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議論芸者

近頃の若造はあんな○×の試験とかで育っているから結局なにもできん、とかいうことをふっかけてくる御仁が、新宿ゴールデン街やザギンの場末などにはよくいたものだった。
いやーそーっすかね、とか言ってるとダメで、それ世代論の話ですよね?であればその試験はあなたたちの世代が作ったものだ、その試験がけしからんのだとすれば<あなたたち>がいけないんであって、我々は被害者ではないか!と一蹴してあげると、論破されてるにもかかわらずむちゃくちゃ喜ぶ。近頃の若者にしては珍しい骨のあることをいうやつだ、いいぞいいぞ、とかなんとかいって、その場をおごってくれるのだ。

20代のときの私はそうやって議論の芸者をして、ただ酒をさんざっぱら飲んできた。酔っ払うと議論しないと気がすまないのはその故もあるのだろう。

素性くらいは店のママが明らかにしてくれるけど、背景などまったくわからない人と、まっさらから議論するのはスリルがあっておもしろい。

その後、30代になって、議論はビジネスの対極にあって、とくに討論は買っても負けても金の損得には百害でしかないということを学ばされ、いまにいたるわけだが、どうしても手が出ちゃう奴と同様で、どうしても口が出る。同僚はよく、血の気多いから気をつけたほうがいいですよと言ってくれたが、これでもそうとう気をつけている。気をつけていてこうなのだ。

私もそうこうするうち、かつて議論をふっかける相手だった<あなたたち>の世代になり、世の中のなにがしかの結果について責任がある立場になった。
世の中はちっともよくなってない。日本は不信の蔓延る国となり、世界は仲たがいだらけだ。次の世代に渡すにあたり、申し訳なくて仕方がない。私が議論するのは、その責任を自ら問うためだ。
そして若い世代に、議論の技術と度胸を身につけ、オヤジどもを打ち負かしてもらいたいからだ。
まあ、かんたんには負けてやるつもりもないんだけどね。


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