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あ〜、夏休み‼︎

夏が来れば思い出す〜♪

私の中で、
夏と言えば、夏休み。
夏休みと言えば、宿題。

小中学生の頃は(高校生の頃もだけど印象は薄い)、夏休みの宿題が嫌で嫌でたまらなかった。

何からどう手を付けていいのか分からず、それでいて、少しずつやってみることもせずに、気の重さだけが日々のしかかっていく。
特に、絵日記や自由研究は全く興味もやる気も起きなかった。
夏休み最終日に泣きながら家族に八つ当たりして、ようやく手をつけるも終わるはずもなく、翌日の登校日のなんとも憂鬱なこと!

母親になってからは、なぜか
「宿題をやらせるのは親の責任」という思い込みを背負い、「終わるだろうか?」と心配をこしらえては、娘たちに手も口も出し、夏休みの宿題をさせることで、私自身が安心していた。

当時を振り返り、考えるのは、
夏休みの宿題の是非うんぬんではなく、
「苦しかった!」という気持ちに、私自身が気づきたかったんだということ。

子供の頃の私に、
「宿題、嫌でたまらないよね」
「でも、やろうという想いもあるよね」
「でも、何からどうやっていいか分からなくて困ってるよね」
「宿題のことを気にせず、伸び伸び過ごしたいよね」

母親になって、娘たちに宿題のことを口うるさく言う私に、
「宿題のことで、自分のような嫌な想いをさせたくないよね」
「宿題が終わるまで、落ち着かないよね」
「口出しする自分にもウンザリするし、しんどいね」
「娘たちと、ただただ楽しい夏休みを過ごしたいんだよね」
って、声をかけて、労ってあげたかったんだということ。

宿題という課題の捉え方、
宿題も含めた「夏休み」をどう過ごしたいのか?
アイデアや選択肢や想像力に乏しく、余裕や柔軟性に欠けていた自分に。

今、それらが身に付いたとは言えないけど、少なくとも、労える私にはなった!
そして、人に頼るという術も知った。

ここに来て、ようやく、私自身のやり残した夏休みの宿題を終えたように感じてホッとしている。

先日、娘たちに当時のことを話したら、
「お母さん、そんなに口出ししてたっけ?あんまり、何も言わんかったよね?」
と、あっけらかんとしていたことにも^ ^

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