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哺乳ビン18本への道

引用元URL:http://www.ohmynews.co.jp/HotIssue.aspx?news_id=000000000832

あきらめること、あきらめないこと  【特集 マイライフ・マイチョイス Part1】
記者名 村井理子

 できることならそのままずっと、出産という一大イベントから遠ざかっていたかった。結婚して8年、子どもに関する話題は完全無視を決め込んでいた。毎年正月早々、夫の両親に、「今年こそ産みなさい」と言われるのは、鏡餅を割ってやりたくなるほど腹立たしかったし、故郷の兄に「かあちゃん、仏壇に拝んでるぞ」と聞かされるのにも相当うんざりしていた。私の人生なのに、私の選択なのに、なぜそこまで言われなくてはならないのか。とにかく、出産のことに関しては、誰にも口だしされたくはなかった。軌道に乗り始めた仕事をあきらめたくなかったのも事実だ。誰が何を言おうと子どもには興味ありません、故に、どなたの意見も聞く気はございません…というのが私のこれまでのスタンスだった。

 そんな私が、出産に踏み切った理由は何か。それは実に単純で、私にも、例のアレが聞こえ始めたのだ。そう、「高齢出産」というヤな言葉がどこからともなく聞こえてきたというわけだ。ベツに35歳になったその日に「高齢」と書かれた旗が頭のてっぺんにピコーンとあがるわけでも、額にマジックで「マルコー」と書かれるわけでもない。しかし、なぜかこの言葉が妙に気になり始めたのは、34歳の誕生日を過ぎたあたりだった。

 「もし産むんだったら、そのときは35になっちゃうなぁ…」

 ふと気づけば、私も立派に高齢出産の年齢に届いていたのだ。

 というわけで、35歳でちゃっかり妊娠し、今年の4月に出産した。それも、ふたごというビッグなオマケつきだった。高齢出産で初産でふたごというハイリスク妊婦だっただけに、妊娠期間中は相当苦労した。初期には早産防止のため子宮口を縛る手術(ヒエ~!)をし、10日間寝たきりになった。後期はお腹の重みに耐えられず、ほとんど歩けなくなった。結局、予定日の1カ月前に突然破水し、緊急帝王切開。子どもは2人とも低体重児だったため、生後1カ月間、NICU(新生児集中治療室)に入院することとなった。私の産後の体調も絶好調とは言えず、肺に水がたまって呼吸しにくくなったため酸素マスクをはめられ、むくみが引かずに象足になり、まさに息も絶え絶えの状態だった。両手のしびれは産後2カ月も引かなかった。

 子どもが退院してからは、息つくヒマもないほど過酷な育児が私を待っていた。24時間ひっきりなしにミルクを欲しがるふたごの男児を抱え、悲壮感漂っていたに違いない。夜中につらくて何度涙を流したかわからない。とにかく、体も心もボロボロの状態だった。ささいなことが原因で、家族の理解が得られないと落ち込み、本当に死にたくなった。今にして思えば、あの頃は軽い産後うつの状態だったのかもしれない。とにかく必死。子どももなんとか成長しようと必死だったと思うけれど、私も必死だった。

 出産して4カ月が経った。ふたご育児はウソみたいに楽になってきた。そして、ここ最近になって、いろいろなことにあきらめがつくようになった。鏡に映るボサボサ頭の自分を見て、「私もついに女を捨てたか」と落胆するものの、「ま、いっか」とさらりと流すようになった。ふたごを順番にお風呂に入れるときは、素っ裸で家の中を歩きまわっていますがそれが何か?というような、強烈な開き直りまで出てきた。毎回哺乳ビンを洗っている時間も体力もないため、最終的に18本まで買い足した。夜中にミルクを与えながら居眠りをしたこともある。オムツを替えている最中におしっこをひっかけられても、ささっと拭いてそのまま寝てしまう。原稿の締め切り近くになると、一人をだっこひもで抱え、もう一人をバウンサー(揺れる椅子)に座らせ、足で揺り動かしながらキーボードを打つ。まるでハタ織りだ。そういえば、山ほど持っていたコスメは、今どこに行ってしまったのだろう…。

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大量の哺乳ビン
撮影者:村井理子

 若い頃だったら、自分をここまで投げ出して、育児に没頭することができたかどうか自信がない。たぶん可能ではあったと思うけれど、心のなかにあきらめきれずに捨てられない何かを持ち続けただろう。今の私は、子どものためであれば、なんの苦もなく自分のすべてを捧げられる。特に欲しくもないと8年も拒否し続けたのに、自分がこんなになってしまうなんて、子どもの存在って本当に不思議だ。

 唯一悩んでいることと言えば、育児と仕事との両立についてだろう。私の場合、幸運にも在宅でできる仕事なので、なんとか時間をやりくりして、両方を同時進行させているが、体力的に相当キツいものがある。まさに不眠不休の状態が続いているのだ。そんな状態でも産休を殆ど取らなかった私に、なぜそこまでして働くのか?と周囲は心配する。1年ぐらい休んでも、なんの問題もないでしょうにと諭される。もうあきらめなさい、子どもが生まれたら仕事なんてできっこないと何度言われたことだろう。

 でも、それは本当だろうか。子どもが生まれたら本当に仕事なんてできなくなるのだろうか。私は働くこと、そして自分の仕事が大好きだ。子どもが生まれたから、ふたごで大変だからと言って仕事をあきらめたら、自分自身がつぶれてしまう。育児に押しつぶされてしまう。私にとって仕事は生きてゆく手段、心の糧なのだ。だからこそ、捨てるとか、あきらめるなんて考えること自体ナンセンスだと思う。ましてや、周囲から「辞めろ」と言われて辞められるわけもない。もちろん子供たちには精一杯のことをしてあげたいから、考えに考えて、私は自分の時間をすべてあきらめることにした。私の一日は、育児、家事、そして仕事で埋め尽くされている。自分の自由時間なんてまったくない。
 
 毎日毎日が飛ぶように過ぎていく。こんな日々を送ることで、私は自分自身をすり減らしてしまっているのだろうか。…まさか!私は今、とても充実している。やればできるんだ!と毎日自分を叱咤し、一歩一歩進んでいる。これから先、どんどん育児は過酷になっていき、仕事との両立も難しくなってくるだろう。でも、それはそのときだ。今まで乗り越えてきたのだから、そのときも乗り越えられると希望を持ちたいと思う。

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お世話になっている巨大な食器洗い機。6分で哺乳ビン18本を一気に洗い上げるハイパワーだが、現在は生産中止になっているとか
撮影者:村井理子

 私の哺乳ビン18本への道は、とても長いものだった。8年かけてようやくゴールにたどり着いた今思うのは、私にとって、産んだときが産みどきだったんじゃないかということ。35歳より早くても、遅くても、今のように結果オーライな気持ちにはなれなかったのではないかと思うのだ。高齢出産には多少なりともリスクが伴うから、手放しに「高齢でもダイジョーブ!」なんて言うつもりはない。だけど、ある程度精神的に成熟した35歳だったからこそ、つらい妊娠生活も、ドンマイドンマイ!でやり過ごすことができたのだと思う。

 周りの声は耳を餃子にしてシャットアウトしちゃえばいい。自分の人生なんだもの、好きなときに産めたらそれでいいじゃん!というのが偽らざる今の気持ちだ。
2006-09-06 00:02

※引用文中【画像省略】は筆者が附記
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【特集】マイライフ・マイチョイス【出産・育児編】に掲載された記事です。この記事についたコメントは2件。

2 じぇじぇ 09/07 01:26
コラム書かれてる村井理子記者ですよね。
>今年こそ産みなさい」と言われるのは、鏡餅を割ってやりたくなるほど腹立たしかったし、故郷の兄に「かあちゃん、仏壇に拝んでるぞ」と聞かされるのにも相当うんざりしていた。私の人生なのに、私の選択なのに、なぜそこまで言われなくてはならないのか。

…ココの部分を読んでいて、昨年友人が語っていた言葉と全く同じ(鏡餅のトコは洗面台の鏡でしたが…)だったから、思わず記者名の所に目が行ってしまいました。そして読み進めてく内に、あっ双子のママだ!と気付きました^^ 友人は長く不妊治療に通い、6年掛けて昨年漸く懐妊。それまでを振り返って話した時にそんな事を打ち明けてくれました。不妊治療は負担が家計を苦しめたとも。。。(自治体で不妊治療助成金というものもありますが)
「お子さんは?」という質問は既婚者にとって、よく耳にする言葉のようですが、聞かれたくないと思っている人もいる、という言葉なんですね。
1 うしき@篠ノ井 09/06 01:56
>ふたごで大変だからと言って仕事をあきらめたら、自分自身がつぶれてしまう。育児に押しつぶされてしまう。私にとって仕事は生きてゆく手段、心の糧なのだ。もちろん子供たちには精一杯のことをしてあげたいから、考えに考えて、私は自分の時間をすべてあきらめることにした。

仕事を続けることは本当にすばらしいことです!最初の3ヶ月、6ヶ月越えれば、あとはどんどん楽になっていくと思いますよ。子育てから得たものをぜひ仕事に還元してくださいね(^^)。

2ちゃんねるの方から来た方々でここに割って入ってコメントをつける度胸のある人がいたかどうか。「敗北を知りたい」などとうそぶいていたニュース速報板住人(ν即民)ですが、既婚女性板住人(鬼女)は天敵でした。味方になれば頼もしいのですが。

前2つの記事と比較するとこちらのほうがより(当時の読者から)支持を得られる記事でしょう。