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【写真】森の冬支度

引用元URL:http://www.ohmynews.co.jp/LookKorea.aspx?news_id=000000003329

【写真】森の冬支度
キム・ミンス記者
2006-11-22 09:46

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冷たい風が吹き秋の深まりを実感したと思いきや、いつの間に初冬です。私たちも懸命に冬を越す準備をします。しかし、仕込んでは積み重ねる私たちの冬支度とは違って、木々はひとつ、ふたつと葉を落とし冬に備えています。

森が徐々にその姿を露にします。鬱蒼と茂っていた森が、閑散とした趣に変わってゆきます。木の葉にさえぎられ見えなかった森の奥深くまでが見通せるうえ、黄緑の葉に覆われ見えなかった木々の枝ぶりが、前の春とは違った姿でのびています。
撮影者:キム・ミンス記者

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落葉の上にまた落葉、少し休んで行きましょうと言っているようです。「同病相憐、まもなく土にかえる因縁であれば、しばし休んで行きましょう」と言っているかのようです。

プラタナスの葉はたいそう大きく、土にかえる前にも、土を豊饒にします。広い葉は保温効果があり、ひと冬の間、青いものは生き残ることができます。
撮影者:キム・ミンス記者

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プラタナスの葉の間に、冬を越すにはひ弱な新芽が芽吹いています。冬を過ごすことはできなくても、緑がなつかしいこの季節に顔をのぞかせた新芽が愛しく感じます。こんなふうに、季節を間違えて芽を吹き、命は短くとも美しいものがあるものです。

それらに与えられた命は、とても短いものです。霜でも降りれば、気温が零下にくだり雪でも降れば、そのまま絶えてしまうでしょう。それでも、「咲いている間、暖かな陽射しがある間だけは、幸せでいるよ」とささやくようです。
撮影者:キム・ミンス記者

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いま、森は完全にがらんどうです。木々はその中に必要な水分だけを残し、すべてを送り出すようです。木が葉をすべて落としてしまうと葉の光合成作用も止み、光合成が止むと根も水分の供給を止めるのです。乾かないように精一杯溜め込んで、来る寒さに凍えて裂けないための木の知恵なのでしょう。
撮影者:キム・ミンス記者

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しかし、いまだ葉が鬱蒼と茂る木の下には、新しい世界、季節を忘れたかのような世界があります。それでも季節の去来を避けることはできません。まだ秋といわんばかりのプラタナスの下で、久しぶりに体をかがめてみます。撮影者:キム・ミンス記者

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四葉のクローバーは見つからなかったけれど、ハート型のクローバーを見つけました。幸運を探して、別の幸運を見つけました。何かに向けて身をかがめるということ、それはとても良いことです。私たちの周辺に、冬という季節に苦しむ隣人がいます。それらに向けて体をかがめ、それらの痛みを見つめること、それは、私たちの心を無にしてくれます。
撮影者:キム・ミンス記者

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そうして心を無にすることは、ただ空しく終わるのではなく、消え行くものでもなく、実をむすぶことなのです。満たすだけで実った実が自分ひとりで食べるしかない毒を含んだ実だとすれば、無垢から実った実は、みんなで分かち合って食べられる実であるはずです。
撮影者:キム・ミンス記者

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ノミノフスマが冬はどこまできているのかと尋ねています。しかし、どうも彼らの季節ではありません。狂い咲きの花は、無謀と思える季節に咲きます。しかしたまに、こんな花のような人びとがいます。おそらく、心を無に帰してゆく人びと、空虚さのなかで真に充足した生を生きていく人びとです。
撮影者:キム・ミンス記者

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実を触ると、スルっと落ちてしまいます。風が通り過ぎるだけで、精一杯実らせた実がすべて落ちてしまいます。そうしてこそ生き延びるのだということがわかります。つかんだら離さない人びと、自分が努力して得たものだと地に線をひいて生きる人びととはまったく違う自然の姿です。

冬が訪れる街角で自然を眺めると、空虚なればこそ満たされることの秘訣が見つかります。
撮影者:キム・ミンス記者

オーマイニュース(日本版)より

※引用文中【画像省略】は筆者が附記


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名前を聞いてもすぐに思い浮かびませんでしたが、見ればあれかとわかる植物ですね。わたしは花より団子なので、秋だとアケビとか栗とか梨とか山の中に自生(たぶん誰かが捨てたのが生えたw)しているのを見つけると嬉しくなります。11月はちょっと時期外れですが。

今の季節だとビワとかグイミとかを見かけます。ビワは2~3年に1回実をつけているようですが、自生しているものだとそんな感じ。商品作物にするならやはり手を入れないとダメみたい。自生している秋の梨もたいていは酸っぱいですしw