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はじめの生い立ち21〜23:会社員時代③

新人事制度の導入

会社が新たな体制になり、しばらくすると新人事制度が導入されました。
その際に、私の役職は部長から平社員となりました。

手のひらを返すような人もいたし、一方、社外に出れば創業家の一員と見られますが、社内の実際の立場は、一社員。でも、その時点で、社内に創業一族の血筋を受け継いでいる社員は、私しかいませんでした。

会社を辞めれば、高祖父から続く一族の歴史と会社の関係を、私が切ってしまうことになる、、、そこが私をがんじがらめにしました。

私ができることは、営業の仕事をすること。一歩一歩仕事をするしかない。そして、2020年の創業100周年は自分達の手で迎えるんだ!そういう気持ちで日々を過ごしていました。

今から考えると、この頃から自分の本心に蓋をして生きてきたと思います。たまには、銀行から来た副社長と喧嘩もしましたが(笑)

ちょうどこの頃、家庭内でもいろいろあり、私の精神状態は危うい状態だったと思います。

私の営業活動

そんな中でも、私は建設会社の営業として実績数字を上げていくことが、果たすべき役割と考えていました。

では、どうやって数字を上げていくか。

「競争をしない」ことでした。

一般的な建設工事の発注は、設計事務所が図面を描き、その図面をいくつかの建設会社が見積をし、だいたいは一番安価な見積を提出した会社に建設工事が発注されます。

単純な価格競争ですね。

でも、私の勤務先は小中規模の工事ですと価格競争力が乏しく、受注が厳しいです。また、もし受注しても利益率が低く、これではどこの建設会社も疲弊してしまいます。

なので、如何に競争ではなくて特命で仕事を受注するか、また競争であっても如何に競争相手よりも有利な条件に持ち込むか、そういうことを考えていました。

例えば、計画段階から発注者の相談に乗る、空いている土地に提案をする、発注者に影響力のある人に味方になってもらう、そんな方法です。

自分の思い描いたシナリオ通りに上手く進み、そして工事が受注出来たときは、本当に嬉しかったです。

お箏の再開

そんな会社員生活を送っている中、転勤等もあってしばらくお箏に触れていない時期もありました。

ある時、大学生時代に指導を受けていた先生の演奏会のお誘いを受け、東京に聴きに行きました。

その先生の演奏を聴き、「また弾きたい」と思ったんです。そして、再開。すると、前橋の先生の関係の舞台への出演の機会や、福祉施設などからの演奏依頼なども来る様になりました。

また、ある時、知人たちとお話をしていて、「着物を着たいけど、着る機会がないよね」という話しが出て、「じゃあ、着物を着るイベントをしようか」という流れになり、「和!time」という、着物を着て楽しい時間をすごそうというイベントをすることになりました。

なにをしようかを考えたのですが、第一回目のイベントは、リバティという紅茶専門店で、フルートをお箏の演奏を聴いていただくとう内容としました。

今から考えると、この頃から、人前での演奏を意識し始めたんですね。

次の記事はこちらになります。


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