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なぜ左翼団体は存在しないのか

引用元URL:http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000002242

謎の組織「左翼団体」を考える
S藤 T信
2006-10-10 16:43

先日、加藤紘一議員の実家が放火にあい、右翼団体構成員が逮捕されたことは記憶に新しい。こういうニュースを聞くたびに「右翼って怖い」「言論を暴力で抹殺するなんて」というイメージを持った人も多いかと思う。では逆に「左翼団体の構成員が逮捕されました」というニュースを聞いたことはあるだろうか。私は一度も無い。


例えば、先日OhmyNewsに載っていた、西脇尚人さんの「辺野古基地建設反対運動」に関する記事( http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000001776 )の中でも、活動理由については理解できるが、そのためにやっていることは車への飛び込み自殺にも近いような過激な行動だ。にも関わらず、彼らは自分たちの行動を「市民運動」だと言っている。そして案の定ニュースでも「市民運動メンバーが逮捕されました」と報じられた。しかし自分たちの主義主張を貫くために力で対抗しようとするやり方は、加藤議員の実家を放火した犯人と差は無い。


また、環境保護を訴える団体として有名なグリーンピースは、Wikipedia( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%B9_%28NGO%29 )によれば、日本の調査捕鯨船に対して船で体当たりをするなど一部では「エコ・テロリスト」と評価されているようだ。このグリーンピースも「過激派左翼団体」と言えるが、こちらについてもグリーンピース側は自分たちを「市民団体」だと名乗っている。


なぜこのような事態になっているのかを考えると、そこには左翼メディアの影響が拭えない。穿った見方をすれば、左翼思想を持ついくつかのメディアが、右翼的思想を持つ団体の印象を悪くするためにわざと「過激派右翼団体」と表現しているようにも見える。もし辺野古基地建設反対派の行動を阻止するために、市民運動メンバーが同じく車に体当たりして阻止しようとすれば、左翼メディアは「右翼団体の……」と報じるだろう。


一方で、左翼的思想を持つ行動に対しては市民運動や市民活動という言葉を使って、まるで市民の代表的行動であるかのようにカモフラージュして報道する。上記の辺野古基地の件についても、犯罪を犯して逮捕されたにも関わらず、妨害した側をあたかも被害者であるかのように報道している。それどころか、この場合「少しやりすぎた」と反省するのが当然だと思ったのだが、そのような答弁すらない。怪我自体も「その場で抗議」ができるほどのたいした怪我ではなかったのに、というよりも元はといえば自業自得であるのに、「命をかけて」などまるで名誉の負傷のような扱いだ。例え命を懸けようとも、公務執行妨害であることに違いは無い。


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そもそも左翼思想の定義は概ね社会主義・共産主義のことであって、日本では日本共産党や社民党などがそれに代表される。つまり、日本では戦後、左翼政党が単独与党となったことはなく、ほぼ一貫して右翼政党による与党が結成されている。(左翼にも種類があって一概に言うことはできないが、既存左翼を批判する保守的な「新左翼」と呼ばれる思想も存在する。)


逆に右翼思想の定義はというと、一般には保守派・国粋主義などに代表され、過激な極右思想になると「自民族に対する人種優越論」といった民族主義や国家主義にも繋がる。(OhmyNewsでコラムを掲載されている鈴木邦男さんが所属する一水会のような、既存右翼から一線を画す「新右翼」と呼ばれる思想も存在する。)


そういう意味で中国や北朝鮮は、若干の違いはあるかもしれないが、形式上は左翼与党の一党支配だと言える。しかし中国や北朝鮮が左翼国家というイメージは一般にはあまりないように思える。だが、左翼が目指す社会は社会主義・共産主義であって右翼の反対であると考えれば、他民族国家は許容範囲内なわけだ。となると、日本国内の左翼団体であっても、同じ左翼思想を持つ中国や北朝鮮と同調することも十分に可能だ。なぜなら、全世界を社会主義・共産主義にすることが最終目標という点で思想が一致するからだ。


そうなると「過激派右翼団体」や「市民団体」という言葉も、左翼メディアによるプロパガンダやサブリミナルの一種ではないかということが読み取れてくる。中国や北朝鮮が左翼国家であることからわかるように、結局右左に関係なく言論の統制はやっている。右翼思想を「言論を弾圧し危険なものである」とイメージを刷り込もうとし、しかし自らの左翼思想はイメージに対しては「市民活動」という名でカモフラージュし、小泉元首相が言ったように何をしても国や首相のやることを批判する。そんな左翼メディアが、右翼国家である日本の発展のために尽くしているようには、私にはとても見えない。メディアに左右の思想があるのは健全な国家である証だが、その情報伝達の過程で印象が意図的に操作されているのだとすれば、到底受け入れることはできない。


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だから私は、OhmyNewsの言う「市民記者」という言葉にも抵抗感を覚える。市民記者の市民の意味は「福岡市民」などの市民ではなく、左翼的性質が埋め込まれてしまっている「市民団体」の市民だと感じられるからだ。左翼思想の持ち主が嫌韓や反中を語る人に対して「ネット右翼」「若者の右傾化」とレッテルを張るのに対し、そのレッテルを貼った人々からは逆に、「プロ市民」「良心的市民」といったレッテルを貼り返されたりするのも、こういった理由に対する皮肉が込められてというのもあるのだろう。もし「市民記者」というレッテルにもこの左翼思想という意味が込められてはいるのだとすれば、我々市民記者はそれを「中道思想」へと創り変えていくことこそが、OhmyNewsとしての存在意義であり新しいメディアを語るに足る価値ではないだろうか。

オーマイニュース(日本版)より

「ニュースのたね」記事ですが読める記事だと思います。まぁニュースではありませんが。「市民」に若干リベラル臭が染み付いていることに異論を挟む方は少ないと信じたいですね。