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熊本で漱石を味わう

引用元URL:http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000002176

作家活動の原点を歩いてみる
S口 S造
2006-10-13 07:44

 夏目漱石は、明治維新の前年に生まれておりますが、生涯にわたっての作家活動の出発点になった時代は、実はあまり知られていないかもしれません。

 「坊ちゃん」で、夏目漱石といえば愛媛県松山市があまりにも有名でもありますが、実は松山中学校に離任した後に、当時の第五高等学校(熊本)で29歳から4年間にわたり教鞭をふるいました。また、この地で結婚もあげており、33歳までの充実した生活を送っております。

 熊本のたったの4年間の生活の中で、何故か6回も住居を変えており、その全てが保存されております。そのころ熊本は、当時は当然、交通機関はあまり発達しておらず、夏目漱石は歩いて県内を方々散策しております。その由緒ある場所が、県内各地の随処に残されているわけです。

 現在、熊本では夏目漱石を慕い、漱石が小説「草枕」で登場させた道を「草枕ハイキングコース」と名付け、毎年、皆で歩く機会が設けられております。

 「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる」

 (だから、6回も熊本では引越ししたのかな?)

 実は、この散策コースは、かなりの山岳コースで、漱石が赴任した年の年末の休息に、10数キロ離れた天水町の温泉街まで歩いて行った道でもあります。途中に鳥越峠と野出峠という2つの峠がある険しい山道で、苔むした石畳が今でも残り、周囲に竹林もあり風情のあるコースです。

 漱石は相当の健脚であったようですね。「おい」と声をかけたが返事がない……、という名場面で描かれた峠の茶屋は鳥越峠にあり、今でもその風情を残しています。今、茶屋にはおばあちゃんがいて、色々と説明をしてくれます。

 天水町では、私の友人が企画課に勤務しており、漱石にまつわる史跡、ハイキングコースの設定などの仕事に従事しております。ちなみに「男はつらいよ」のお坊さん役の笠智衆さんの生家もこの町で保存されております。

 その後、漱石は阿蘇の方面にも行き、のちの小説「二百十日」になりました。今でも、その地方には石碑が残されております。漱石は、この後、イギリスに留学することになります。

 機会あれば、是非、熊本城とあわせて、文学の散歩道でも散策してみてはいかがでしょうか。

オーマイニュース(日本版)より

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夏目漱石は『坊っちゃん』で愛媛・松山の印象があまりにも強いですからね。熊本とも縁が深いよと知らせるものとして面白い記事だと思います。