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眼前で崩れ落ちたWTC

引用元URL:http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000001077

特集9・11から5年~痛みを乗り越えて見えるもの
記者名 宮崎敦子

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爆発する世界貿易センタービル南棟(2001年9月11日、ロイター)

 2001年9月11日朝、テロリストに乗っ取られた飛行機がニューヨークの世界貿易センタービル(WTC)北棟に突っ込んだ。続けざまにもう1機が南棟へ。未曾有の同時多発テロは、世界中で生中継される真っ只中に展開し、人々を恐怖と悲しみの渦の中に陥れた。

 計4機がハイジャックされ、2600人以上が死亡する大惨事となった自爆テロから5年。世界はどう変わっただろうか。あるいは変わっていないのだろうか。目の前で崩れ落ちるWTCを見ながら生き延びた人が、5年経って何を思うだろうか。彼の目にアメリカは、世界はどう見えているのだろう。

 ヒロシマの8.6とニューヨークの9.11を重ね、鎮魂の歌声がニューヨークに響く。平和への思いが国を超えてこだまする瞬間があった。同時多発テロを題材にした映画も続々と封切られる。ニューヨークの人の思いはどうだろう。日本では人々の心にどのように映るだろうか。

 この時代を生きる私たちが、考えるべきことはたくさんある。オーマイニュースの9・11特集。まずは目の前で崩れ落ちるWTCを見ながら生き延びた人の証言からー。【編集部】

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ジェフリー・ボーンさん
撮影者:宮崎敦子

 あの日、あの朝、あそこにいたはずだった。2001年9月11日午前8時半、ニューヨークの世界貿易センター(WTC)で朝食会議を予定していたジェフリー・ボーンさんは、前夜に計画を変更し、当日朝、まさにWTCへ向かうタクシーの中で目的地の悲劇を知った。目の当たりにした、建物に開いた大きな穴。見つめるさなかに崩れ落ちたビル。未曾有の惨事に巻き込まれる寸前だったボーンさんは、今年6月付で新生銀行の財務戦略部長に就任、5年目の9.11を日本で迎える。

 ボーンさんは当時カリフォルニア在住だったが、金融関係の仕事で月に1、2回は訪れるニューヨークは「第二のホームタウン」のような感覚だった。WTCには「100回以上」も足を踏み入れていた。大学教授としての経歴を持つボーンさんは、北棟107階にあった“Windows on the world(世界の窓)”というレストランを会場にした講演会に、講師として何度も招かれたという。107階の大きな窓からは、セスナのような小さい飛行機の屋根部分が上から見えた。「急な風が吹いたりしたら、ああいう飛行機が建物にぶつかるんじゃないか」と心配になったことが度々あった。

 その日は富士銀行と会議を予定していた。WTCで午前8時半に待ち合わせ、地下のレストランで朝食を取りながら話をするはずだったが、10日の夜になってボーンさんが「あのレストランはあまりおいしくないから、われわれが泊まっているホテルで朝食を食べないか」と提案した。11日、ホテルを出たのは午前9時半だった。時間がなくて、めずらしくニュースを見ない朝だった。

 同僚と3人でタクシーに乗り「WTCの南棟に行ってください」と告げたところ、混乱した様子の運転手が「WTCは爆発した」と言う。そこで初めて事件について知ったが、運転手は詳しいことは分かっておらず、ボーンさんは「もしかして以前自分が心配したように、セスナが建物とぶつかったんじゃないか」と思い、「とりあえず向かってください」と促した。実際にはこの時までに、92名を乗せたアメリカン航空11便(ボーイング767)が午前8時46分に北棟へ、65名を乗せたユナイテッド航空175便(ボーイング767)が同9時3分に南棟へ、それぞれ衝突していた。

 タクシーが進んでマンハッタンの下町に近づき、WTCが見えてきた。穴があった。3、4階分の幅が、ぽっかりと開いていた。煙が立ち上り、机や書類が穴から落ちてきているのも見えた。恐怖に震えた。携帯電話で連絡を取ろうとしたが、つながらない。どうしたらいいのか分からなかった。いつも冷静なラジオのアナウンサーすら混乱して、うまく言葉をつなげていなかった。こんなことは初めてだった。

 車は進み、午前10時、崩れ落ちる南棟が見えた。

 この目で見た崩壊の瞬間。ボーンさんの人生で一番悲惨な記憶となって焼きついた。ビルには友人も大勢いたし、この時刻は、まさにもともと会議が予定されていた時刻だった。道路は渋滞し、動けなくなって30分ぐらい経つと、北棟も崩れた。その瞬間も目撃した。

 それから2時間、タクシーの中で待った。何もできなかった。車は少しも動かなかった。警察が現場に総動員されているので、暴動が起きるんじゃないかと心配だった。外を見ると火山灰のように猛烈な埃。外を歩く人も車の中にいる人も、みな携帯電話を使おうとしていたが、つながらなかった。仕方がないので車を出て、ホテルまで歩いて戻った。だいたい1時間ぐらいかかって戻り着いた。朝ホテルを出発してからは3時間が過ぎていた。

 ホテルの部屋で待機したが、固定電話も携帯電話もEメールも使えなかった。安否を気遣う人が一斉に電話をかけたので、回線がパンクしていた。事件発生から4時間、会社のスタッフがリダイヤルを繰り返してやっとホテルに電話が通じ、家族にも無事を伝えてもらった。その日の会議の相手とも連絡が取れず、次の日になってメンバーの1人が亡くなったことを知った。富士銀行は79階にあり、会議もその階で予定されていた。飛行機は78階から84階にかけて突入し、火災が発生していた。

 封鎖されたマンハッタンから出られないので、まずは近くの赤十字の献血バンクに行った。「なにか手伝えることはありますか」と聞いたら「今はボランティアが多すぎて。3カ月経ったら戻ってきて」と言われ、驚いた。ニューヨークの人がこれほどボランティア精神があるとは思っていなかった。さらに、仕事でしか付き合いのなかった金融機関の人たちが次々に電話をくれ、「もし時間があったらどうぞうちまで食事に来てください」という招待を何度も受けたのにも驚いた。「あの事件でニューヨークの人の温かさも感じました」とボーンさんは話す。

 結局1週間ホテルを出られなかった。毎日夜に家族と電話したが、回線が不安定で10回か15回かけないとつながらない。「今でもはっきりと覚えているのは、普段はにぎやかなニューヨーク市内が静まり返っていたことです」と話す。車は通っておらず、レストランは閉店、携帯電話で話す人の声もない。もともと動物や昆虫がいない地域なので、自然の音もまったく聞こえない。不思議な感覚にとらわれたという。

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WTC跡地で犠牲者を悼み抱き合う人々(2005年9月11日、ロイター)

 5年経って振り返ると、「今でも本当に悪い夢だったように感じる」という。実際に起きた出来事なのに、いまでも信じられないという思いがある。ホテルから一緒にタクシーに乗った仲間と年に数回会って話す。「自分たちが計画通りの時間にあの場所にいればどうなっていたか」と思いを馳せる。なぜテロリストがあのような行動をとったのか、ということも考える。「WTCにはアメリカ以外の国の人もたくさんいます。WTCをアメリカの象徴としてとらえたのはもちろん理解しますが、実際にはアメリカだけではなく世界中を攻撃したことになったのではと思います」とボーンさんは語る。

 寸前で惨事を免れた後の人生に変化はあったのかと聞くと、「もっと子どもと一緒に時間を過ごすようにしました」と話す。ホテルで過ごしたあの1週間、人生の中で何が一番大事か、深く考えさせらた。もちろん会社や仕事のことでもいろいろ考えたが、やはり真っ先に思ったのは家族のことだったという。

 当時、長女が7歳で長男が2歳だった。事件の日には長女の学校も休校になり、1日家にいた。「娘も全部は理解できなかったと思うんですけれど、WTCに僕がいるはずだと知っている妻から話を聞いて、『お父さんはもしかして死んじゃったのかもしれない』と分かったみたいです」。今も強烈な記憶として残っているようで、たまに「あの時本当にお父さんが死んじゃったと思って、すごく怖かった」と口にする。当日、テレビでは建物が崩れる映像が繰り返し流されていた。「妻が15分ほどでテレビを消したそうですが、それでも鮮烈な印象だったはず。いつまでか覚えていないですが、しばらく一人で寝ることができなかったんですよ。怖がって」と当時を振り返る。

 今年8月、米系航空会社を狙った同時爆弾テロ未遂事件を英治安当局が摘発した。このニュースに接し、テロリストの活動が依然として存在していることに恐怖を感じる一方、ボーンさんは「アメリカ政府があの事件からまったく何も学ばなかったところに問題がある」とも指摘する。「今のアメリカ政府の考えは支持できない。テロリストがやりたいことがもっと大きくなって来たという感じがするんです」。アフガニスタンやイラクへの攻撃も影響し、さまざまな側面で、テロリストがアメリカ攻撃への欲求をより高まらせているのではと危惧する。もしかしたら5年前より危険な世の中になっているのかもしれないと感じている。

 9.11の事件への対処について、世界中で協調し、ともに解決の方向性を考える動きが希薄だったと考えているという。「アメリカの軍隊があちこちの国で攻撃したら、普通の人も殺されるし、その人たちの遺族が激しい怒りを覚え、またテロリストになる可能性がある。だから戦争をすることによって、テロリストの数がさらに増えるんじゃないかという感じがするんです」と懸念を示す。いまの米政府はアメリカ以外の政治や文化を理解していない、とも指摘する。「アメリカはどのように見られているのか、なんで嫌われているのか、それをもう少し勉強しないと、テロリズムの問題を解決することはできないと思います」。米政府と強い結びつきのある実業家たちが、戦争によって巨額の富を得ているのではないかという疑念もある。「そんなことで戦争が続いているならば、人間社会は終わりだ」と思う。それと同時に、「事件の影響で、全世界のあちこちの国の人たちの間で、人間と人間との結びつきが強くなっているとも思います」。9.11後のよい変化も肌で感じている。

 今年の9月11日はどう過ごすのかたずねると、ボーンさんは「これまでの4回の9.11と同じように、妻と一緒にいられるということに感謝して、ささやかに祝います」と小さく微笑んだ。

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崩壊したWTCツインタワーの場所を照らすライト(2005年9月11日、ロイター)

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2006-09-11 08:33

※引用文中【画像省略】は筆者が附記
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既成事実はこうして作られる、ということをリアルタイムで経験しているはずなのにまったくそれに気づかないなんてことは日常茶飯事です。日本共産党がしんぶん赤旗の日曜版で731部隊を積極的にとりあげていた40年前(これは森村誠一の『悪魔の飽食』絡みでもありますが)当時、記事に大きな誤認があるという報道を他大手新聞社がしていた事実はありません(※)。

※大規模な検証はインターネット以後になってからです。小さな囲み記事でも良いので発見した方はネットにあげてもらえると読みに行った上でこの記事に訂正をいれます。

いわゆる慰安婦問題にしても朝日新聞が大々的なキャンペーンを行なっていた当時、それに異議をとなえる報道は見かけた覚えはありません。もしかしたら産経新聞あたりが記事にしていたかもしれませんが、わたしには見つけられませんでした。

振り返ってみると思い当たる事柄も多いのではないかと思います。渦中にいると陰謀論で片付けられたりすることも多々あります。時間が結果を出してくれるまで待たなければなりませんが、それまでに証拠となる記録をきちんと保持できるかも大事なことだと思いますよ。