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わたくし、未熟者なり


昨日、鹿児島市の仙巌園への道中の車の中の1コマ。

娘達と充実した時間を過ごしたいと願いながらも、仙巌園に行ってる場合か⁉︎と悶々とする旦那さんが、事故を起こさないように、道中ゆっくりできるように、車の運転を買って出た。
何より、私が、お出かけの運転を楽しみたかったから。

ずっと無言で窓の外を眺める旦那さんが、ふとした瞬間、「心ここに在らず」って感じて、魂が抜けて遠くに行っちゃってるような不安に駆られて、思わず旦那さんの膝を「バシッ!」と叩いた。

突然膝を叩かれ「何なにっ?」と驚いた旦那さんは、
「バイクに乗っている時のように『無』になっていたのに、膝を叩かれて、ザワついた」
「俺がどこにいてもいいよね」
「見守っておいて欲しかった」と、不服そう。

私は「身体に誰か乗っ取られたら困る」と苦しい言い訳をして、それから、仙巌園に着くまでの時間、『脳内ひとり会議』という名のボヤき。
前日にラジオから流れてた、
中島みゆきの「本日、未熟者」のサビをBGMに添えて。

あーあ、やっちゃったなぁ→ガッカリ
思わず、身体に誰か乗っ取られたら困るって言っちゃったな→決まりが悪い
旦那さんは「無」の時間に浸ってたのに→自分の感じたことと、旦那さんの想いが違ったことが悔しい
見守って欲しかったんだ⁉︎→ビックリ
でもさ、インサイドヘッドみたいに他の魂に乗っ取られそうな程、心ここに在らずって感じやったやん→不服
「そっとしておいて」っていうより「俺に構うな」「でも構って」って雰囲気だったやん→膝を叩いたことを正当化したい

あれこれ考えながら、先日旦那さんがコロナのワクチン接種をした時のことを思い出した。
父の友人の職場の方がワクチン接種後に脳梗塞を起こして亡くなった話を聞き、旦那さんに万が一のことがあった時のことを想像したら、今世の身体の別れがたまらなく寂しくて悲しくて涙が溢れた。
でも、それ以上に寂しくて悲しくてたまらないのは、生きて身体は隣にいるのに、心が離れていることだと思い直した。
だから、心が離れているように感じた瞬間、その寂しさを表現するために、旦那さんの膝を叩いたんだ。

それからは、自分への寄り添いタイム。

旦那さんのこと見守れなかったのは悔しかったけど(旦那さんと以心伝心だと嬉しいもんね)、心が離れてるようで寂しかったし、そのまんま遠くに行っちゃいそうで怖かったよね。
寂しさを、膝を叩く行動で素直に表現できたよね。
でも、突然膝を叩かられて、旦那さんがビックリするのも仕方ないよね。
それに、身体を乗っ取られたら困るって言われても、逆に戸惑うよね。
確かに、遠くに行ってたとしても旦那さんの自由だよね。
常に、どんな旦那さんのことも受け止める私でいたいよね。
そして、どんな私のことも受け止める私でいたいね。
たとえ、素直に表現したことが受け止められないことがあったとしても、それを私自身が受け止めたらいいやん。 

そこまで辿り着いて、まだモヤモヤしながらも、

でもさ、
最初に私が願った状態になってるよね⁉︎
旦那さんが「無」になってたってことは、この道中でゆっくりできてるってことよね。
それって、願いが叶って幸せやん!

ひとりボケツッコミして苦笑いした。

そして、先日参加した「ひとのこと」のイベントBOOQESTで言われた私のイメージのことも思い出した。
(BOOQESTのリンクを貼付したかったのにならずガッカリ)

「そもそも地球に居るのに、宇宙だと勘違いして宇宙服を着ているようだ」と笑。
なんなら、酸素ボンベまで自ら背負っている。

「宇宙服を脱ぎ捨てたら、もっと軽やかに生きられるよ」とも。

確かに、宇宙服は着たことないけど重たそうだし、そもそも地球では必要ないな。

今回も、ひとりで勘違いして、ひとり芝居やっちゃった⁉︎

幸せの中にいるのに見失う。
誰かと繋がっているのに、孤独だと感じる。
喜劇なのに悲劇を演じる。
よくやるパターンかも笑。

宇宙服を脱いで、今より軽やかに生きるってことをやってみたい!

でもでも、ここが私の宇宙服を着ちゃう所以。
地球で、宇宙服を着てるのに着てると気づかないまま生きるのは不自由でしんどそうだけど、宇宙服を着てると自覚して、自覚したまま生きたならどんな人生なんだろな?
重たそうだけど、面倒くさそうだけど、面白そう!

あれ⁉︎
今日のnoteでは、
私は「まだまだだなぁ」
「未熟者だなぁ」と締めたかったのに、なんだか話が逸れているような笑。

これも未熟ゆえ。

未熟もあながち悪くないか。

というより、未熟だと自覚することが大事。

未熟だと自覚するから、より良く生きようとするんだな。

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