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団塊世代でもバブル世代でもなく

引用元URL:http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000003367

「格差拡大」を議論する前に
I浦 A実
2006-11-30 07:01

 近ごろ、「格差拡大」という言葉をよく耳にする。「格差」を辞書で調べてみると、「同類のものの間における、価格・資格・等級・水準などの差」(三省堂『大辞林 第二版』参照)とある。なるほど同類ということが前提らしい。しかしどうだろうか。僕にはそもそもこの「同類」という暗黙の前提がすでに崩れているような気がしてならない。

 「世代間の意識・価値観の相違」が、格差拡大の問題や他のどんな問題もその解決を困難にし、より複雑にしているように思えてならない。そしてその世代間差は一般に想像されているより激しく大きい気がするのだ。

 以前とあるテレビ番組で、若者の凶悪犯罪について年配のコメンテーターが「まったく理解できませんね。ひょっとしたら、この国の世代間にはわれわれの想像以上にギャップのようなものが横たわっているのかもしれませんね」とコメントしていたが、僕にはそんなことも気付かないことの方が逆に驚きだった。

【画像省略】
写真はイメージ

 別に、戦前の全体主義だとか、隣国のような一党独裁の下国民が1つにまとまるのが理想だと語る気はさらさらないが、この国はすでにバラバラな気がしてならない。
 
 話題を矮小化するようで申し訳ないが、この世代間差について感じていることを少し書きたい。僕なんかは、せいぜい26年足らずしか生きていない若輩者に過ぎないが、両親の世代、いわゆる団塊世代だけを考えても、僕たちの生きてきた時代とは似ているようでまったく違う。

 例えば、僕たちの世代では、団塊世代の一種の「狂信的なガンバリ様」が生んだ高度経済成長時代の恩恵を受けてきたはずだ。なのに、とかく団塊世代に対するイメージが悪かったりする。メディアによる影響は少なくないと思うが、僕たちのイメージする団塊世代とは、日本を先進国に押し上げた「企業戦士」というプラスのイメージと同時に、家庭を顧みなかった世代であり、家庭の崩壊をもたらした世代といったマイナスのイメージも大きい。

 また、就職を通じて強く感じたことだが、いわゆる世の中がバブルに浮かれていた世代とも、どうも価値観が違う気がしてならない。例えば、せいぜい10歳程度しか離れていないのに、私たちの世代から見れば、就職で有利だったバブル世代に対しても「温室育ち」だとか、一方的で否定的な見方をしがちだ。

 このような例を探そうと思えば枚挙にいとまがない。しかし、僕たちの世代から上の世代の方向に感じる世代間差はせん望がねじれた一種の妬(ねた)みに違いない。しかし、その妬みが時として人をも殺す原因になったりすることを考えると、問題はそれほど矮小だとは思えない。果たして、未来に希望が持てた時代を生きてきた世代と、未来に希望を見いだしにくい時代を生きてきた僕らに共通の価値観はあり得るのだろうか?

 日本は戦後たったの60年足らずで劇的な変化を体験してきた珍しい国だと思う。だから、「世代間差が大きいのだ」というちょっと乱暴な理論もたいがいうなずける。しかし世界の歴史をひも解くと、このような劇的な変化を通じて、“世代間闘争”とでも言うような激しい世代間差を経験した国や地域はいくつもあったに違いない。その劇的な変化を乗り越え発展していった国がある一方で、衰退していった国もある。

 僕たちはどちらの道を歩むのだろうか。あらゆる問題をその世代間差のせいにし解決しないという道を歩むよりは、世代間差を前提にもっと何か共通の未来を想像・創造することができると思う。

 例えば、政治に目を向けても、政治家は国民を代表する、すなわちさまざまな世代を代表していると言えるだろうか。少なくとも、僕たち若い世代を代表しているとは言い難い。だから、どんなに政治家が暗黙の共有の価値観を基に声高に理念やポリシーを叫んだところで、僕たちの耳にはまったく響かない。

 だから言いたい。何よりも僕たち自身の未来のためにも、僕たちがもっと積極的に政治に参加し、僕たちの世代の意見を政治にもっと反映させようと。

オーマイニュース(日本版)より

※引用文中【画像省略】は筆者が附記


この記事についたコメントは18件。

18 安住るり 12/05 01:21
15 S木I朗(ichiroh)様

団塊の世代のオヤジ様、こんばんわ。

>>>「三丁目の夕日」をノスタルジックに美化していうオヤジやオバハンがいるけれどそれは嘘だ。
~~~
この《話題》の映画を、先日たまたまテレビで観ました。
私は昔のことはどんどん(特にdetailsは)忘れるたちなので、また、あの時代の《東京の下町》のことも知らないので、ノスタルジーはなく、観ているうちに「これは、ディズニー映画だな」と思いました。

「メアリーポピンズ」の、ロンドンの貧民街の場面とか、タイトルは忘れましたがニューヨークのスラム(?)の住民のほのぼのとしたお話とかを思いだしました。つまり、ファンタジーですね。それなりにたのしめました。(テレビでタダでみられたからね)
続編ができるとか。

先月、経済発展の光と影、みたいなテーマで「いじめ」に関する記事を書いたのですが、何日も置いておかれて、きのう「ニュースのたね」のほうに入れられました。「コンビニエント社会がこどもを追い詰める」というタイトルです。
よろしかったら読んでください。もっと文章を整理すべきかな、と考えています。

「欲望過剰社会」は持続可能ではないのだ、ということを言いたかったのです。このI浦君の世代の「閉塞感」は、学校での陰湿ないじめ問題にも通低していると思えます。


>>>故意ではないにしろ、この息苦しい今の時代を君たちの世代に迎えさせた責任は先に生まれた私たちにある。

~~~
まったくそのとおりです。だから、微力でも、なんとかしなければ、と
ネットで発言してみたりしているわけなのです。すくなくとも、私が産み出した3人の子供に対しては「個人的な責任」がありますし、彼らの未来は、これからの「社会のあり方」に大きく影響されるのですから。

15 S木I朗 12/02 12:55
こんにちは、団塊の世代のオヤジです。
自分たちの時代が良かったのか、君たちの時代が良くないのか比べることは出来ない。ただどの時代も後生の世代に迷惑をかける気はさらさらなかったと思う。
では後生の世代のことを考えながら自分たちが生きてきたかというとそれも無い。ただ目の前のことだけ。経済大国イコール幸せになれることと信じてた。
やがてバブルの時代を迎え、一億総エコノミックアニマル化した。
「三丁目の夕日」をノスタルジックに美化していうオヤジやオバハンがいるけれどそれは嘘だ。じゃあ、その時代に逆もどりするから生活してみろといったら、一番先に反対するのは、たぶんその世代だ。それはその時代のみすぼらしさや汚さ(物質的なことだけではなく精神的な面も)を知っているから。
故意ではないにしろ、この息苦しい今の時代を君たちの世代に迎えさせた責任は先に生まれた私たちにある。

14 Tony 12/02 12:07
続き。
若干、記事とは話が逸れましたが、格差社会というけれど、実際、本当にひとの適性に合い、かつ、機会均等な履修課程となる教育制度になっているのだろうか?なぜか、私には、現実の学習指導要領は高級官僚を育成するためのカリキュラムしかないような気がするのです。そして、このカリキュラムから外れたものを「落ちこぼれ」と言い、規格外品のレッテルを貼り、入学試験でふるいがけをして人材を浪費しているのです。>12さんの言うような、世界に冠たる人材も規格外品のため、現実の学習指導要領で育成するのは難しいような気がします。本当に必要な格差社会とは、日本や世界に必要な幅広い優秀な人材を育成し、その者の社会への能力の貢献度おいて評価されることが重要なような気がします。だが、その者の学歴や親の名声などで評価されているのは、文化賞などを受賞するひとに、官僚出身者がなんと多いことか?幅広い人材を輩出する教育は、教育を機会均等に受けることと個人の才能としてその適性の専門性に応じた能力育成が車の両輪である、と思えます。官僚の育成ではありません。それには、画一教育の温床となる受験体制を打破し、卒業の修得たるその個人の才能の専門性に応じた履修認定で卒業させることであろう、と思います。履修認定が確実なら、入学試験は不要なのです。少なくと、個人の才能に合った職業ならその専門の第一人者なれる機会は幅広い人材の機会が与えることになり、能力格差社会であるが生活の均等が両立できる、と思えるのです。
現代は能力の格差でなく、生活力の格差があるから、問題があるのです。
格差をもとめるべきは能力であるべきですが、生活基盤の格差がある場合は社会性を失い、社会が乱れる元凶なのです。昔、中国の皇帝になった劉邦と項羽の話で兵(民)に食を与わずして、四面楚歌に遭い、挫折した通り、国民生活を顧みない政治は潰れる、と思えます。

13 Tony 12/02 12:03
>12 BJチョコラム さんへ
まさにその通りなのです。私は、こどもの成長課程(肉体的・精神的・心理的)に応じた教育課程にして欲しい、と思うのです。体力・情緒・規範と自主性を養うのこと教えずして勉強、勉強とこども押立ているのです。どんなに、がんばるこどもでも、否、頑張りすぎるから、ひとの心が乱れるのです。頑張り過ぎれば、おとなでさえ精神に異常をきたし、とんでもないことをしでかし、人を傷付けたり、命を絶ったりするのです。ましてや、思春期で情緒不安定に成り易いこの年頃なればこそ、なおさらです。気が変にならない方がおかしい、と思えます。いじめの根本原因はそんなとこにあるような気がします。続く。

11 ツジ 12/01 08:27
私は、記者さんが書いているような「世代論」にはあまり興味がありません。同じ世代なら同じことを考えているのか? そういう疑問が先に立ってしまいますね。それに、「他の世代」のことをかえりみないような独善性にたってしまいそうな議論なのも好きではありません。「若者独裁」で「寝たきりのお年寄りの気持ちは無視」ではどうしようもありません。

10 編集部・朴(てつ) 12/01 04:26
あ!ちなみに僕は30です。なんか、カミング・アウトの雰囲気?!

9 編集部・朴(てつ) 12/01 04:21
26才にしてこういう落ち着いた文章ってすごい。内容は、別として大変気に入りました。勝手ですいませんね。これからも時々書いてください。

8 T橋A哉: 12/01 01:22
>6
I浦様
次の世代に伝えていく事はとても必要です。
26歳にしてそれを知っているなんて素晴らしいです。
私の26歳の頃はどうやったらうまくナンパ出来るかしか考えていませんでした。(バブルは終わっていたのに。(^_^; )
世代の特徴でカテゴライズするのなら、池浦さんは団塊の人達と上手くやれそうな感じですね。(団塊ジュニアって言うのですか?)

そうそう、戦う時には表にいる小悪党より、裏で糸引いている本物の悪党を見つけてから勝負に出たほうが良いですよ。
何百年も昔からそういう悪いのって居たようですから。

自分が出来る事から頑張りましょう!
その気持ちと行動こそが次の世代に繋がります。

7 安住るり 11/30 21:23
I浦さん
ぜひ、年長者をうまく「利用」してください。
「政治」はこれから変わっていかざるをえません。
いままでの「政治家になる方法」とは全く違う道筋を探ろうとしているのが
「団塊ネット」です。
http://e-janaika.net/dnet/
まだ始まったばかりですが、「カネ」がなくても仲間で助け合って、「やるぞ!」という人材を議会に送り出すのです。
地方議会を活性化させれば、国会も変わらざるを得ません。
いまの、どうしようもない地方議会(ほとんど利権議員ばかり)を揺さぶることによって、一般市民のための本当の意味の「日本の構造改革」をやらなければ、この国に「未来」はありません。

団塊のおじさんおばさんは、ジュニアの参加を大歓迎しますよ。
勉強の機会も山ほどあります。どんどん入ってきてください。

6 あっきー 11/30 21:01
皆様貴重なご意見どうもありがとうございます。

最近はやたらに「格差」という言葉を聞くのでこの話題が世間の身近な関心事なんだなと思います。
しかし、一方で「格差」の原因は何か?そもそも格差とは何なのか?といったことを考える機会を安易に失ったまま言葉が独り歩きしているような気もします。
そんな思いで今回の記事を書かせていただきました。


T橋A哉様

僕の文章力が稚拙なせいで少し誤解を与えてしまったようです。
「世代を越えて」ということに賛成です。
しかし、みんなでやろうにも、みんながそろっていなかったらどうでしょうか。
結局のところ国を舵取るのは国会で成立した法律だと思っています(そう言い切るのはやや冷酷ですけど)。
そしてその立法過程や結果に様々な世代の意見や理想が反映されていないとしたら、どうでしょうか。
これから起こるであろう多くの困難な問題を解決できないと思っています。

例えば、(この予想が真に正しいとしたらの話ですが)地球温暖化といった地球規模の問題の多くは、おそらくその時代の当事者かつリーダーである世代のみならず、次の世代、また次の世代と、常に人々が何十年、何百年も先のことを考えなければならないのだろうと思います。
そのためには、次の世代も実際に政治へ参加し、次の次の世代のために仕事をする。
そんなやり方も必要かなと思います。

5 T橋A哉: 11/30 19:46
私は年齢的にはバブル世代後半です。
現在の若者の就職難は心底気の毒に思います。
時代背景や年齢からカテゴライズし、大きく見る分にはなるほどと思いますが、記者さんの仰るように、それだけではパーソナリティは量れないだろうと思います。
TVに出ている一部のコメンティターが、安易に世代を一括りにして分析している事を問題にしているのでしょうか?
実際の多くの人も記者さんと同意見と感じます。

>未来に希望が持てた時代を生きてきた世代と、未来に希望を見いだしにくい時代を生きてきた僕ら
↑の部分ですが、私は未来に希望を感じて少年時代を送りました。
今の若者が希望をもてない世の中なのも気の毒です。

>何よりも僕たち自身の未来のためにも、僕たちがもっと積極的に政治に参加し、僕たちの世代の意見を政治にもっと反映させようと
↑私も自分の子供が出来てから、希望を持てる時代になるように、自分も非力ながら何か出来ないかと感じています。
記者さんたちの世代だけでなく、それこそ世代を超えて、協力し合えると良いと思います。
バブル世代のオジサンだって気持ちは有りますよ。
(^_^;

(世代を越えてっていう話と思ったのに、若者だけでヤロウって終わちゃってるので、ちょいと悔しくなってコメントしてみました。)

3 Tony 11/30 17:10
>1 安住るり さんへ
同年代なんですね。薄々、他のコラムから感じていたのですが、考え方においては、若い年代と変わらぬエネルギッシュなので、もっと若い方と勘違いしていました。また、ご指摘も鋭いので、感服致しております。

ご指摘の通り、私たちの年代は、意識的には、今の若い世代と変わらぬものもある、と思います。しかし、少なくとも、常に頑張り屋の部分は変わらない世代観があるかもしれません。これからも、あらゆる方面に口と手を出してエネルギッシュ活動する年代ですが、現実は別に塊になって動く世代でもありません。まあ、人生は「塞翁が馬」なのでしょうか?

記事について
格差社会は別に団塊世代に限ったことではありません。寧ろ、新社会人の方が問題かもしれません。これは、大学受験制度に問題ある、とみています。現行の教育制度は官僚機構に組み込む担い手を教育する都合のよい制度ですので、ちょっと、それを逸れたことをする者(芸術、その他の職業)にとって居心地の悪い制度ではないでしょうか?

どの社会でも、多種多様な社会活動に適する幅広い社会人を学校から輩出させるためには、今の学校制度では不十分であろう、と思います。受験制度を廃止して、在学履修認定を厳しくすることと各自の学業・職業意識にマッチした選択を重視した教育制度に変わって欲しいものです。

だから、格差社会で問題なるのは、社会生活するスタ-トラインに立つ若者にこそ、学業・職業意識とそれを自由に選択することのできる公平性でないかと、思います。職業の貴賎なし、誰もが新人で十分に自由に社会生活ができる社会にすることではありませんか。私たちのように、リタイヤメントして生活は、宮沢 賢治の「雨ニモ負ケス」の最終章にあることば、「ソウイフモノニ、ナリタイ」で十分かも。だが、ほんのちょっとでいいから年金で支えてね、が偽らずの心ですが。

2 冥王星 11/30 14:01
政治に無関心であろうが、どうであろうが、政治は身近な生活に直結しています。記者は26歳と言うことですが、若者が政治に関心を持つことは良いことと思います。

僕たちと言うのではなく、一人一人が「僕は・・・と思う」と自己表現する中で、個と個が繋がり何かが生まれるものと思います。

価値観は世代によって違うより、個々に違うだけです。
その違いを認める事から、始める事だと思います。

お互い同時代に生きているのですから。

1 安住るり 11/30 09:15
I浦A実様

はじめまして、安住るりと申します。もすぐ60歳になるおばさんです。
私自身は自分を「かたまりの一部」と意識したことは全く無いし、
厳しい競争の中を生き抜いてきたという意識もまったくないのですが、
いわゆる団塊世代のオジサンたちを若い頃からおおぜい知っています。

学生運動したけど、その後大企業に入ってひたすら経済発展に貢献したり、
一方で「ノンポリ」だった人のほうが実際は多いのですが、どちらにせよほとんどが、
日本を結果的に「経済大国」に押し上げた「モーレツサラリーマン」になりました。

彼らが、もうすぐ「稼ぐ」という価値観から解き放たれます。
一人ひとりの事情は異なるにしても、大きな「変化」が起きると思います。

「稼ぐ」ことに邁進してきた結果のこの現実を、自分が所属していた「会社」などの「組織の論理」から離れたところから、
一市民として、また一人の父親として改めて眺めたら、愕然とするのではないかと、私は期待(?)しています。

まだまだ体力気力にあふれている「団塊のオジサン(オバサンも)」が、野に放たれて何をやりはじめるか、様々に予測した動きがあります。

【超党派】で、団塊世代を地方議会(国会ではないという意味)に送り出そう、という活動も始まっています。
私は深入りはしていませんが、友人知人が張り切っています。
その会合に、【団塊ジュニア】ですでに市会議員になっている青年がエールを送りにやってきていましたよ。

団塊世代が、自分たちの子供の世代の行く末に関心を持たないはずがありません。
年金問題、格差問題などについて、真剣に取り組む動きが必ず出てくると思います。
世代間の「対立」ではなく、コ・オペレイションの道を探りたいですね。
あなたのような若者に期待するところ大です!


政治家として行政に携わるばかりではなく、選挙で投票に行くことも政治に関わる重要な手段のひとつです。先日行われた東京都知事選挙でも60%程度です。

観念論ではなく、実際に「政治を変えたいならまずは投票に行きましょう」と呼びかけることのほうが先のような気もします。同時に並行してやっていくのがベストではありますわね。

(削除)