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メキシコシティ~日本人宿ペンションアミーゴ

引用元URL:http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000003348

「銀色の轍」~自転車世界一周40000キロの旅(14)~
木舟 周作
2006-12-16 11:55

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 【これまでのあらすじ】地球一周40000キロを自転車で走る。壮大な夢を抱いて僕は世界へ飛び出した。旅立ちは白夜のアラスカ。以来2カ月半、カナダ、アメリカを越え、舞台はメキシコに突入した。意外に涼しく快適な中央高原を駆け抜けて、ついに首都のメキシコシティが見えてきた。

* * * * *

 シウダー・デ・メヒコ。スペイン語ではメキシコシティのことをこう呼ぶ。人口2000万人を数える世界最大の都市の1つだ。かつてアステカ帝国の首都が置かれていた町でもあり、8月6日に着いた僕は、最低でも1週間はのんびりと滞在するつもりでいた。

 僕が泊まったのは、日本人宿のペンションアミーゴ。日本人宿というのは日本人旅行者が多く集まる宿のことで、ペンションアミーゴに関しては、原則日本人限定だった。日本人の夫の跡を継いで、当時はメキシコ人の奥さんが経営していた。

 日の丸が描かれた黒い門扉を開けると、まず広い中庭があった。中庭を取り囲むようにコの字型に建物が配置され、正面に食堂や台所、読書室といった共有の空間があった。左手は経営家族の住居であり、2階と3階が宿泊者の部屋となっていた。

 宿泊者は10数名。そのうち何名かは長期の滞在者であり、居住者だった。ここでプロレスラーをしているという人、サッカーリーグに所属してサッカーをしているという人、あるいは旅行会社で日本人相手のツアーガイドをしている人などがいた。

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日本人宿ペンションアミーゴの食堂にて
撮影者:木舟周作

 旅行者は出入りがあったが、そのうちの何人かと親しくなった。メキシコに3年住んでいたことがあるといい、スペイン語がペラペラの頼れる眼鏡姿のニイさん(兄さんという意味でついたあだ名)。これから南米へ下る予定だという日焼け大好きで色黒のカヨさん。逆にボリビアやチリなど南米を回ってきたという元看護婦のユウコさん。2週間の短期旅行だという中学教師のユキコさん。そしてティファナからラパスまで一緒だったエリコさんとも再会した。中南米の旅人は年長者が多く、僕は27にして年下だった。

 アミーゴでは台所が自由に使えた。僕たちは近所のスーパーに出かけ、肉や野菜を買ってきて自炊をした。読書室はとても充実しており、日本語の漫画、雑誌、文庫本、それにビデオも揃っていた。インターネットも可能だった。

 情報ノートもあった。情報ノートというのは宿に置いてある書き込み自由な雑記帳のことで、どこそこの食堂が安くて美味しいとか、あの町に行くならこの宿に泊まるといいとか、そんな生の旅情報が集まっていた。直接旅とは関係ない、旅人たちのしがない雑感のような書き込みもあって、それもまた読み物として面白かった。

 海外でこういうところがあるのだなと、僕はとてもびっくりした。同時に日本を出て2カ月余り、少しほっとした気分になった。

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 郊外のテオティワカン遺跡を訪れたり、隣国ベリーズのビザを申請したりして、メキシコシティの日々はゆっくりと過ぎていった。

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テオティワカン遺跡、月のピラミッドより全景を望む
撮影者:木舟周作

 滞在4日目、ニイさんに誘われて、彼がかつてホームステイをしていたというメキシコ人医師のお宅にお邪魔したこともあった。地下鉄を乗り継ぎ訪れたお宅は、メキシコ人の中では上流の家庭なのだろう。立派な車庫があり、階段を上った2階に広いリビングがあった。中高生の子供たちまで総出で、おまけの僕たちまで大歓迎を受けた。

 牛の胃袋のスープやサボテンの葉と唐辛子、玉葱の和え物という家庭料理の数々を、僕たちは御馳走になった。

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メキシコ人医師のお宅に招かれて
撮影者:木舟周作

 メキシコの主食はトルティージャ。トウモロコシの粉を練って円形にしたもので、肉や野菜を挟んで巻いたものがタコスになるのだが、トルティージャだけをそのまま食べても美味しかった。「昔地理の授業で、トウモロコシが主食の国があるってのが不思議でならなかったけど、こういうことだったんですね」

 メスカルと呼ばれる地酒もいただいた。ビンの底に芋虫が入れられた蒸留酒だ。

 「サルー!」

 メキシコ式の乾杯である。風邪のため禁酒令を言い渡されたユウコさんは、匂いを嗅ぐことしか許されず、目に涙を浮かべるほどに悔しがっていた。

 自転車で旅をしていると話した僕は、家族から「カブロン」というあだ名をもらった。カブロンというのはとんでもない奴、すごい奴という意味らしく、かつてテレビ番組で、やはり自転車でメキシコを縦断しようとするアメリカ人の若者が取り上げられ、カブロンと呼ばれ、各地で歓迎されていたらしい。お前もテレビに売り込むといい、絶対そうすべきだよ、と笑顔で勧められた。

【出発から5250キロ(40000キロまで、あと35641キロ)】


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オーマイニュース(日本版)より

※引用文中【画像省略】は筆者が附記
この記事の元原稿は以下(記者さんのサイト)。

前回の記事は以下。

次回の記事は以下(後日追記します)。


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宿においてある「交流ノート」はながめていると書き込んだ人の顔まで思い浮かびます。あそこの定食屋は汚いけどおいしかったとか、(削除)とか、何の脈絡もない細切れの文章が雑多になぐり書きされていて、そういう雰囲気に飲まれて自分も書き込んでしまったりもしますわね。

この記事の宿限定の話だったのかもしれませんが、外国にもそういう風習があるのですね。ユースホステルとか最近の学生さんも利用して旅をすることはあるんでしょうかね。知らなかったことを体験できて面白いと思います。昨今の治安状況だと安易におすすめするのもはばかられたりはしますが。

テオティワカン遺跡、すげーな。