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B型肝炎訴訟(3)

引用元URL:http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000002330

泥沼を抜け出すために
W辺 R
2006-10-13 00:11

 これまでに、B型肝炎訴訟に関する2本の記事を書いてきた。17年にわたる長期の係争。消えていく数多の生命。他の薬害問題とは違い、なぜか彼らには届かない市民の声。10月10日には厚生労働省が、原告5名(うち1名は既に死去)以外の患者・感染者推定150万人を対象とする救済措置は取らない方針を示した。この惨状は何なのか――。私が到達した考えは、先に述べたように極めて身も蓋もないものである。いわゆる市民運動の中にはカースト制もかくやというヒエラルキー(階層)構造が隠れており、いかに正当な主張であっても有力団体や中心人物が動かなければ主流にはならずに消えている、こういう説である。

 これだけでは悪質な飛ばし記事になってしまうので、B型肝炎の病態を簡単に解説しつつこう考えた理由を述べたい。なお、以下の特徴は現在多数派となっているC型肝炎とは基本的に異なる点には注意されたい。

 まず、日本国内で大多数を占める遺伝子型のB型肝炎ウイルスでは、乳幼児期に感染した場合は持続感染および慢性化する可能性が高いが、大人に感染した場合は一過性で済む場合が大半を占める。すなわち、大人にとっては自分が持続感染者(キャリア)でなければ他人事である。

 加えて、1980年代後半以降は感染対策が充実しているため、現在20歳未満の持続感染者は極めて少ない。長年の放置の結果、晴れて「子供の未来」には概ね無縁な問題となってきた。また、持続感染状態になっても全身倦怠感などの漠然とした症状が出るのが20歳代頃で、約8割は30歳代頃までに臨床的治癒状態となる。こうなれば同様に他人事である。この年代に関する実態把握は今まで全くといっていいほど行われていないが、あと15年も無視を続ければ若い患者はほとんど居なくなる計算である。

 残りの2割が肝硬変や肝がんになる。年代では40~50歳代が多く、男女比では男性が女性の4倍にも達する(感染リスク自体には差が無いと考えられるため、概ね発症率の差とみられる)。こうなれば余命は短い。治療法にも決定的なものが無い。だが逆に、もし今後30年程度放置できれば「生命にはかかわらない疾患」として処理される可能性もまだ残っている。責任問題を回避したい関係者にとっては随分と魅力的な話なのではないだろうか。

 まとめると、中高年が主体、男性よりは女性が強い、といったいわゆる「市民運動」との相性は考え得る限り最悪に近い。先の札幌訴訟の原告5名は全員男性で、17年前の提訴当時は6歳の亀田谷さんを除き20~30歳代であった。既に亡くなった佐藤さんも含めた全員が自営業・運転手・医療関係者といった基本的に訴訟問題や市民運動とは無関係な定職に就いており(亀田谷さんは今年から看護師)、専ら精力的に講演・執筆などをこなしている活動家(その代表例が薬害エイズ訴訟で時の人となった川田悦子さん・龍平さん親子であろう)との差は明らかである。また、薬害C型肝炎訴訟原告にみられるような「子供を出産した際に血液製剤で感染した」といったドラマ性も無く、長年にわたって淡々と患者が量産され、人知れず生命を落としてきたのである。各者を比較して優劣を付ける気は全く無いが、世間の扱いの差は事実として存在する。

 さらに、予防接種肝炎問題の背景が伝統的な市民運動の趣旨(と思われるもの)に反することも一因ではないかと私は推測している。

 部外者から見て、いわゆる市民運動のイメージは次のようなものではなかろうか。「日本国憲法は神聖にして侵すべからず」という主張、特に9条を信仰の対象とする憲法原理主義。したがって、これを定めたGHQも同様に不可侵とする。対して旧日本軍を諸悪の根源とする善悪二元論を展開。近隣諸国の戦争被害者に対する謝罪と賠償がエネルギー源。日本が武装解除すれば他国の侵略を受けることは絶対に無いという超性善説に基づくお花畑思考。以上より、進駐軍はチョコレートをくれる良い米兵だったが、現在の在日米軍は平和を乱す悪い軍隊だから実力で追い出すべき。歴史教科書問題や教育基本法改正阻止は、こうした思想を子供に刷り込むためには譲れない一線。――自分で読み返しても次元の低い悪口にしか見えないのだが、認識を正直に述べたものである。先の記事で例示した靖国訴訟などはこの典型で、一般市民の日常生活からの乖離が感じられる。言い換えれば「素人お断り」状態になっている。

 一方、初回の記事に書いたように、日本における予防接種肝炎の経緯を遡るとGHQ占領下での種痘に行き着く。米国では1940年代前半頃に危険性が明らかになっていたにもかかわらず、である。これでは薬害エイズ・C型肝炎問題で使われた「旧日本軍731部隊の残党・ミドリ十字による人体実験」といった主張をするわけにもいかない(予防接種行政の担当者の中にも同部隊関係者が居た件を取り上げてはみたが、全く広まらなかったようである)。また、想定される主な被害者は1946~88年頃(昭和20~60年代)に日本国内で乳幼児期から小児期を過ごし、保健所・幼稚園・保育所・小学校等で集団予防接種を受けた人と、1985(昭和60)年頃までに生まれたその子供(無対策であれば出産時の母子感染リスクが非常に高いため。3代目も若干いるものと思われる)であり、おそらくほぼ全てが日本人である。

 以上、典型的な市民運動の趣旨と本件B型肝炎訴訟の背景を比較すると、様々な点で明らかに合わない。まず、戦後の話であって日中・太平洋戦争の被害とは特に関係が無い。遠因を辿ったところで、悪逆非道な旧日本軍ではなくあの進駐軍。原則として被害者は戦後の日本でごく普通に生まれ育った日本人であり、特定の集団を形成しているわけではないが人数は途方も無く多い。そもそも当事者の大半は自分自身の感染すら知らない。もし補償するなら天文学的な額になるが、負担ばかり大きく見返りは無い。こうした状況を鑑みれば”市民の声”が皆無だったこと自体は理解できるが、これは善意や良心ではなく打算と思想で動いていることを公言しているのと変わりないのではないか。

 私は、いわゆる市民団体に属するものでない独立系市民として、北の勇者達に捧げたい想いでこの一連の記事を書いた。たとえ貴方達を称える大きな声が聞こえなかったとしても、その偉業を知る者がここにいるという事実を伝えたかったからだ。そして――

 「沈黙を守っている大多数の国民の皆さん、あなた方の支持を求めたい」

 ベトナム戦争当時の1969年11月、自国内の反戦運動に手足を縛られたニクソン米国大統領(当時)の演説は、こういったものだったと伝え聞く。本来味方であるはずの、幾百万の市民の声によって闇に葬られようとする、その窮状は察するに余りある。ここまで読んで頂けたなら、この感覚も御理解頂けるのではないだろうか。

 北の大地に届け、この想い。

オーマイニュース(日本版)より

前回の記事は以下。

次回の記事は以下。(後日追記します)

わたしがこういうことを言うのもアレですが、声をあげなければ気づいてもらえないんですよね。その訴え(主張)が正当なものかどうかはともかく、声をあげることさえできない状況(現在のロシアとか中国、北朝鮮)をわたしは望みません。例の「『ゆっくり茶番劇』は俺のもの」という柚葉(たまゆら)氏の主張は内容はクソですが、その主張を封じることには断固反対します。なんだっけ、フランスかどこかの有名な人が言ったセリフ。アレですw