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書くということ

書くことへの好奇心からnoteを始めたはずなのに、書こうとすると、どうもかしこまっちゃう。

noteの使い方に慣れてないのもある。
感じたことが溢れて言葉に言い尽くせず、まとまらないのもある。

でも、それだけじゃない。
facebookの時と何が違うんだろう?
と考えてたら、「そっか、読み手を意識してるんだ!」とスッキリ。

facebookでは、感じたことを感じたままに、つらつらと書くのが楽しかった。
そこに読み手を意識していなかったわけじゃない。
でも、noteは文字数が増える分、「どうしたら読みやすいかな?楽しく読んでもらえるかな?」って、改行するのにも一旦考えちゃう。
って、どれだけの人が読むと思っているのか、どれだけの影響を与えたいと欲張りな自分なのかを知りウケる笑。

そもそも、私は書くことが好き。
作業としての書くことが。

小学一年生で鉛筆を持って、ノートに文字を書くことにわくわくした。
タコができるほど鉛筆を握りしめて、漢字ドリルをひたすら書くのが楽しかったなぁ。
鉛筆のノートに当たる感覚、尖った鉛筆がだんだん潰れて文字が太くなっていくプロセス、どのタイミングで鉛筆を削るか、どの短さになったら鉛筆を新しいのに変えるか、あの細い鉛筆にさらに細い芯が入っている不思議、今思えば、その全てが愛しい。

だから、今こうしてスマホで書いているのは、何だか物足りない。

漢字ドリルが楽しかったのは、書く作業としてもだけれど、習った文字をノートに書くことで、自分が新しいことを知った喜びや、書くことで覚える喜び、さらには、その文字が繋がり言葉になっていく面白さがあったんだと、今書きながら気づいて嬉しい。

手紙を書くのも好き。
相手にもよるけど。

以前facebookにも投稿したけれど、旦那と付き合っていた頃、付き合い始めてすぐに福岡と東京で遠距離になったので、ほぼ毎日手紙を書いていた。
それまで、手紙を書くことがなかった旦那も返事をくれた。
まず「手紙の書き方」という本を買い、それに書いてあった「正式な手紙は万年筆で書く」というのを忠実に守り、自分で万年筆を買い、私もプレゼントされ、すごく嬉しかったのを覚えている。日々の他愛もないことを、せっせと手紙に書いていたのが懐かしいな。

万年筆はインクが固まるので、インクが出るまでの手間があり、面倒だけど、紙の上を滑る音や質感や、インクの濃淡が好きで、時々恋しくなる。

最近「書く」のはもっぱらスマホで、音声入力もあって便利なのも知っているんだけど、話すのを文字化するより、どうしても手で書く方が落ち着く。

こう書きながら、私にとって「書く」ということは、「知る」ことでもあり「覚える」ことでもあり、「感じる」ことでもあり、感じたことを「整理する」「実感する」「表現する」ことでもあると知り、じわっと感動している。

同時に、この投稿をスマホではなく、鉛筆で紙に書きたいもどかしさも感じながら。


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