してるけど結局のところ言いたいことがわからない。なんでだろ・・・反日っぽく感じられる記述が多いからかな?テーマが「仲良くしましょう」であるならばもう少しなんとかならないか。これじゃ下手したら逆効果。1 アニキ 11/21 09:07親戚同士でも嫌なやつは厭だ親戚同士で固まった悪の枢軸地域もあるぞ 現代人のゲノムから過去を知る~Y染色体の遺伝子系図解析からわかった縄文時代晩期から弥生時代にかけておきた急激な人口減少~ - 東京大学 大学院理学系研究科・理学部 www.s.u-tokyo.ac.jp 日本人(男性)の三分の一くらいは親戚でもなんでもないようです。およそ6万年前の出アフリカまで遡れば親戚と言えなくもありませんが。実力主義うんぬんも、ダイエー創業者の中内㓛氏の例など、この記事の例外にあたる方も少なくありません。記者氏はもう少し広い視野を持ったほうがよいのではないでしょうか。 ダウンロード copy #OhmyNewsJapan 1