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最近の自殺報道に思う

引用元URL:http://www.ohmynews.co.jp/HotIssue.aspx?news_id=000000003096

再発防止も責任追及もできず、騒ぐだけしかできない
H田 Y二
2006-11-28 08:12

 校長先生に、元官公庁の要職……毎日のように自殺報道のニュースを聞く。耐震偽装、ライブドア問題、官民の癒着、どのケースも、キーマンが自殺してしまうことによって、それ以降の報道がめっきり減ってしまっている気がする。自殺は事件の顛末ではなく、重要な証拠の隠滅の可能性もあるのに。

 最近、いろんな意味で「逃げ場」なり「再起の場」が奪われている気がする。悪いことをしたのだから刑罰は受けるべきだと思うが、それ以上に、人としてさらし者にされ、生きる権利まで奪われるかの扱いをされていないか。件の校長のケースも、必須科目を履修させなかった全責任が校長にあるとは到底思えないし、数多ある全国例でたまたま早くに発覚したケースというだけだ。あるニュースで、事件のあった地域を管轄する教育委員会が「子供の将来を預かる身分として、このような事件が起こったことは非常に残念」とコメントしていたが、あまりの当事者感覚のなさに愕然とした。これではとかげの尻尾切りと同じだ。

 小中学生のいじめによる自殺報道も目立つ。だが、これらは本当にすべて報道されなければいけないのだろうか。遺族の悲しみを思う時、ただ騒ぎが大きくなるだけで再発防止も責任追及も期待できないマスメディアの報道を拒絶する権利があってもいいように思う。なぜ彼らはあんなに律儀に答えなければいけないのか、答えないと逆にバッシングを食らわなければいけないのか。同様の事件が起こってほしくない、犯人にはちゃんと罪を償う意識を持ってほしい、ただその願いのためではないのだろうか。

 僕は、自殺を選んだ人たちを人間的に決して弱いと思わない。まして幼い子供たちにその責任は負わせられまい。「死ねばすべてが解決する」とも感じ取られかねない、今の自殺報道のあり方にも大きな問題が潜んでいるような気がするのだが。

オーマイニュース(日本版)より

この記事は【特集】いじめ考に掲載されました。


この記事についたコメントは3件。

3 Ronnie 11/29 00:47
基本的に賛同し追加発言です = 鳥インフルエンザ事件で老夫婦を自殺に追い込んだマスコミとコメンテータは唾棄すべき輩です! 中国の文化大革命でも同じ現象がみられましたが、極東の島国では、中世の魔女狩りが今でも現存しています。

生贄を神に捧げても問題は解決しません。担当者Aを担当者Bに首の挿げ替えをしても、また同じことが繰り返されるだけです。
問題は人ではなくシステムにあるからです。「起きてはならないことが起きてしまった」ではなく、「起こるべきことが起きた」「現状は必然的に存在する」と総括しなければ、解決に結びつく治療にはなりません。要するに、この国の弱点は、総括が科学的でなく情緒的なところなんです。
インパール作戦一つをみても、戦争に負けたのは、国力の問題だけではなかったと私は総括しています。

2 Tony 11/29 00:44
続き。
それには、いじめられる者を十分守られる体制が間違いなく見える形でできていること、何段階もの相談アクセス体制が何種類も用意してることが前提です。しかし、いじめる者の心理をきちんと分析されなければ解決されないのでいつまでもエンドレスで続き和解されずに問題が解決されない、と思えます。そういう意味で、生徒たちがテ-チインするため、ロ-ルプレイングをして、いじめの心理的実態を経験させることも、必要なのかもしれません。また、いじめ事件が発生したときは、じっくりとその実情と背景を知るために、すべての生徒と教師が当事者意識を持って、カウンセリングの前に彼らの意識を彼らの目線で、彼らと向き合って対話しながらその背景を分析する必要があるように思います。始めにカウンセリングがあるのではありません。カウンセリングができるような状況は問題点が見えているからできるのですから、その前の実情調査こそ重要であろう、と思えます。現状のいじめ対策はとにかくいじめをなくせの対応では、その深刻さは分からないのです。思春期の心理はちょっとしたことから、マッチの火が点き、火事になり燃え盛るのです。そのマッチの火が、表現力の乏しさとおとな社会の鏡を反映して、男女関係のもつれ、友人関係の意思疎通、他の成績や能力への当てつけ(嫉妬心)、親子家族関係の軋轢など表面的に見えない問題が潜んでいるときの問題行動から別問題へと燃え拡がる問題がいじめという問題行動だ、と思えます。

1 Tony 11/29 00:44
この記事のマスコミに対する視点は妥当、と思えます。
また、文科省と教育再生委員会の対応で、いじめ側の生徒の出席停止の措置も物事を短絡的で「臭い物の蓋」の論理にすぎないような気がします。もちろん、いじめに遭って自殺をすることも真のいじめの解決ではありません。

いじめ事件の真の背景をつぶさに分析されなければ、いじめ事件は陰に隠され、より一層、問題を深くするのは、今までの事件の傾向で理解されている、と思えます。それには、いじめをする者、いじめられる者、傍観する者の心理を徹底的に分析するべきではないでしょうか? 続く。


鳥越俊太郎編集長(当時)がキャスターをつとめていた『ザ・スクープ』とかJNNの『報道特集』のように(内容の善し悪しはあれど)腰を入れて取材した番組で取り上げる分には良いことだと思います。

ニュースバラエティで事件として取り上げられるだけマシという考え方もできますが、Youtubeの時事ニュース系チャンネルで取り上げるのと大差ないような気もします。マスメディアというプライド?みたいなものでとんでもないデマは流さないだろうという担保はされているのが救いですかね。

Youtube等だとひどいデマを流すチャンネルもありますからねぇw

再生数が死んでいるので放置しても問題ないはずですが、それを信じてしまう(削除)がいたりするからねぇ。