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『マフフーズ・文学・イスラム―エジプト知性の閃き』 八木久美子著

引用元URL:http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000003338

★著者レビュー★ イスラム教徒のエジプト人作家が見た20世紀
八木久美子
2006-11-23 12:41

【画像省略】

 エジプトといえばピラミッド。日本からも多くの観光客が訪れる。エジプトをイスラムの国とはっきり認識している人はそのうちどの程度いるだろうか。古代エジプトの巨大な遺跡の陰に、今という時代を生きるエジプトの人々の姿は隠れてしまっているようだ。

 エジプト人作家、ナギーブ・マフフーズ(1911-2006)は、アラブ世界を代表する小説家であり、1988年にはノーベル文学賞を受賞した。彼はいつも変わらず、知り尽くしたカイロの下町を舞台に、カイロの民衆を描く。自分が愛してやまぬ故郷の人々の姿を通して自らの問題を突き詰めていく。

 私は1989年、新聞社の中にある彼のオフィスを訪ねたことがある。当時の私を含め、若い世代の訪問者と優しい笑顔を浮かべながら気軽に話をする彼の姿が印象に残っている。どれほど大家のなろうとも、いつも変わらず人々の近くにいようとする彼の生き方を垣間見た気がした。

 かつて植民地支配を受けた国の多くがそうであったように、エジプトでも1922年の独立後、新しい国造りを目指す人々が信じたのは、ナショナリズムの思想であった。彼らにとって、それは唯一の選択肢であるかのように思われていたと言ってもいいだろう。マフフーズはこの世代に属する。

 しかしエジプトのその後の歴史――国王の過大な権利を認めた憲法下の混乱と、イギリス軍のスエズ駐留継続による干渉など――は、ナショナリズムの思想が根付いていないどころか、民衆には理解されてすらいないことをあらわにした。独立運動の熱気が冷め、社会改革が期待されたほど進まないとわかったとき、人々は宗教に回帰していった。

 西洋から輸入されたナショナリズムの限界にマフフーズが気づくのは、時間の問題だったと言っていい。彼は異なる宗教に属する人とも平等の立場で語り合い、同じ国民として接することを可能にするような、「イスラム的」論理を捜し求めた。1994年、82歳のマフフーズが暗殺未遂に遭った事実は、その過程における彼の作品がイスラム社会に与えた衝撃の強さを物語る。

 その知的格闘は、彼の作品のなかにはっきりと姿を現す。西洋的合理主義と袂を分かち、神の意志のありかをつきとめようともがく主人公たちの闘いは、マフフーズ自身のものである。マフフーズはイスラムのなかの神秘主義的な流れ(=スーフィズム)のなかに、精神の飛翔そして宗教的寛容の可能性を見出し、自らの理想を「社会主義的スーフィズム」と呼ぶ。イスラム教徒の社会主義への共感は特に珍しいことではなかったが、マフフーズはアラブ世界に広範に見られた社会主義への一方的傾倒ではなく、新しい境地に立って、この理想を掲げるに至った。

 イスラムは、さまざまな姿を見せる。テロに走るイスラム教徒がイスラムを代表するわけではないとわかってはいても、なかなかそれ以外の人々の顔は見えてこない。マフフーズについて紹介したこの本が、その手助けになればこれ以上の願いはない。

 (著者=評者は東京外国語大学教授)

第三書館
2000円(本体価格)
単行本ハードカバー、四六版384ページ
2006年9月15日発売
4-8074-0603-5

 (版元ドットコム)

オーマイニュース(日本版)より

※引用文中【画像省略】は筆者が附記


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お約束なのでこれを埋め込んでおきます。

サウジアラビアやイラン、イラクで出てくる言葉はまずイスラム教、石油ですが、エジプトはどうしてもピラミッド、ナイル川、古代文明でイスラム教の国だということを忘れてしまいがちです。ジョジョ第3部を読んでいてもそう。この書籍は未読です。

特殊な人はカイロ大学とかを思い出すかもしれませんね。