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「深呼吸」すること、そして、口先だけでない命の大切さを伝えること

引用元URL:http://www.ohmynews.co.jp/HotIssue.aspx?news_id=000000003224

相次ぐいじめ自殺の連鎖に思う
H田 K一
2006-12-18 07:40

 いじめの自殺が毎日のように続いている。自分もいじめを経験し、いじめが要因ではないが死を考えたこともあるので、とても心が痛んでいる。私は、自身の経験から「苦」を吐き出して、「楽」を吸い込む深呼吸をすること、そして、口先だけでない命の大切さを伝えることが大切なのではないかと考える。

 最近フリースクールなどで授業をする機会があった。いじめの報道に接し、それを1人ひとりがどう受け止めたか、考えたかはすごく大切なことだと思うので記事にまとめた。

 不登校を奨励するわけではないが、不登校を一種の充電と考えてみてもよいかもしれない。たとえば、マラソンは優勝を目指す人もあれば、完走を目指す人もいる。歩いたって、時に立ち止まったって、棄権さえしなければ、時間はかかっても完走することができるだろう。不登校はそんな小休止と考えてはどうだろうか。私たちはつい、人に「がんばれ」と言ってしまうが、それは無責任な言葉にもなりかねない。「がんばれ」にばかり目が行き、「がんばった」ことが見えていないことはないだろうか。

 苦しいときに「苦しい」と、楽しいときに「楽しい」と言える、「苦」を吐き、「楽」を吸い込む「深呼吸」ができることが何よりの薬だと思う。しかし、楽しいときに「楽しい」と言えなければ、いざ、苦しいときに「苦しい」と訴えることができるだろうか。

 母は普段から私の他愛のない話を一緒に笑ってくれた。もし先生から「生きていけんぞ」と言われ、親からも受け止めてもらえてなかったならと思うと怖い。私がリコーダーを支えにしたように、すこし充電し、楽しいことを見つけることが、それを見守ることが、とても大切なのではないだろうか。

 今、多くの子供たちが、大人が思う以上に絶望しているのではないか。教育委員会や学校の対応を見ると、そう思えてならない。と同時に、情けない大人の対応ばかりが報道され、絶望を助長しているように思える。もちろん、教育委員会や学校の対応を取り上げる必要はあるが、もっと子供たちに届くようなメッセージを発信してもよいのではないか。「生きてさえいればきっといいことがあるから」と言うとのんきに聞こえるかもしれないが、人生とは本当にそういうものだと思う。しかし、「命は大切だ」と言うことが、「生きることはすばらしい」と言うことが、なぜ子供たちの心に届かないのか。それは子供たちが経験に裏打ちされた命の大切さを知らないからかもしれないし、大人が伝えていないからかもしれない。

 たとえば、自分が夢中になれる楽しいことを見つけたとき、子供たちの顔は輝く。心から喜べる体験であり、感動を伴う楽しさである。何かを作ることや買い物、お出かけなど、それはほんのささやかな楽しみでもかまわない。そんな経験をしたときに、「楽しい!」「うれしい!」と思えるのも命があるからこそなのだということ、それが「生きている」ということなのだ。だから生きることはすばらしいことなのだということを大人は伝えないといけない。

 心から楽しいと思うと、それを誰かに奪われたくないと思う。それは小さな子供だって同じだ。だからこそ人の心を傷つけてはいけないのだ。楽しいと言う気持ちを奪ってはいけないのだということを伝えないといけない。それは、ただ口で命は大切というよりも、この経験に裏打ちされた命の大切さのほうが、子供たちの心に深く届くのではないだろうか。

 苦しいことを吐き出し、楽しいことを思いっきり吸い込む深呼吸と、そして、大人が子供たちに、口先だけでない命の大切さのメッセージを体験を通して伝えていくことが今必要なのではないかと思えてならない。つらいことばかりに目が行くが、実は生きているとすばらしいことがたくさんあるのだということをまずは大人がかみしめないといけないかもしれない。

オーマイニュース(日本版)より

この記事は【特集】いじめ考に掲載されました。


この記事についたコメントは2件。

2 まぐ 12/18 22:43
自分の体験から考えても、狭い枠組みで考え、その場所、その時期が全てと思ってしまう事が絶望をもたらすのは同意できます。
H田さんのいう深呼吸がその枠組みを壊すイメージ療法のようなものになれれば素晴らしいですね。

ところで、社会学者の内藤朝雄氏によれば、予備校型のフランスやドイツではいじめが少なく、共同体型の英米、スウェーデンではいじめが多いと言っています。日本でも全人教育と称して、知識だけではなく情操、体育まで教え、学生の一日の大半を限定した同一場所に押し込む事から弊害が生まれるそうです。また、暴力を教育で是正するという建前があるため、警察がその力を行使でき難く、その為、社会から隔離されてしまうのにも原因があるという見方をしています。
そして処方箋としては、暴力には法のルールを適応させる事と学級制度を無くす事を挙げています。

上記から考えれば、社会的な帰属の選択肢を増やしていく事が制度上、望ましいのでしょう。
そういう意味では、今度の教育基本法は官僚の規制が学校外まで及ぶという逆行で、非常に腹立たしし、息苦しさを感じます。

1 Mulder 12/18 19:39
>不登校を奨励するわけではないが、不登校を一種の充電と考えてみてもよい
>かもしれない

不登校は、学校世界とは異なる新しい世界への旅立ち、他の多くの子どもとは違う別の人生とは考えられないでしょうか。フリースクールで授業をして、そういういことは感じられませんでしたか?


正解はないでしょうし、手探りでその時々で一番良いと考える方法を模索するしかないでしょう。それが不登校だったり、つらい現実と向き合うことだったり、あるいは全部放り出して逃げることも結果としてもっとも良かった場合もあるかもしれませんね。いずれにしても選択した行動が全て自分に返ってくることだけはきちんと理解させる必要はあります。

最後に支えてくれるのは親だったり兄弟だったり現実で一番近くにいる人です。モニタの向こう側で好き勝手言ってる誰かわからない匿名アカじゃないことだけは確かです。親孝行はしておいたほうがいいよ、本当に。