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「明確な目標のある日々は、とても楽しい」JAXA宇宙飛行士候補者選抜試験【2】

あてもなく漠然と過ごす日々は、むなしい。

最初の1年こそ「コロナが明けたら」と色々やる気に満ちていたが、コロナ禍ももう2年目も終わった。仕事以外でもスポーツ大会も軒並み中止、国際大会は壊滅状態であった。コロナ禍で業界で国際的に有効な資格を新たに7つとり、新しいタイプのプロジェクトにも参画し、昇進も昇給もした。最近のフィードバックは最高評価だった。また昇進しそうだ。転職エージェントやヘッドハンターの方々から紹介される年俸レンジは日に日に伸びている。他にも副業の収益も上がっていて、肩書なんかも増えている。

しかし世界的なニュースの裏で取り組んでいる海外出張が世界の有力人物や組織ふんだんに絡む映画の脚本のような海外出張や、ケンブリッジ大学で日々アクセル全開で切磋琢磨していた時のような刺激と感動はそこにはなかった。もう私の人生はこの先変化にも感動にも乏しく、ただこの延長を行くだけなのだろうか?先が見えてしまっていないだろうか?

カーテンの隙間から差し込む光は淀んだ部屋のチリを照らしていた。出口がありそうでないトンネルに閉じ込められ、トンネル内の明かりも日に日に暗くなり、目指す方向すらも見失い、エンジンも切れかけていた。

日に日に肌寒くなり、薄暗い部屋に差し込む日もさらに傾いてきた2021年11月、あるニュースが入ってきた。

「JAXAが13年ぶりに宇宙飛行士募集」


なんとなく要綱を見てみた。要綱を端的にまとめると「国際社会で外国人に負けずに日本人のプレゼンスが出せ、コミュニケーション能力と発信力のある人物」ということになりそうだ。

「これだ。」

やれることと、やってみたいことが完全に同軸に並んでいる。

むしろ「これは私宛ての出来公募※なのでは?」とすら感じさえした。(※採用者が既に決まっている公募のこと)

個人的には、今までに日本代表や日本人唯一、日本人初は連発していた。超学歴社会の国際社会でも、ケンブリッジ大学の物理学PhDなら見劣りはしないはず。チームスポーツではほぼ全員欧米人の中、全英学生大会で得点王、相互投票で年間最優秀選手を受賞。集合写真ではボールを持って中心に立つまでになった。分かりやすいプレゼンテーションでネイティブスピーカーを抑えて何回も優勝。外国人と対等どころかアウェイでも結果が出せ統治が出来る。

コーフボールにおける日本代表選手をやりながら、日本協会の運営や国際連盟の委員をやっている状況は、現役の宇宙飛行士が、JAXAの理事とNASA/ISF等の国際組織の委員を兼任している状況に近く、プレイヤーでも利害関係を多角的に見ることが出来る。

外資でもプロジェクトのアサインベースでは、リーダーフォロワーが頻繁に入れ替わる中で、プロジェクトをかけもって国際的に活動してきた。その結果もあって専門チームに参画したり毎年のように昇進していた。

大学進学率が低い荒れた公立中学出身で、ケンブリッジ大学の特待生として、博士号を取得、この過程でもいろいろ見てきている。

そんなこんなで年齢国籍性別教育レベル問わず成果を出してきた。

コロナ禍で身に付けたコンプライアンスやハッキング、セキュリティの資格はもちろんの事、ダイビングやドローンの免許どころか、他にも10年以上やっていたピアノ、その他の表彰歴がある写真・文芸・創作・デザインなんかまで役に立つかもしれない。江戸切子や藍染、友禅染など変わった伝統工芸体験みたいなものまで。

地上の通常の状況であれば、色々な分野で独立した実績がある状態なだけで、せいぜい多才と呼ばれたり、モテたりする程度だけであるし、むしろ煙たがられて嫌われることもある。宇宙飛行士のように現場のプレイヤーの人数が限られた中では、多様な実績に裏付けされた幅広いスキルは、宇宙飛行士のミッションを通して直接的に人類に貢献するために有効になるに違いない。

よく点と点が線で繋がるという表現がある。経験上人生においてこの点同士がつながるのは、振り返った時だけである。ロケットや惑星の軌道のように、事前に計算で予測することはできない。それらもロケットサイエンスと呼ばれる位には難しい事柄の代名詞だが、人生はもっと複雑なようである。

自分がやりたいように内から溢れ出るものを一定の満足が行くまで追及してきた結果、上記のように多分野で実績が積まれていった。それらの点と点が繋がるときが来たようだ。

自分の中で錆びついていたエンジンが再びかかった音がした。最初こそ「海外PhDの人と相性良さそう」等とつぶやいていたり、友人に「これ、面白そうだよね。少なくとも書類はいけそうだよね」などと言っていたが、宇宙飛行士について口に出している時には、腹は既に決まっていた。



明確な目標のある日々は、楽しい。

この時からKindleと本棚が宇宙飛行士関係の本で埋め尽くされていった。月面や宇宙開発の本が毎日のように配送されてきた。世界史や生物、地学の本まで。選抜試験に関する本を2-3日で4-5冊を読み終え、有料動画も閲覧し、宇宙飛行士選抜試験がどのようであったかを把握し、作戦を立てた。ESAやNASAで働いている/働いていた各国の同僚にも、どのような様子なのかを問い合わせてみた。

BMIが26を超えて脂肪肝気味だった錆びついた身体も、筋トレだけだったジムのメニューに有酸素運動を開始し3週間で9.7kg痩せ、脂肪肝も綺麗になくなり所見が「異常無し」になった。いわゆる健康診断オールAである。この間マシンで走りながらNexflixで見られる宇宙飛行士関係の映画を一通り鑑賞した。

宇宙飛行士の出願準備を中心として、日々が充実し始めた。既に健康体になり、毎日のジムのトレーニングが日課となった。生活にもハリが出て、仕事をはじめとした別の活動にもやる気に満ち溢れてきた。日程に自由が利く休みシーズンよりも、社交や大会シーズンの方が仕事まで進んでいたイギリス留学時の気分が鮮明によみがえってきた。

ホコリで霞がかかった灰色の室内は、輝く日の光がカラフルな教材を照らし様変わりした。

エントリーシートには業務歴、資格、受賞歴、業績など枠が溢れんばかりの今までのありとあらゆる点と点を詰め込んだ。校正が得意そうな友人にもコメントをもらいつつ、印刷をしては、推敲し朱を入れ、再構成を繰り返した。ミスを見つけるとその部分を直し、全体の構成が崩れていないか再度最初から読み直しを繰り返す。何度やってもどこかを直したくなる無限ループに陥っていた。

2022年3月1日、一粒万倍日かつ大安。書類の受付期間ではこの日が最高の日。普段は占いも余り信じるタイプではないが、もう縋れるものには何でも縋り、少しでも可能性を高めようとゲンまで担いでいる。


再三確認はしているが、送信ボタンを押すときには、手が震えた。何かを提出するのに、これほど緊張したのは、いつぶりだろうか。博士論文の提出だろうか。それとも大学院の出願の時だろうか。大学の時?いやそれ以上かもしれない。それくらいぶりであった。

同時に、自分が本気で勝ちに行っていることも再確認できた。大会優勝を目指して会場入りする時と同じ感覚である。少しでも落ちてもいいと思っているのなら健康診断の数値を気にして再受診もしないし、教科書が山積みになることも、旧友に連絡することもない。言うまでもなくクリックで手も震えないだろう。

これだけ準備しても不安要素はいろいろある。健康診断は「所見異常無し」と言っても、病気も怪我もしたこともあるし、通院もしているため完全完璧な健康体ではない。続く医学検査や極限環境では自分がどう反応するかもわからない。運も勿論左右するだろう。そもそも13年ぶりの募集の時点で、生まれた時期まで大いに関係ある。昨今の国際情勢は更に今後どうなるかわからない。人生は思い通りにうまくいかないことも多いので、自分が出来る範囲外でのセレクト・アウトにされる可能性とは常に隣りあわせである。生まれつきの体質で不採用となるという、どうにもならない絶望感にさいなまれるかもしれない。

それでももう書類も出した。今心配してもどうにもならない。今自分が出来ることに集中することにしよう。

次は筆記試験。既に対策は進めているが、抜かりなく準備し、確実に通過しに行こう。

明確な目標のある日々は、とても楽しい。


下記より転載


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