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いじめについて、学校に責任はあるのか?

引用元URL:http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000003067

所詮、他人は無力な存在
J保 Y大
2006-11-11 22:34

最近、いじめについて取り上げられる機械が多くなりました。その記事のなかで個人的に気になったのは、学校がいじめを黙認していたとして、責任を追及する記事です。

いじめとは、今更言うまでも無いことですが強い者がその立場を利用して不当に弱いものの人権を侵害することです。これは、別に学校の中だけで起きていることではなく社会のあらゆるところで普通に起きている事態です。

強いものは存在し、また弱いものも存在します。そしてそれは、社会性の中で誕生します。例えば、仕事を頼む人は、その仕事を受ける人より強い立場にいますし、クラスの人気者はクラスの人気が無いものよりは強い立場にいます。

社会性の権力は、外部には通用しません。クラスの人気者の権力は、そのクラスの中でだけのものですし、仕事を頼む人だって、他業種の人には関係ないです。そうして考えると、学校は子供の社会からみれば外部社会でしょう。いじめに対する、有効な権力機関とはいえません。

なんだか、難しくなってきましたが、要するに他人にが口出ししてもしょうがないと言うことを言いたいのです。学校が、なんとかいっても学校が見ていないところでいじめを再開すればよいだけですし、外部社会が口出しをしたとして、いじめが過熱する恐れがあります。

他人は、24時間本人と代われない以上、人生のつらさを全て代わってやれない以上、本人の問題は本人の手によってしか解決することが出来ません。学校が黙認と言う表現が使われていますが、親と一緒に頭を悩ませていただけなのでは無いでしょうか。普通、人は困っている人を見捨てていけません。そこは信じていいのではないでしょうか。ある程度は。

学校がもし、本人が助けを求めているのに黙認したと言うならば一市民として、私は断固抗議しますが、親など他人が口出ししている段階では、まだなんともできないのではないでしょうか。

まあ、それを差し置いても、所詮仕事<食べていくためだけに>で職業をやっているような人達が、頼りになんかならないことは、誰でも一度は経験があるのではないかと思います。警察とか、役所仕事とか、もろもろ。学校の責任とかつまらないこと言ってないで、一人一人がどうしたら強く生きていけるかを考えたほうがよっぽどいいと思う。

オーマイニュース(日本版)より

(削除)

根本的な解決にはならないかもしれませんが、身体を鍛えるというのも方法のひとつではあると思います。「筋肉は裏切らない」と書くとネタのように思えますが、身体を鍛えることで「ここまではできる」と自身の限界を知ると「自分にできないこと」を知ることにもなります。

具体的に書いたほうがわかりやすいですかね。2時間休むことなく歩き続け10kmを移動できるならば、それは4時間休むことなく歩き続けて20kmを移動できることと同じことではありません。おそらく体力の限界から同じペースで歩き続けることができないでしょうから移動できる距離は20kmよりも短くなるでしょう。

逆に、2時間休むことなく歩き続け10kmを移動できるならば、それは1時間休むことなく歩き続けて5km移動できると言えます。

身に降り掛かったトラブルを自力で解決しようとしてもやはり限界はあります。ここまでやったけどこれ以上は無理となったら他人の手を借りることは必要ですし、そういう時に貸せる手を持っておきたいとわたしは思います。なかなか思い通りにはならないのでもどかしいことも多いですが。