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小林よしのり氏が語る日米論・防衛論──編集長インタビュー<3>

引用元URL:http://www.ohmynews.co.jp/InterView.aspx?news_id=000000003189

「自主防衛っていうのは、核も持たなくてはならない」
鳥越俊太郎
2006-11-17 16:38

 小林よしのり氏に鳥越がインタビューしたこのシリーズも、今回がいよいよ最終回です。今回は、宗教観から見た日本とアメリカの関係、そして核保有まで踏み込んだ自主防衛論について意見を戦わせます。(編集部)

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撮影者:堀 信


* * * * * 

■国の価値観とは
■「日本とアメリカは価値観を共有してないですから」

鳥越 20世紀は資本主義と社会主義の対決の時代がずっと続いたわけですよね。それで、20世紀の終わりに社会主義はボロボロになって失敗した。それでまあ、アメリカの一人勝ちみたいになった。ところが、21世紀の幕が開けたとたんに「911」が起きた。これはどういうことかというと、イスラム社会からの挑戦ですよね。つまり、アメリカという新自由主義というか、アメリカ的富、アメリカ的社会に対する、イスラムの富んでいない人たちからの挑戦だった――こういうふうにも言えるわけです。これは21世紀の今後、アメリカがイラクに入ったことも含めて、それからイスラエルという国があそこにあるということを含めて言えば、おそらく今後50年、100年、イスラム対アメリカ、もしくはキリスト教十字軍的な精神との“文明の衝突”というのは、ずっと続くと僕は思っているんですよ。その時、日本はどうするかのかと。日本はイスラムでもない、キリスト教でもない。この中で日本はどうやっていくのか。これはどう思いますか?

小林 本来、イスラム社会っていうのは、日露戦争で日本が勝ったときに、日本を尊敬してたわけだから。もう同じ黄色人種っていうふうに思っているわけだから。なのにアメリカにべったりくっ付いて、イスラムを敵に回してしまうっていうこと自体が、自分たちが作ってきた歴史の否定ですよね。アングロサクソンと日本は戦ったんだから。アメリカと戦って負けても、日本国内だけは戦争をして悪かったって言ってるけど、アメリカと戦って原爆まで落とされた日本ということで、イスラム諸国の人たちはみんな敬意をはらっているし、また、原爆まで落とされてなんでアメリカにくっ付いているんだっていうふうに……。

鳥越 僕、イラクに行ってそう言われましたよ(苦笑)。

小林 そうでしょ。みんな不思議でたまらないはずですよ。原爆まで落とされながら、なんであっちの国のケツにくっ付いているんだって。なぜ不思議に思うかと言ったら、彼らの価値観は生命至上主義じゃないですからですね。

 レバノンでもそうだけど、爆弾を落とされたお母さんたちがデモしてたら、「戦争反対!」っていうプラカードを持って叫んでるわけじゃないですよ。「復讐しろ!」って叫ぶんですから。価値観が全然違いますよ。日本人は、「戦争はいけない! 反戦!」って言ってプラカード持って、行進するでしょう。でも、向こうの人間は、「復讐しろ!」と。自分の子どもがジハードで戦わなくてはならない。そうなれば、自分たちの子どもや家族がもっと死ぬかもしれない。でも、それよりももっと崇高な価値観がある。それは、自分たちの誇りであったり、神であったり。だから、そういう価値観を前にして、せいぜいが生命至上主義で生命と財産を守るためだけの価値観をかざしたって、それは彼らの価値観から遠ざかるだけですよ。むしろ、昔の日本人の方が「命は鴻毛(こうもう)ごときものなり」と言って、あっさり死んでいったわけですよね。そのときならおそらく、イスラムの人間の価値観に近かったでしょう。

 台湾に国民党が入ってきて、占領し始めたとき、台湾人が立ち上がって「アサリの精神だ」と言ってたんだから。日本人に統治されていた時に、自分の命を“あっさり”捨てる(という精神を知った)。だから、「アサリの精神だ」と言って、抵抗してドンドン死んでいった。それで、ものすごい犠牲が出た。彼らが日本人に感化されていたからですよ。

鳥越 では、小林さんからすると、イスラム教徒が十数億人いる中東からアジアにかけての国々と、日本は今後どういう関係を持っていったらいいと考えてますか? 例えば、イランは? 日本はイランから石油総輸入量の12~15%に当たる石油を買ってますよ。

小林 イランだって、イラクだって、日本には好意的だったんですからね。だから、相手の価値観や宗教観というものをちゃんと分かりながら、相手の国々が経済関係で自信を持てるように、日本が協力していけばいいんですよ。ただそれだけのことで。それがアメリカの価値観だけに乗っかってしまって、グローバリズムで、どこもかしこも民主主義だと。民主主義だけが正義だと。

 今、「日本とアメリカは価値観を共有している」って政治家がよく言っていて、それは自由と民主主義と人権だと。でも、これは価値観ではないですから。単なるシステムの問題ですから。システムを共有していても、日本とアメリカは価値観を共有してないですから。

 ここのところで肝心なのは、それがまさに「靖国」に関わるということですよ。日本の価値観に靖国が関わってるんですよ。霊を祀るという価値観、アニミズムの世界、こういうものに関わってるわけですから。日本が守らなくてはならないものが、まったくの生命至上主義でしかなく、財産と自由と人権、民主主義とかっていうアメリカとまったく同じになってしまうのならば、それはもうイスラムを敵に回すしかないですよね。違う価値観になっちゃうから。イスラムとも隣接する価値観っていうものが、日本の中にもあったはずじゃないか、それをもう一遍見直したらどうかとわしは言ってきたんですよね。つまり、日本にも宗教があるじゃないかっていうことですよ。なのに、日本は宗教から目をそむけているんじゃないかということですよ。日本は日本独自の宗教があるじゃないかと。

鳥越 なるほど。かなりよく分かりました、小林さんの真意が。おそらく(小林さんの真意の)根本のところがなかなか伝わってないと思うな。

小林 例えば、「2ちゃんねる」なんかが「嫌韓流」みたいなものを支持して、韓国を叩いたり、在日朝鮮人なんかをバッシングしたり、あるいはイラクの邦人人質なんかをバッシングしたり、そういうことをやったときには、わしははっきり批判しているじゃないですか。だから、向こうも「反小林」になってるじゃないですか。それから親米保守派の雑誌からもわしはバッシングされて、何て言うかな、“疎外”されているじゃないですか。

鳥越 そういう意味で、必ずしも真意が伝わっていないっていうかね。小林さんがかなり誤解されているっていう部分はあるよね。僕はね、ある程度、前から小林さんのことを分かっていたつもりでいたけど、今日話を聞いて本当によくわかった。

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撮影者:堀 信

小林 例えば、靖国のことに関して、宮崎(哲弥)、宮台(真司)とかがね、近代国家は基本的に政教分離だと、こういうことを言うわけですよ。それで、宮崎哲弥とわしは、最終的に靖国問題で意見を分かつことになるんだけど。政教分離という近代国家がすべて社会契約説に立っている。だから宗教を全部排除したところでさえも政治が成り立つはずだっていうのが、宮崎哲弥の考え。わしはそうじゃないと思ってるから。

 完全なる政教分離ができるなら、それはもう国柄っていうものはなくなっちゃいますからね。まったく無色透明の宗教性下地が全然ないということは、国独特のルール感覚、ルール規範というものがない。アメリカだったら、キリスト教があるでしょ。フランスなんかは、あまりにも強い宗教と民族間の対立があるから、だから政教分離を大原則にしないと成り立たないでしょうけど、基本的には政(まつりごと)の基本には、単に損得勘定の国益だけじゃなくて、この政策は善なのか悪なのかっていう倫理的な裁断があるんだと思うんですよ。

鳥越 だから要するに、日本の戦後の政教分離というのは、仏教ではなく、戦時中の神道と政治が結びついたと。そのことによって、不幸な戦争になってしまったと。だから、信仰と政治は分けようというのが、日本のいう政教分離の根本にあるわけですよね。仏教じゃないんです。

小林 誤解ですけどね、それ。そのこと自体が誤解だから。それだったらアメリカはキリスト教を背景にしながら、やっぱり戦争をしているわけであって。だったら、アメリカもキリスト教をすべて捨てなくてはならないかというと、そうじゃないわけであって。国家神道、つまり神道色がものすごく強くなって、「神の国」だということで、それを押し出していったのは、ある意味、戦時体制の不幸な出来事だったと言うしかないですけどねえ。

鳥越 でも、ああいうふうにはなりたくはないよね。

小林 そりゃあ、そうですけどね。でも、憲法の中での政教分離の項目っていうのは、あれは「アクティビティ」としての宗教との結び付きがいけないって書いてあるわけですよ。

鳥越 そりゃ、そうですよね。信教の自由があるんだから。

小林 うん。だからアクティビティっていうのは、要するに1つの宗教を宣教するよう政教一致体制がいけないということであって。

鳥越 でも、しかしね、与党の公明党はどうなんの、あれは。

小林 まあ、そうですね。不思議ですよね(苦笑)。

鳥越 不思議ですよね、あれは(苦笑)。あれこそ、まさに政教分離に反してますよね。

小林 そりゃ、そうですよね。そうだと思いますよ。

鳥越 アクティビティーやってますよ。

小林 「ビヘイビア(行為)」ならいいわけですから。つまり、その国柄に属する風習や慣習というものならいいと。アメリカでやっているように、聖書の上に手を載せて新しい大統領が宣誓するのと同じですから。それくらいのレベルのことでしかないじゃないですか、靖国なんていうのは。というふうにわしは思ってますけど。

鳥越 分かりました。


■アメリカに追随する日本
■「原爆の悲劇は、世界のほとんどの人が知らないだろうな」

小林 やっぱり、アメリカに付いていって戦争するっていうのがね……。自分の義の観念から言って不服だっていうような感覚でしょ、鳥越さんも。

鳥越 私はとても耐えられない。

小林 そうでしょう。

鳥越 だって原爆落とされてね、「二度と過ちを犯しません」って、あそこ(広島の平和公園の碑)に書いてあるけど、何だと思うもん、あれ。二度と過ちを犯しませんっていうのは、アメリカが言うべきなのに、何で日本人が言うんだよ。いつもそう思う。

小林 そうそう。

鳥越 だって、あれ1発で一瞬にして、広島では15万人、長崎では7万人の人を殺したんですよ。これは人類史上最大の大虐殺ですよ。戦争犯罪ですよ。アメリカの原子爆弾投下については、これから裁かなくてはいけないと僕は思ってる。これは、これからでも人類が裁かなくてはならない犯罪ですよ。

小林 要するに、読売新聞の『検証戦争責任』の中でも、原爆投下のことが日本の政治家の責任になっちゃってるんだから。無茶苦茶じゃないですか。アメリカのトルーマンの責任に決まってるんだから。

鳥越 2発落とす必要は絶対なかったんだよ。プルトニウム型とウラニウム型という2つの違ったものを何で落とす必要があったのかと。あの時はもう日本は、手を上げてたんですから。

小林 その点を見逃してしまったというのは問題。原爆を落とされたことによる、あの悲劇がどれほどすさまじいものだったかは、世界のほとんどの人が知らないだろうなあ。だからこそ、これは恐ろしいと思う。

鳥越 アメリカ人も知らない。

小林 だって、アメリカの映画でありましたよね、原爆の映画が。本当に小規模な爆発でしたよ。全然、こいつら分かってないなと思いましたよ。

鳥越 分かってない。その下でどれだけの人が一瞬して黒焦げになったかっていうね。リアリティーがないんだね。

小林 理論的に言って、自主防衛っていうのは核も持たなくてはならないという形になるから、そこを何とかして乗り越える方法はないのかなあと。やっぱりアレルギーあるんですよ。広島なんか何度も行って、(平和記念資料館の)展示も全部一生懸命見てるんですよ。それで、核に対するどうにもならないアレルギーがわしの中にあるんですよ。だからと言って、原爆を経験した人たちがアメリカに行ってね、どんなに訴えたところで、アメリカ人は何にも分からないでしょう。どうにも伝えられない。

鳥越 僕はね、アメリカの新聞社に1年間いたのよ。そのときに一応、英語でコラムを書いてたのね。それで原爆の話を書いたわけですよ。「アメリカの人にも分かってほしい」というスタンスでね。そしたら、抗議の電話とかがいっぱいかかってきたのね。異口同音に「日本はパールハーバーでひきょうにも攻撃を仕掛けて、アメリカ人を殺したじゃないか」と。そこで、ちょっと待てよと。パールハーバーで何人死んだか知ってるのかと。原爆で何人死んだのか知ってるのかと。

小林 パールハーバーでは民間人狙っていないわけだから。

鳥越 パールハーバーで死んだのは、2000人ぐらいですよ。一方、原爆では20万、30万、東京大空襲も入れたらおそらく50万人を超えるかもしれない死者が出た。そういうのとは天秤(てんびん)にかけられないじゃないですか。でも、彼らは同じと考えているんだから。日本がパールハーバーをやったから、アメリカもやったんだってね。

小林 その感覚も日本人のルール意識から言ったら全然、納得できない感覚でしょ。結局、国が違うと、違う生き物と話しているかのようじゃないですか。

鳥越 まったく違うね。だから、中国と日本の間の関係も、きっとそういう関係なんだろうね。

小林 その国ごとのパブリックマインドっていうのがあって、ハンナ・アーレントが『人間の条件』の中で、公共性っていうのはテーブルの周りで交霊術をしているようなものだと言っています。テーブルがパッとなくなってしまったら、人間と人間の間の距離感が一気に狂って、このテーブルがないだけで、もうどう対処していいかわからなくなってしまう。それで、そのテーブルがまさにパブリックマインドだと。このテーブルの大きさや種類などは国ごとに全部違うわけですよ。ですから、向こうの公共性と日本人が今持っている公共性というのは、全然違う。人間と人間の距離感がね。

鳥越 日本人も最近公共性がなくなってきたなあ。

小林 まあ、なくなってきてますけどね。でも、人と人が会って話しをするときに、3時なら3時って決めれば、黙って来るじゃないですか。そして、意見が違おうと節度を持って話すという暗黙のルールがあるでしょう。成文化されていないルールがあるじゃないですか。この成文化されていない、契約もしていないルールっていうものがアメリカとも中国とも違うでしょう。だから中国では、『クレヨンしんちゃん』を勝手に使って大もうけしているわけでしょ。それで、アメリカは契約と弁護士がいないと仕事が進まない。日本なんかはベタベタの信頼関係を持っていて、相手をすっかり信用してしまって、人のいい人間ばっかりじゃないですか。

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撮影者:堀 信

鳥越 具体的な話を挙げるとね、日本でホテルを予約するじゃないですか。電話1本で予約するでしょ。それで何も問題ない。アメリカでホテル予約するときはね、必ずチェックを送らないといけない。予約すると同時に。そうでないとダメなんです。電話1本で予約しても、それは予約にならない。つまり、ホテルとお客の間で信用が成り立ってないわけね。アメリカ人はアメリカ人の常識として、文書化されているもの、契約書になっているもの以外は平気で裏切ることができるという常識になっている。一方、日本人は、約束をしたら守るっていう常識じゃないですか。まあ、ときどき守らない奴もいるけどさ。それでも文書をいちいち交わしてやらないでしょう。それぐらい違っている。僕はびっくりしましたよ。

小林 だからね、中国人でも一緒ですよ。どこまで信用できるのかというのが、難しいわけですよ。そしたら、こっちは警戒しておかなくてはならない。


■自主防衛論
■「理想を求める人間ならば、非武装中立か自主防衛のどちらかを選択する」

小林 倫理観とか義の感覚っていうものが鳥越さんにあるんだったら、「自主防衛」って言ってくださいよ(笑)。過去の歴史についての意見は(私たちは)違うかもしれないけど。

鳥越 いや、僕は言ってますよ。在日米軍基地はゼロベースで考えようと。こんなものに頼り切っているから、日本人の精神が腐敗していくんだと。僕は言いましたよ、テレビで。

小林 本当。そういうことを言う人がいない。

鳥越 一度ゼロにしてね、それで自分たちでどうやってこの国を維持していくのか考えようと。そのためには多少の痛みも我慢しなくてはいけない。防衛費も増えるかもしれない。

小林 もちろん防衛費も増えますよ。でも、大した増え方にはならない。はっきりいって。MD構想なんかやるよりも、自主防衛の方がはるかに大事でね。MDなんて当たらない。向こうからミサイルが飛んでくるのに、どうやって1本ずつ当てることができるんだ。そんなものできないんだから。

鳥越 それをね、日本は無理やり買わされそうになっている。

小林 でもね、この自主防衛っていうのは誰も気がつかないだけの話でね。NHKの米軍再編についての番組でわしが出演した時に、自主防衛っていう話をしたら、番組中のアンケートで支持率が一番でしたよ。米軍基地があることで、これだけの損害を沖縄県民が被っているというときに、非武装中立や日米同盟かの2つの選択しかないと思い込んでいるだけで、自主防衛もあるっていう3つ目の選択肢を出したら、これが一番ですよ。その番組では、日米同盟が最下位になったんだから。

鳥越 国というものが存在する以上、他国の干渉から自国を守ったり、自然災害から国民を守るといった活動をするための、もっと組織的な軍事力が必要だと思いますよ。それは自衛隊なのか、自衛省、防衛省なのか、呼び方は何でもいい。しかし、そういうものが必要である。ただし、これは暴走するから、シビリアン・コントロールだけはしっかりとしなくてはならない。

小林 もちろんそうですよ。

鳥越 今、4000億円かな、アメリカへの「思いやり予算」の額が。私、沖縄に行って米軍基地を回りましたよ。基地の金網の向こう側にあるのはね、立派な家でね、芝生が広がっていて、プールが付いていてね。米軍の下級兵士たちがそこで住んでいるんですよ。一方、金網のこっち側には沖縄の貧しい家がいっぱいあるんですよ。あの現実を見て、日本の政治家は何も思わないのかと。

小林 わしがNHKに出て、自主防衛っていう選択肢を示したとき、アンケートの取り方は携帯電話ですよ。ですから結構、若い人が多かったと思うんですね。そういう人たちが自主防衛の方に票を入れちゃうんですよね。もしかしたら、若い世代から自主独立するって感覚の人間が今後、出てくるかもしれない。そういった意味でのナショナリズムというのだったら、ひょっとしたらわしが育てている可能性はありますよね。

鳥越 それが、戦前のようになっていかないのを願いたいですね、僕は。

小林 ただ、「戦前のようになるかもしれないから今のままでいい」って言ったら、まったく同じなわけですから。そうならないようなシステムを作らなくてはならない。

鳥越 まったくその通りだと思います。アメリカに頼りきっている間は日本はダメでしょう。精神的に政治家も国民も。最終的に大事なものを全部預けてるんですから、お願いして。何も自分たちで決められないですよ。

小林 まったくの非武装中立って言うのか、自主防衛って言うのかって、ある程度の良心とか理想主義っていうのを捨てていない人間だったら、どっちかを言うでしょうね、きっと。大塚英志なんていうのは、非武装中立って言っていますから。「自衛隊も何もかもなくせ」というくらいの勢いで言ってるから。でもわしは、彼のことを認めていることは認めているんですよ。理想主義があるから。理想主義がないっていうのが、わしにとっては一番歯がゆい。

鳥越 理想主義っていうのは常に、ある種、引っ張っていく力にはなるから。理想主義は必要ですよね。

小林 理想主義がなくては話にならないと思いますよ。

鳥越 社会主義もね、最初はある種の理想主義だった。実際には違ったけれども。社会主義の理念というのは、あくまでも平等な社会を実現するっていう理想、ロマンだったわけですよね。

小林 経営者と労働者の間の均衡をうまく保っていた時代もあったわけで。でも今はそれが崩れてるから。(経営者側は)いくらリストラをしても構わないと思ってるし。

鳥越 そういう話を聞くと、『赤旗』を読んでいたときの根っこは残っているね、どっかに。

小林 うーん、そうですね。

鳥越 僕も読んでいたから、その辺が似ているのかな。

小林 そこのところが分かっただけで……。(鳥越さんが)単に、左翼的なリベラルではないということが分かりましたから。

鳥越 僕は、全然違いますよ。

小林 それが分かったんで、(今回の対談は)大正解でした。

鳥越 今日は長い時間ありがとうございました。


【関連記事】
小林よしのり氏に編集長インタビュー<1>
小林よしのり氏が語る戦争論──編集長インタビュー<2>

オーマイニュース(日本版)より

※引用文中【画像省略】は筆者が附記
この記事は鳥越編集長アーカイブに掲載されました。


この記事についたコメントは23件。

23 ブーゲンビリア 01/02 11:31
この記事、今年はもういいのではないですか。
もう、見たくないですよ。トップにあると写真が目についてしまいます。
斉藤貴男さんや、鈴木宗男さんをひっこめて、ますますつまらなくなりそうです。

22 金本 12/09 13:43
結局、このインタビュー記事も盛り上がらずにコメント欄も閑古鳥でしたね。。
何が悪いのか。

21 deadkorean 12/04 04:29
>>靖国反対と言う連中は公権力者ではありません

靖国反対を叫んでいるのは外国勢力と、その勢力に日本を攻撃させようとしている国内の勢力だ。
公権力以上の恐ろしい奴らに、表現の自由などあるわけがない。
奴らの犯罪は死刑以外にあり得ないものだが、Tony氏はそれに荷担するのか?

20 Tony 11/26 14:31
例えば、財産権において、公権力者の地位と言う政治力を利用して私的財産(会社財産・資本関係・退職後の就職ポストなども含む)に有利な取り計らいあるいは好影響が出るようなことをすれば、公権力の濫用と言える、と思えるのですが。だから、そのような不公正にならないよう、公権力者にある財産権であっても、その自由権を法で規制している、と思えます。
だから、談合事件で企業の不公正な競争による経済活動も問題であるが、福島県のようになった場合、地方行政の長であっても逮捕されるこのなるのでは、と思えます。

だから財産権と同様に、信条、信仰の自由権であっても、公権力者の自由権の制限されることがある、と思えます。その、制限の枠内が日本国憲法第20条だ、と思えるのです。それを、公権力者の権力と自由権の両方を得ようとするのは、駄々をこねている幼子のようだ、思えるし、識見のある大人のする行為ではないような、気がします。

靖国反対と言う連中は公権力者ではありません。だから、どのような表現や主義を言っても問題ないのは、信条・信仰・表現の自由があるからだ、と思えます。また、それは一宗教法人たる靖国神社の教義の自由権と同等のものだからです。

そういう意味は政治的に権力を有しないものと有するもの自由権は公権力者の権力に反比例した関係で有することで、国民全体の自由権の保障を実現するための法規が日本国憲法第20条の規定している、と解してもいいのでは、と思うのです。これは、公権力者の自由権も保障していますが、公権力者の任期期間は、全体への奉仕する任務への保障がゆえ、論理上、公権力者の私的な自由権が制限されるのは、已む得ぬことだ、前回のコメントでは、申し上げているつもりなのです。

だから、公権力者の政治的ビヘイビアの問題であって、必ずしも、19 さんのご意見に反対しているつもりはありません。

19 閃光 11/19 11:25
>たとえそうであっても、公権力者はあらゆる宗教集団や信条において
>自由な識見を有し、公平な権力行使を行う必要がある公人なのです。
>そういう公権力者が神社参拝を政治的に利用したりする行為を行えば、
>その時点で公人の職務を私的に利用することになる行為になるのです。

靖国神社を政治利用しているのは、靖国反対~と叫き散らしている連中でしょ。
靖国神社はただの一宗教法人です。 誰が参拝しようが自由。
明治神宮だろうが、伊勢神宮だろうが、参拝するのは自由です。
寺でも教会でも、行きたければ行けばいいし、行きたくなければ行かなくて良い。
ただ、他人に「靖国参拝に行け」とか「行くな」とか強制する権限は誰にもない。

18 ゲオルゲ 11/19 09:31
あんまり、物わかりが良すぎる。

17 ふねしゅー 11/19 00:57
(つづき)

サピオの欄外で小林氏が「鳥越さんが自主防衛論に賛成してくれた」と書いていましたが、その意味がやっと分かりました。ぜひ、小林氏には、欄外などではなく、ぜひゴーマニズム宣言本編で、今回の対談の様子を記述してほしいと思うのですが、いかがでしょうか?

鳥越氏「アメリカの原子爆弾投下については、これから裁かなくてはいけないと僕は思っている。これは、これからでも人類が裁かなくてはいけない犯罪ですよ」
鳥越氏「いや、僕は言ってますよ。在日米軍基地はゼロベースで考えようと。こんなものに頼り切っているから日本人の精神は腐敗していくんだと」

同感です。

オーマイニュースは左翼メディアだと言われていて、でも私はそこには目をつぶるつもりで、市民記者メディアという可能性のほうに期待して、これまで何本か記事を投稿してきました。

小林氏「(鳥越さんが)単に、左翼的リベラルでないということが分かりましたから」

同感です。と同時に、風評を信じ込んでいた自分の認識不足を恥じたいと思います。

今回の記事で、鳥越編集長が好きになりました。
ありがとうございます。

16 ふねしゅー 11/19 00:55
「日米論・防衛論」と題されていますが、前半はむしろ「宗教論・倫理論」とでもいうべき内容で、前回に引き続き興味深い記事でした。

戦後の日本において、宗教というものがある種タブーのように考えられているところがありますが、たとえば「生きること」あるいは「死ぬこと」を論じるにあたっては、まだまだ人間は宗教に頼る部分が大きい。アラブの人々にとってはイスラム教であり、アングロサクソンにとってはキリスト教であり、我々日本人にとってはやはり神仏習合の宗教観に依るのだと思います。

信教の自由というのは、言葉としての聞こえはいいですが、そもそもはカトリックやプロテスタント、つまりキリスト教の枠の中での自由という概念から生まれたものであり、アジアにおいてはしばし、キリスト教を布教するための口実として使われている節があります。オウムその他のカルト宗教が流行るのも、信教の自由の建前のもと、規制がとれず、相対的に伝統的な宗教観が失われてしまっている証といえるでしょう。

小林氏は実家がお寺なんですよね。私は以前インドで仏跡を巡ったことがありますが、インドからチベット、中国や朝鮮半島を越えて日本までやって来た国際宗教としての仏教について、深く考えさせられるものがありました。

靖国神社についての議論が散見します。私はいわゆる靖国参拝については賛成しますが、それが絶対であるとは思いません。あくまでも日本人の宗教は、漠たる八百万の神々と、北伝した大乗仏教の混在であり、それでよいのだと思います。小林氏もそうなのではないかと思いますが。。。

15 Tony 11/18 21:03
続き3/3。誤解があっては、ならないのは、靖国神社がどのような宗旨で運営され、どのようなことで発表しても問題ないことなのです。また、外部の社会(他の国も含む)が靖国神社に宗旨を変える必要なある発言をするべきでないのです。宗教集団が不法行為や不当行為あるいは民主政治を冒涜し、政治的越権行為をしない範囲なら、どんな宗旨を信仰しても問題ないことなのです。
それは、一宗教集団の信仰、信条の自由に基づく行為そのものであるから、これに規制があるわけないのです。

たとえそうであっても、公権力者はあらゆる宗教集団や信条において自由な識見を有し、公平な権力行使を行う必要がある公人なのです。そういう公権力者が神社参拝を政治的に利用したりする行為を行えば、その時点で公人の職務を私的に利用することになる行為になるのです。

だから、小泉首相の言ったことのように、「心の問題」などと言うことばの心とか信仰はすでに私的な自分行為(プライベ-ト)に属する行為を首相という
職務権限行為で政治的に利用しているので、憲法20条に違反になるから、参拝が認められない、と言われているのです。すなわち、首相という職務権限をもちながら、私的行為を政治的に利用したり、政治的に他宗教を屈服させる行為に及ぶ畏れがあるからとも言えるのです。民主政治では、国民の自由を保障するには、一部の特権者の自由を制限せねば、国民全体の自由権が成立し得ない自由権があるのも否めないことなのです。
★他の記事の靖国のコメントを再掲載 

14 Tony 11/18 20:59
続き。 公権力者、といえども信仰の自由は存することは認めるが、公権力の任期中はその自由は制限されているものと考えてます。ダブル スタンダ-ドに陥るのは、そういう側面を持つ公権力者のあいまいな行動にあるのです。また、あいまいな行動を取って誤魔化しをする公権力者が、「私の心の問題」など言って逃げているのです。そして、その公権力者の真偽の弁別は誰にも分からず、堂々巡りの論理が罷り通ってしまうことに、問題あるのです。だから、人の心の中など誰にも分からない問題で論議しても始まらない訳です。だからこそ、その人の言動ではなく、そのひとの行為に着目する形式主義で判断する以外方法がない、と考えざるをえないのです。もちろん、この手法を一般自由人に適用すれば、宗教裁判的要素なのですから、一般人に適用することは、恐怖政治に陥ることは否めませんが、比較的ゆとりのある公権力者だけには、限定的な手法で適用してもよいのではないか、考える次第です。そして、その限定的な手法を適用する範囲が憲法20条の規定、と考えてはいかがでしょう。だからこそ、公権力者の信仰の自由を認めても、憲法20条の範囲内に限定して、その自由を制限することを認める必要がある、と考えるのです。だけど、親族の冠婚葬祭などは家内行事ですので、公権力者の私的行為は参加可能なのは自明の理です。しかし、縁者と称して、選挙運動(政治活動)のご祝儀など配るのは、憲法でなくても、政治資金規正法に抵触する行為になることは、言うまでもありません。また、聖職者などが外交・文化・福祉活動する場合でも公権力者が改宗する行為とは言えないから、会見も可能です。小泉首相の例では、もし、どうしても、信教自由を首相が求めたいなら、首相の辞職して一国民になれば、いつでも可能です。私は首相の職務権限と信教の自由の両方を求めるのは、ないものねだりする幼子のようではありませんか

13 Tony 11/18 20:56
中韓関係おける歴史認識論に偏重した外交をするのはナンセンスです。公権力者が靖国に参拝することは、憲法20条の政教分離の原則から否定されるべき公権力者の行為である、と考えます。だから、中韓外交関係論や歴史認識論における日本の国益論でこの問題を論証するのは、必要なしとは言えないとしても、問題認識が片寄り過ぎた靖国参拝論議であることは否めないでは、ありませんか。憲法20条は公権力者が特定宗教などと結び付く行為で、他宗教や個人の信教信条を抑圧したり、あるいは公権力が特定宗教の影響を受け、特定宗教の中に行政権力が取り込まれ埋没し、特定宗教のドグマに偏向する政治構造となる危険性を防止して、自由人の権利を保障し民主政治の基本的原理を守るための公権力者と特定宗教に対するファイア ウォ-ル(障壁)規定なのです。従って、公権力者の最高位となる首相などが靖国参拝する自由を制限することで、個人の自由権(権力のない少数意見の保障)を保障することとなるデモクラシ-の原理を確立する規定が憲法20条の政経分離原則なのです。
そういう点で、たとえ、中韓関係や歴史認識での論議で靖国問題が解決できることになったとしても、憲法の規定(民主主義の原理)から首相が靖国参拝を認めることは、認められないと考えます。それは靖国だけでなく、他のオカルトや伊勢神宮であっても、政治的に利用されうるなら、参拝できないのです。
また、中韓関係おける国益を外交的に取引材料とする論理はナンセンスだろうし、自由な学術上の社会科学である歴史認識(歴史事実ではなく歴史評価の意味)を政府の統一的見解にまとめて研究すること自体、研究者個人の自由な学術研究や信条を排除することとなる思想統制に繋がる訳で、民主社会の基本理念に反するナンセンスな議論ですから、これらのナンセンスな前提条件で靖国参拝の是非を議論しても、意味ある議論だ、と思えません。

12 hidetaka 11/18 09:50
鳥越さん、小林よしのりさんの対談、3回連載、しっかり読ませてもらいました。最後までいきましたので、読後感送らせていただきます。

多くの論点にわたって、両氏が語り合った内容は、たいへん面白いものでした。よしのりさん、しっかり勉強もしていて、自分なりの意見を持っているということもわかりました。一面的によしのりさんをとらえすぎていたのではということ、いささか反省させられた次第です。自分のゴーマニズム宣言、きちんと全部目を通してほしいという希望を出されたのには、何冊か目を通しただけの自分の反省材料となりました。

それだけ私にインパクトを与えた、絶妙な対談になっていたからでしょう。ふたりが福岡県の出身組であったということも、非常に良い雰囲気での対談という印象を強めてくれました。おふたりの発言から共感する部分が何箇所もあったのは、私としては驚きでした。おふたりはおふたりそれぞれ、私は私ですからとの、先入観が強かったのです。

とにかく、鳥越さんもよしのりさんも、自分なりの意見に関して、体を張っての努力をしていること、改めて知ることとなりました。だからこそ、「理解」も「反発」も出るし受けるのでしょう。ご両者、へこたれてなどいないようですから、ひきつづきどんどん言い続けてほしいものです。

わかりあえる部分、詰めて話し合うとけっこうあるものだということの見本でした。違いは違い、一致点は一致点ということで、少し肩の力を抜いたほうがよいのかもしれません。私なりのスタンスを考えるのにもためになった対談でした。意外性にあふれた人間くさい対談、ありがとうございました。おふたりに感謝します。

11 安住るり 11/18 09:06
magunajio様

コメントありがとうございます。
貴ページの靖国神社論を拝読し、非常に納得がいきます。
靖国神社が掲げている理念(?)は、けっして、日本の伝統的な宗教観・宇宙観・価値観といえるものではないですね。

10 まぐ 11/18 08:38
>1さん

靖国神社に関しては同意です。
天理教より歴史の浅い新興宗教です。
まあ、日本も近代国家としてはそのようなものですが。

そのような靖国神社を愛国心の核の一つにするのは、いかにも筋が悪いと私は思っています。

以下は靖国神社に関して考察した拙文です。

http://gakumonnnohiyamizu.blog20.fc2.com/blog-entry-2.html

9 まぐ 11/18 08:14
>4さんへ
文明の衝突かどうかは微妙な点がありますが、以下の点から、今後の紛争の大きな要素にはなるだろうと思います。
○「近代国家」の国境により、民族が分断されている事
○イスラム教の信者が世界で急増している事
○アルカイダ(イスラムの異端)は世界の多くの民族独立派に援助 を行っている事
○国家はテロ対策と称して民族の独立運動を武力弾圧できる事
 例 中国、ロシア
○少なくとも米国のネオコンの認識ではイスラムテロネットワーク
 との戦いは50年に及ぶと考えている事。

それにしても顔マークはいらないのではないか?

7 金本 11/18 01:42
●編集部により、コメントが削除されました。

6 金本 11/18 00:58
コメントが行きっぱなしで盛り上がりませんですね。

5 冥王星 11/18 00:07
>自主防衛論
面白かったです。
私は独立国家には防衛のための軍隊を持つのは当然と思っています。今の自衛隊も専守防衛に徹するのが筋と思っています。

4 レナード 11/17 23:38
靖国神社は国のために殉じた戦没者を、戦前の国家神道の神として合祀していると
いう点で、特異な宗教施設であると思います。敗戦後、靖国神社は一宗教法人に
なったとはいえ、祀る戦没者は国が決めたといういきさつが報じられていました。

共同通信の小池新さんは、靖国神社は戦没者を軍神として祀ることによって、国家が
国民に犠牲を求めるシステムの最終装置として機能したと言っています。その通りだ
と思います。ほんとうに問われるべきは、国が個人の死を慰霊することの意味だと思
います。

質問があります。

>21世紀の幕が開けたとたんに「911」が起きた。これはどういうことかというと、イスラム社会からの挑戦ですよね。

これはまだ検証されてはいないですね。
検証なしに「イスラム社会からの挑戦ですよね」と断定できないと思いますが、いか
がでしょうか?ブッシュ政権は01年10月、オサマ・ビン・ラディンが9・11の首謀
者だから捕らえるという名目でアフガニスタンに武力侵攻した。しかし、同政権はい
まだにビン・ラディンがひきいるアル・カイダがやったことを示す証拠を提示してい
ません。

FBIは「ビン・ラディンが最も重要な指名手配者」としていますが、その理由に
WTCとペンタゴンへの自爆テロは挙げていません。指名手配の理由はダル・エス・
サラームとナイロビの米大使館爆破事件への関連だけです――この事実を
どう考えるか。

>イスラム対アメリカ、もしくはキリスト教十字軍的な精神との“文明の衝突”というのは、ずっと続くと僕は思っているんですよ。

“文明の衝突”論は興味ある仮説ではあるが、今後50年、100年と続く
というのはどうなんでしょうか? そう仮定して議論を進めるとしても、
前提にはできないのではないでしょうか?

1 安住るり 11/17 21:42
まず、「ひと言」を書きこむのに、「感情」マークをこの6っつの中から選ばなきゃならない、というのが、どうにも違和感があります。
「疑問」という表情があれば、一応それにしますが。

この「インタビュー」の内容には、「疑問」がたくさんありますが、とりあえずひとつだけ。

>>>
日本の価値観に靖国が関わってるんですよ。霊を祀るという価値観、アニミズムの世界、こういうものに関わってるわけですから。


これだけでは、小林さんが仰りたいことは充分に分かりませんが、
靖国神社とは、明治時代に、欧米の帝国主義に対抗するための「富国強兵」政策の推進の手段のひとつとして創られたもの、だと認識していますが。
違うでしょうか。
つまり、創設当時からきわめて「政治的」な目的を持ったものだったのではないでしょうか。

この靖国神社が、日本の伝統的な宗教構造のひとつの要素である「アニミズム」である、(に関わっている)という小林さんの認識は、妥当なものなのでしょうか?
私にはよく分かりません。
詳しい方のご意見をききたいです。

なお、ここには、「A級戦犯合祀」と、それに関する「昭和天皇のお言葉」のことは語られていません。そこまでいくと、とても複雑な話になってしまいますから。
まずは、「靖国神社は、日本の伝統的な価値観に沿った宗教施設なのか」という疑問です。


ここ↓に注目。

小林よしのり氏が語る日米論・防衛論──編集長インタビュー<3>(鳥越俊太郎 2006年11月17日(金))より引用

さすが我らの鳥越俊太郎編集長(当時)ですw これで鳥越俊太郎氏を好きになってくれる人がちょっとでも増えるといいと思います。