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無駄意識論争
引用元URL:http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000003308
教科書未履修問題
F野本 S
2006-11-21 18:23
昨今、教科書未履修問題が話題だが…
この前あるテレビ番組(日本テレビ:爆笑問題の「私が総理大臣になったら…」)で、ある女性タレントが、美術や体育など受験にそぐわない教科は削除する法案ということをいっていた。
それは受験生にとってそういう教科は無駄で受験に必要ないので削除してほしいと国会に提出してほしいというものだった。
彼女は医者の資格をもつタレントでかつて自分が受験生の頃思っていたことを番組でいったのだった。
それはバラエティーなので、まあいつものようにその案について論客たちはけんけんがくがくの論争をするのだった。
ボクが思ったことは、そういう受験では時間の無駄だからそういう教科を「無駄と思う意識」がなにかいやなものだと思った。
無駄だからやっても意味がない。
無駄だから削除してしまえ!
それはいまの未履修問題でもよく聞こえてきた言葉だ。
親がなるべく受験時間をとれるようにそういう無駄な教科はなくしてほしいという要望があってこういう問題がおきた原因の要因にもなっていると聞いた。
そして「そういう彼らが歴史や美術の意味を知らないで官僚になっていく」とこれこそ問題があるとある教授はいっていた。
確かに、近年日本では歴史的な価値あるものや建物などがどんどん壊されてきている。
広島の原爆ドームの横に建つマンションの問題。
美術や歴史は受験に関係ないから無駄なものは削除。
歴史的文化価値があっても固定資産税が払えないから取り壊す。
なにかおかしいと思っていたが、なにかリンクしているように思える。
ボクは教科書未履修問題よりその無駄なものは削除しろという意識の方が危険だと思った。
そしてたぶんその意識は最近のものではなくて、ボクらが受験生のことからあったものだと思った。
ある教授はいっていた「人はたくさんの無駄なものの中からたくさんのことを学ぶのだ」と。
でもそのタレントさんは「無駄なものから学ぶものはありません」と、バッサリ!
その意識は深く根深いものだと感じるのでした。
「無駄」を「冗長性」と言い換えれば理解が深まるかもしれませんね。たとえばデータのバックアップなどは冗長性の最たる例ですが、大事なデータのバックアップをとらないのはデータが消失した時の損害を考えればリスクを高めるだけの行為に他ならないわけです。
聞きかじりですが、体育の水泳の授業はなくなるか縮小の方向へ動いているそうです。
無駄というよりは設備の維持が難しい面が大きそうですが、水泳の授業の後の国語の時間のものすごいけだるさ(昔の小学校にはエアコンなんてなかったw)の体感を共有できないのは、ちょっとさびしいですね。
いや、社会だったかな。あのポワ~っとした感覚しか覚えてません。