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カースト制度は文化的風習

引用元URL:http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=0000000002702

ヒンズー教徒の市民記者が同じ仲間への差別を嘆く
スミタ・ポウデル
2006-10-30 07:00

 アジア諸国に住む、ダリットと呼ばれる数百万人のいわゆる低カーストのヒンズー教徒の窮状は改善していない。いわゆる高カーストの人々は、彼らを永遠に配する権利を文化的に与えられている。

 彼らはヒンズー教徒でありながらも、自分たちの宗教に見捨てられた人々である。神のすみかにも居場所はない。さまざまな分野の中で、特に都市圏の外では、寺院はしばしば、高カーストに生まれた人々のためのものになっている。

 このため最近、インドでは何千人ものダリットが、仏教やキリスト教に保護を求めるようになった。これは、彼らがヒンズー社会で直面する、終わりのない偏見や不公平に対する、象徴的な抗議と捉えることができる。

 メディア報道によると、改宗をした人の大部分は、ヒンズー教に大きく失望し、ヒンズー教の中では平等は可能でないと考えた。

 自分の宗教にとどまれば人間として扱ってもらえないという理由で、他の宗教を選んだ人たちの苦境を認識するということ。ヒンズー教徒にとって、これ以上の恥はあるであろうか。

 個人的には、改宗は宗教の悲劇と呼べると思う。彼らがこのような手段を取らざるを得なかったのは、改宗によって非常に長い間耐えてきた、差別や偏見から自分たちを解放することができるからだ。言わば、仏教やキリスト教に保護を求めたのだ。

 ある仏教への改宗者が、ヒンズー教は不平等と差別の宗教だと非難しているのを知った時、さらに大きな衝撃を受けた。BBCによると、彼は仏教に改宗したのは、仏教は人間愛のための宗教で、ヒンズー教は決してそうはなれないと思ったからだと言った。

 この男性は、同様の境遇にいる何百万人もの人々の声を代弁している。しかし、カースト制度は宗教上の問題というよりも文化的・伝統的問題であり、ヒンズー教はそのような狭い視野を持っておらず、全ての信者を受け入れることができるということを、誰もあえて説明しようとしてこなかった。

 カーストによる分断は文化が基本となっており、ヒンズー教の教えによるものでは決してない。しかし、信心深いと称する人々は、ヒンズー教を間違って解釈し、この不当な扱いを発展させた。

 インドやネパールなど南アジアでは、これは人権問題になっている。ダリットはしばしば、寺院に入ることが許されない。差別は法律で禁止されているが、ダリットは公共の水源から水を使うことは許されず、いわゆる高カーストの人々の家に入ることを通常は許されない。

 いまこそ、ヒンズー教徒が宗教の解釈や、支配的となっているカースト制度にまつわる根強い伝統的な風習を見直すときである。

 そうでなければ、それは宗教の名に対する恥となるであろう。

オーマイニュース英語版から〔10月20日掲載〕)

オーマイニュース(日本版)より

この記事についたコメントは1件。

1 T橋A哉: 10/30 23:02
絶対に選ぶ事が出来ない事が、生まれる土地と親ですから。
ヒンズー教がカースト制度の現況のようにな事が、子供の頃の社会科の教科書に記載されていたような記憶が有ります。
(古い物なので保存してないので、さすがに検証は困難です。)
おそらく、今後も永劫、変わらないとは思います。
でも、宗教の教義の誤解というものが、無くなれば、住みやすい地球になると思います。


ヒンズー教信仰下のインドのカースト制度と似た状況にあるのが、共産主義体制下にある中国における中国共産党による一党独裁です。優秀なオレたちが愚民を教導してやるから黙って従えというのが現在の中国です。

あれあれ? 日本共産党はどうなのかな? 指導部の人事って民主主義・自由主義そのものといえる選挙によって選ばれた面々なのかな? 宮本顕治氏が書記長をつとめられていた時分から知っていますが、指導部の選出にあたって党内で自由意志による秘密選挙が行われた形跡はこれっぽっちも見当たりませんね。民主主義・自由主義を尊重すると言っている政党なのに自分たちは除外するんでしょうかね?w