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教師とは、たいがい世間知らずなもの

引用元URL:http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000003260

波乱万丈子育て略記
安住るり
2006-11-21 07:47

【画像省略】
かつての猛母、ボケて長閑な日々
撮影者:安住るり

 私の母は、もと教師です。といっても、若い頃1945(昭和20)年から10年ほど中学の理科と家庭科、女学校の家政科で教えていたという程度の経歴です。母の妹はずっと教師で、最後は確か短大の教授でした。栄養学か何からしいです。母の弟は大学でフランス語と仏文学を教えていました。

 叔父叔母はおだやかな人のようですが、私の母は自分が頑張り屋で負けず嫌いで何でもできる人だった(いまは、とってもおとなしいボケばあちゃんです)ので、長女の私にはこの上なく厳しい、おそろしい教育ママでした。今でも思い出すと胸が苦しくなるくらいです。

 「誰からも後ろ指さされないような立派な娘」に私を仕立てあげようとしました。迷惑な話です。自分が父親を早く亡くしたためと戦争のために果たせなかった夢を長女の私に託しました。まったく迷惑なことです。勉強はできて当たり前。褒められることはなく、叱られるばかりでした。

 私の弟に結婚したい女性ができたときに、彼女が高卒だからといって母は会おうともしませんでした。自分の息子をどれほどのものだと思ってるのかと私はあきれました。たぶん弟はそれを一生恨んでいると思います。

 そういう母親には絶対になるまいと私は決心していました。 実際にそれは貫いたつもりです。私の3人の子供はそれぞれに個性が強く、まったく親の思うようにはなりませんでしたが、子供の意思を尊重して育ててきて、今は一段落です。31歳と28歳の息子と22歳の娘と、わたしたちはいい関係です。

 長男が神奈川県の鎌倉市立中学3年の時、校長が親たちに言いました。「高校受験で人生が決まります」と。バッカじゃないか、と私は思いました。

 生徒指導の教師が言いました。「男子の制服のズボンは、ウェストのタックはないものと決められています」。私は質問しました。「先生のズボンにはタックがありますね。なぜ生徒はいけないのですか」。教師はうろたえて「鎌倉地区では以前からそう決められています」と答えました。

 髪の毛が自然にやや茶色の生徒がいました。生徒指導の教師が「黒く染めてこい」と言いました。おへそが茶を沸かすほど呆れました。

 いい先生もおられましたが、信じられないほどアタマが硬直している教師が大勢いました。

 息子が神奈川県逗子市の小学校でいじめられた時、私はいじめる子を責める気はなく、息子が精神的に参って、食べたものを吐くくらいなので、「しばらく休ませたい」と担任に言いました。ところが「学校を休むほうが悪いということになる。ともかく出てこい」と言うのです。まったく不可解です。

 相手の子の家族とは古いつきあいで、「親に言うとこじれるだけなので言わないでくれ」と頼んであったのに、担任は相手の親に言ってしまいました。いきなりわが家に電話してきて「いまここに○○君のお母さんがいます。話し合ってください」と言うのです。ちょうど来客中でとても手が離せないと言ってるのに、理解しないのです。まったく呆れました。

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ホストはやりたくない、と息子たちは言った
撮影者:安住るり

 これはあとから分かったのですが、当時の校長が逗子市の教育長(教育委員長とは違って市長並みの給料が出るので、退職校長にとっては最高のポストです)になるのを狙っていて、「わが校にはいじめも不登校もありません」ということにしていて、担任も自分のクラスに問題があると評価が下がるので何とか登校させようとしていたのです。

 次男が入学した県立高校は、生徒指導の教師が牛耳っていました。自分たちの管理に抵抗しそうな「骨のある生徒」は追い出すという方針だったようです。次男の親友だったある男子がまず血祭り(?)にあげられ、自主退学させられました。理由はちょっとしたことで、言いがかりのようなものでした。

 次にうちの息子が狙われました。トモダチと喧嘩になりかかったとか人の弁当をふざけて食べたとか駅でタバコを吸うまねをしていたとか、ささいなことでいちいち親が学校に呼び出され(こっちの都合も聞かずに日時を指定します)、当人の言い分を聞かず、職員会議で欠席裁判で「前科何犯」ということになっていきます。

 挙げ句の果てに、警察沙汰になったのでも何でもないのに「自主退学」を勧告されました。 高校1年の2月でしたから、ほかの学校に移ることもできません。あとの面倒をいっさい見ずに追い出すのです。自主退学を拒否することはできますが、生徒指導の教師たちから意地悪され続けるのは目に見えています。本当は生徒思いの教師も大勢いたのですが、発言できなかったらしいです。

 幸い県の教育界の大物(?)の知り合いがいたので、相談して別の県立高校の定時制に移ることにしました。不当な「自主退学」を強要した教師は、その後何らかの処分をされたらしいです。

 次男が移った定時制の先生方は親切で、遅刻欠席の注意などは受けましたが、無事卒業できました。「これで学校とはおさらばだ!」と親子でバンザイしました。

 先生が「大学に推薦状を書ける」と言ってくださいましたが、本人も私も大学進学はまったく考えていないのでと辞退しました。15歳の高校入学時からいろいろなバイトをやりましたが、今では立派な職業人です。

 うちの娘は人付き合いが上手で、小中学校ではいじめることもいじめられることもなくハッピーに「遊んで」過ごしました。

 勉強をしないので、「高校には行かせない」と私は言いました。義務教育でないのに「学校で遊びに行くため」に交通費も学費も教科書代も制服代も出したくないし弁当も作りたくない、と。

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この夏、長女が働いていた沖縄に遊びに行ったときの父と娘
撮影者:安住るり

 神奈川県には、県立の何校かに「通信制高校」が付設されていることを私はどこかで知りました。でも、中学の担任も校長も市教委もまったく知らなかったので、私は県の教育委員会に問い合わせて調べ、必要書類を中学から出してもらいました。

 秀才校として有名な湘南高校の「通信制」に、確か面接だけで娘は入学しました。学費は格安で、登校するのは月に1回くらいです。各学科の所定のレポート用紙に「穴埋め」式に書き込んで、1回15円の郵送料で専用の封筒で送り、同じ封筒で、評価されたレポートが送り返されてきます。この繰り返しで単位がとれ、頑張れば3年で「高卒」資格が取れます。本人にやる気があれば、とてもいい制度ですが、中学教師にはまったく知られていませんでした。

 うちの娘の場合、「本人のやる気」が足りなくて、レポートを出せば「A」をもらえるのに自分から進んでは全くやらず、「除籍」になりました。でも学校は「やる気になったらいつでも戻ってらっしゃい」という感じでした。

 そういうわけで、娘は「中卒」ですが、愛想がよく気が利いて責任感もあるので、仕事に困ることはありません。

 うちで最もクセの強いのが長男です。幼児のころは世界地図を覚え、小学校ではランドセルでの登下校時も本を手放さず、中学では六法全書を眺めるのが趣味のひとつでした。

 一方で、バンドをつくってライブをやってみたりしていました。ヘンな子なので、高校では教師にいじめられて中退しました。大検経由で第1志望の大学に合格しましたが、パソコンにはまって授業をさぼり、単位不足で留年を繰り返し、退学しています。

 このうえなく親に心配をかける総領息子ですが、試行錯誤の末に今は自分に合った仕事とパートナーを得てハッピーなようです。アタマを使うタイプの彼には「大卒」資格はあったほうが便利なので、放送大学で単位を取っています。

 今のところ、うちの子たちは「高校中退・大検経由・大学中退」と「普通高校経由・定時制高校卒」と「通信制高校除籍・中卒」です。こういう「波乱万丈」のわが家の子育ては、完璧主義の私の母には内緒にするのに苦労しました。

 今ではすっかりボケた母なので、たまに「○○ちゃん、大学は?」とか聞かれても適当に答えておけばいいので、私は本当に気が楽です。人生で今がいちばん幸せです。

オーマイニュース(日本版)より

※引用文中【画像省略】は筆者が附記


この記事についたコメントは19件。

19 安住るり 11/23 15:16
筆者の「ヘンなかあちゃん」でございます。
4.のコメントを自分で書きこんで以来、3日ぶりに「ひと言」欄をおそるおそる(?)開いてみて、多くのみなさまの温かいコメントに恐縮しております。

私は「国家公認の親バカ」を自認しております。
二人の息子はそれぞれに「いい男」だと思っていて、彼らが仕事を探しているときに
「ホストやって稼げば?」などと言います。
長男が「ホストの世界ってのは、上には絶対服従なんだ」と解説します。
「そうか、それじゃ、あんたには無理だね」

次男は「好きでもない女にヘラヘラできるか!」と言います。ナルホド。

娘は、ヘンな兄ちゃん二人を身近に見ているので、オトコをクールに見ています。
50歳も年上の父親のことを「おとーさん、かわいい!」と評しています。
私は「おとうさん、娘からカワイイって言われるなんて、最高のしあわせだね」
と言っています。
私はこどもたちから「おもしろい、ヘンなひと」と言われるのが一番うれしいです。

18 じぇじぇ 11/23 00:02
【16追記】
>生意気だなっ=私の場合は、自分が苛められてた理由が分かります(泣)
の部分ですが

私は「いじめ」そのものを肯定する気はありません。ですので、いじめに理由付けは良くないとは思っています。が、ただ自分の場合は理由があったんだろうなと、後々感じたということですので、皆様誤解なさらぬよう……。

最後に(安住記者、脱線失礼いたしました)

17 Tony 11/23 00:01
>14 通りすがり さまへ
出処由来をありがとうがざいました。
さきほど、インタネット検索でその概要を見ました。
なお、耶馬溪と言われる、その地は景観もよく、その逸話の青の洞門も記念碑にしてあるようです。ありがとうございました。
しかし、菊地 寛の小説であって、トンネルを掘ったのは史実だが、そういうロマンチックな実話ではなさそうですね。でも、小学生に聞かせるにはいい話かもしれません。そういう、史実でがんばった僧がいたこともすごいと思います。

16 じぇじぇ 11/22 23:56
>15 Tonyさん
お考え納得しました。またどこかの記事で交流したいです。

>14 通りすがりさん
>しかし、最近の若い方は~

ほんと、ごめんなさい(T_T)
小学生の時に自由課題の作文で「本は読むものではなく大人になってから自分で書くもの~」(生意気だなっ=私の場合は、自分が苛められてた理由が分かります(泣))と書いた記憶がある私は、家族全員が代々、書物を愛する環境の中、また明治初期の本も保管しているほどの環境に身を置きながら……ほとんど本を読まずに生きてきました。ですからホントにごめんなさい。ただウチの祖母の場合は、寺で聞いた住職さんの説法を孫に伝えていた感じですので、通りすがりさんが仰ってるものと同じかどうかは分かりません。

(顔マークはTonyさんとの楽しい交流を表して)

15 Tony 11/22 23:22
>13 N島さん へ
ありがとうございます。そして、聞き及びですか?
この話は仏教的に脚色されているので、分かり難くいこなのかもしれませんが、人間的な教養を感じるし、祖母なりが昔語りししてくれると、幼子には大変怖い話ですが、悪人なりの人間性などものすごく感じるし、本当の救いとは何であるか、情緒的とは言え、テレビやゲ-ム機でなく、直感的なイメ-ジがそのことばの語り口から溢れ出ているような気がします。

私は、このような民話や昔話やお化けの話の中に、人間の悪意、正直、勇気、許しあいなど本来の人間性を養う心を幼子に実感させる教育はない、と思うのですが。

まだ、物事の善悪の極めの付かぬ、3~8歳程度の子供たちに英語など習い事を教え、学力を付ける教育が花盛りですが、実は幼子こそ、このような物語を愛情溢れる時代に聞かせることが大事なのではないか、感じているのです。

今の時代は幼子から、学力偏重主義に巻き込まれ、テレビ・雑誌・インタ-ネットの情報が溢れている環境が、「いじめ、不登校、ひきこもり」などの心の弱さと凶暴な人間性を生み出しているような、気がしてなりません。

14 通りすがり 11/22 23:00
>Tonyさん
その話は、菊池寛の小説「恩讐の彼方に」ですね。
江戸時代後期に、豊前国(現在の大分県)の難所に、
禅海という僧が洞窟を掘った史実に基づいています。
青の洞門も、史実に由来します。
おそらく、小学生相手に「恩讐の彼方に」という題名は
難解なので、青の洞門という子供向けに直した物語が
あったのでしょうね。
しかし、最近の若い方は菊池寛の代表作さえご存じないのでしょうか。
少し残念です。

13 じぇじぇ 11/22 22:35
>12 Tonyさん
>「青の洞門」

というタイトルだったかどうかまでは憶えていませんが、似たような話を幼い時に祖母から聞いた記憶があります。熱心な仏教徒でしたから、そういうのも関係するのか、仇討ちのイメージである憎悪・殺意というものには非常に厳しい考えを持っていました。

祖母やTonyさんの師であられた方々の道徳観というものは現代にも通ずるところがあるなぁという感想、同感です。

12 Tony 11/22 21:11
>11 N島 さんへ
私は小学校の低学年の頃、色々、担任先生が紙芝居や読み聞かせ物語をして下さりました。源平合戦の話とか、色々な昔話の類でありました。お話の中で、今でもある一節の部分を今でも鮮明に憶えていて、これが「いじめ」などの問題の道徳観を養うので紹介したい、と思います。その名前の物語は「青の洞門」とか言う名前でした。後にテレビの紹介番組で大分県の方でそういう所があるそうで、本当の話なのかも。

この話の内容は鎌倉時代ようですが、昔、あるところで、盗賊が入り込み、そこに居た親子の親を殺す悪道非道な主人公です。彼はその事件の後、その親の子供が仇討に出ていることを知り、諸国を逃げ廻っていたが、自分の犯した罪を悟り悔い改めようと、僧になったようです。しかし、その悔恨の念は収まりません。そうこうしているとき、ある山里の村に辿り着いたとき、そこの村人の通う隣村への道が山また山を周るため大変難渋していること聞くと同時に、ある山道をトンネル(洞門)ができる、と村人の扶けになることを知るのです。彼は、一念発起してそのトンネルで掘ることを決意するのです。長い年月、掘り続けるうち、彼の心も浄化されつつ今少しのところで念願叶うときに、仇討の子供が彼を見つけ出すことになったのです。このとき、彼は仇討に嘆願して、自分の命は宿業なので、命を取られてもいいが、もう少しで念願が叶えば、村人の救いなるので、今少し待ってくれ、と許されるが、直ぐには出来上がる訳がありません。そこで、毎日のごとく仇討は監視していたが、そのうち仇討も洞門が早く出来上がれば、仇討の目的が達成できる、と思い始めて手助けしていた。終に彼の念願が叶うときが来て、仇討に彼が首を差し出そうと申し出ると、終には仇討も彼の改悛の意が村人の救いへの気持ちから理解できるようになうになって、仇討の気持ちがなくなった。悪人の改心の話。

11 じぇじぇ 11/22 19:04
>9 Tony(fuyukastony)さん

まさに仰るとおりですよ!! 私は小学校の時から学校教育、及び家庭教育のあり方にあらゆる不満を持っていましたから、いまだに学校現場の問題の論争が巻き起こっているのを見て、いい加減どうにかならんもんかねと呆れています。

知人に、語学学校を経営しながら教師にも親にも「人間力を育成させる教育を行いなさい」という内容の講演活動(本人は説教活動と言います)を行っている者がいますが、Tonyさんのコメントの後半記述文は、その知人が唱えている教育論と似たものを感じました^^

ちなみに 7の発言は6のレナード氏が
>この“教育論”に勝てる“教育者”はいるのだろうか? と、まるで神のように崇めた発言をされていたので、「いるでしょ(笑)」と発言したまでです。

10 レナード 11/22 18:51
> 7N島さん、9Tonyさん
諸悪の根源は大学受験にあると思います。

それはそれとして、わたしが6で言いたいことは、この記事の良いところは、
「論」を書かないで、教育の核心を実践した“事実”を書いていることです。

さらにいえば、市民記者が書く記事の強みは、自らの体験に裏打された
記述にあると思います。この点で、「誰が書いたか」は「何を書いたか」
と同じように重要だと思います。この場合、「誰が」は、「信念をもって
子供を育てた親」であって、「安住るり」という個人の名前ではないこと
は言うまでもないと思います。

9 Tony 11/22 11:33
>6,7 さんへ
本質的に自分の子を養育する母親とこどもを教育する学校との差ではないか、と思えます。すなわち、腹を括った母は強しです。母が獅子のごとく、最後には断崖からでも突き落とすこと辞さず生き抜くことを教えるのは、親が最後まで子の生き方を面倒みることできない、自然の摂理を悟るからではないか。到底、男どもが太刀打ちできない、母親の力です。
私は、教育基本法を改正しても、現状の「いじめ、ひきこもり、不登校」はなくならない、と思う。寧ろ、愛国心でなく、愛国家心を教育する、と言うのですから、それを助長することのなるかもしれません。愛国家心のような鉄砲や槍で国家のために闘う心を別にするが、愛国心なぞ千差万別の心のかたちを教育して教えれるほどのマニュアルがこの世に存在する、とは思えません。
未履修や特別補習など受験対応する教育や現状の教育おける上記の問題の根源は、入学選抜試験を課して、学校が学生を選別して教育する学制にあるのです。現実的にそれを解決する方法としては、入学試験を課すのでなく、学校現場の普段の学生の履修課程を認定できる基準を定め、普段の履修程度の理解度を検査(理解度テスト)をして、履修認定等級で表し、最終履修等級の総合理解度と各科目理解度で学生の志望校及び志望学業の適性化を図り、学生が上級校への選択資格条件に一助にしたらよい、と思えます。すなわち、上級校が学生を選別するのでなく、学生が自分の適性に応じた学業や職業観を選択することできる学制にして欲しい、と願うのです。とりあえずの高校・大学では学生は勉強する目的や人生の生活設計を学生本人では描ける訳がないでしょう。思春期に本人が思い悩み、試行錯誤するのは、たいへん結構なことですが、その貴重な人間形成期間に人間がぼろぼろになるまで受験戦争に取組むだけの無為な時間となる思春期になるのは、御免蒙りたい、と願う。

8 赤井 信文 11/22 10:00
記者殿

すばらしい教育をなさっていますね。
世間知らずの教師に血祭りにされたり
馬鹿な親から生まれた糞餓鬼にいじめられる位なら
無垢な子供を学校なんかに通わせるべきではないと
私も思います。朱に交われば赤くなると申しますし
子供を悪から遠ざけるのも親の勤めと思います。
大検や放送大学を利用すれば、とりあえず大卒の肩書きは
手に入れられるのだと、目から鱗が出た気がします。
お母様は仏様に近づかれてますね。尊い事でございます。

7 じぇじぇ 11/22 05:41
>6 レナード(aki22)さん
>この“教育論”に勝てる“教育者”はいるのだろうか?

いるでしょ。世の中広いですからね~。
探せばいると思いますよ。
でもこういうコメント欄での遣り取りを見て、どなたかが
「探し出しました!」というような記事を書いて下さったら
そういうのも面白いですね。

6 レナード 11/22 00:53
るりさんの記事を見て「う~ん、やられた!」と思う。この記事がそうだ。
というのは、とてもぼくにはこんなにふうに書けないからだ。

まず第一に、この記事には読者をひきこむチカラがある。「私の母は」、「うち
の子は」と、記者は自分のプライバシーの話をする。読者が興味を持つのは、
教育基本法改正案とか、アベとかよりも、他人のうちのコトだ。このことを、
るりさんはちゃ~んとお見とおしなのだ。 

るりさんは、ご自分の母親から受けた“しつけ”や“教育”を、娘としてどう
感じたかを示して、ご自分の子供たちの育て方を考える。

ここには今、問題の「いじめ」があり「不登校」があり、「教育のあり方」があ
り「受験」があり、「学歴社会」がある。教育の問題だけではなく、「幸福とは
何か」を考える哲学の第一歩が示されている。

これから子供たちは、「国を愛する態度」とかの項目で、教師の評価をうける
ようになる。しかし、記者はここで何ひとつ「論」はとなえない。「教育論」など
なくても、いや「学校」さえなくても子供は育つことを、記者はじっさいに、
3人のこどもをりっぱに育てた母親の、全存在をかけて実証している。
この“教育論”に勝てる“教育者”はいるのだろうか?

5 Tony 11/21 17:41
>4 安住るり さまへ

まさに、波乱万丈ですね。もちろん、息が抜けない日々がまだまだでしょうが。貴女様のこどもさんなら、今までの人生で何が真で虚であるか、目に見えるようになった青年になったのです。そろそろ、親の肩の荷を降ろしてよい時期ですね。羨ましい限りです。それで、十分だと、思います。後はご夫婦の余生をどうするかですか?これも、難問ですが、貴女なら、大丈夫です。何でもやれますからね。人生に乾杯。

我が家は不肖のこども3人(女2男1)です。長女は静岡の大学を出て、今、愛知の非常勤講師、次女、地元大学の2回生、長男 高校1年です。いずれにしても、自分でよく考えろ、と申しているのですが、どうなりますことか、私自身も実際ところ分かり難ねてうろたえているのが実情です。

実際、偉そうな事言っていますが、どうってことない自分に呆れています。
だが、今の学生制度は偏差値教育と言われて久しいのですが、偏差値が高くても低くても、けっして、すべてのこども全部にとって、真に学生の適性にあった学校教育であるとは言えない実情のが悲しいです。なぜなら、ひとりひとりの適性は偏差値で決まるものでないからです。現状の学校教育のシステムはただ単に中央官庁の官僚を選抜するための、一過程にすぎない単線型教育システムだから、学校が高校で人生が決まるなどを言っているのだ、と思うのです。

しかし、現状の社会はグロ-バル化して幅広い人材が世界に通用する人材として、必要になっているのです。現状、スポ-ツ選手ぐらいです。そのような人材登用の道が開かれているのは。あらゆるジャンルの職業に適用できる人材登用の道が開かれる学校教育ならなければ、国民の悲劇以外なにものでもありません。

4 安住るり 11/21 15:24
3 全力失笑(talker)さま

その校長には、「高校に行かない」という選択肢は、アタマになかったのでしょうね。
若い親たちに、校長という権威ある人物がそう断言することが、
どれほどのプレッシャーを親子に与えるか、想像もしていなかったのでしょうね。

学校は、偏差値の高い高校に卒業生をどれだけ入れるか、という「競争」を
これからいっそう強いられるようになるでしょう。
子供たちは、これから一層追い詰められていくことでしょう。

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2006-11-21 15:07:45
>「高校受験で人生が決まります」と。

人生の全てが決まるわけではありませんが
何割かはそこで決まると言ってもいいのではないでしょうか?
頑張って勉強させるために誇張して言ったのでしょう。
良い高校に行くことが良い人生かどうかはまた別の話で。

3 全力失笑 11/21 15:07
>「高校受験で人生が決まります」と。

人生の全てが決まるわけではありませんが
何割かはそこで決まると言ってもいいのではないでしょうか?
頑張って勉強させるために誇張して言ったのでしょう。
良い高校に行くことが良い人生かどうかはまた別の話で。

2 まぐ 11/21 11:15
下の娘さんのご様子が我が家の末娘とそっくりで、親近感が湧きました。
学校側の対応も同じようなもので、画一的な管理主義に腹が立ってなりませんでした。
自由化の風潮で社会では自己責任という言葉が持て囃されているのに学校で試行錯誤をさせる余地を与えないとは、
どういう教育なのだと思います。
知人の教員に話を聞くと、報道されるような問題が起こるたび、作成すべき文章が増え、事務の仕事が半端じゃないようです。
机の上で仕事を完結させるような人間が上で管理している限り、教育が良くなる道理がありません。

ところで、ご母堂のお顔をしみじみと拝見させていただきました。
老いてなお、強い意志が表情からは覗われます。
全盛期には如何ばかりであったかと、少し同情いたしました(汗)
その血の流れが「卑怯者め、正体をあらわせ」発言になるのだと納得しました。肝っ玉記者にエールを送ります。

1 T橋A哉: 11/21 09:27
素敵なご家族に囲まれてよき人生を歩まれているのですね。
なかなか数奇な育て方、育てられ方でそれなりのご苦労が有った事と思います。
ご高齢のお母様を「ボケ」だの、「適当に答えておけば良い」だのとのご謙遜、なかなか出来る事では御座いません。
お母様と正反対の子育てをなさった記者様の老後は、お子様達にさぞや大切に介護され、温かく看取られる事と思います。


ポリティカルな面ではオピニオン会員から目の敵にされていたこの記者さんでしたが、この記事のように(良い意味で)あけすけな物言いはわたしは好きでした。嫌いだけど好きというのは変なのでしょうが、他に言い方を知らないのでこう書いておきます。子育ての方針については各家庭の事情がありますのでそうですか、とだけ。

人生のどこかで一度「失敗」する経験はしておいたほうが良いように思います。失敗しっぱなしだとアレですが、失敗から立ち直る経験があればその先の人生で同じような事態に直面してもなんとかやり過ごせるくらいの知恵はひねり出せるでしょう。その意味でこの記者さんの子育て教育は成功したのではないでしょうか。

高校や大学でつまづいたことを「失敗」と呼ぶなと記者さんから怒られそうですが。