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売ることを誰が教えたのか?-夢二

「東京災難画信」四、都新聞 大正12年9月17日掲載

夢二によるルポ:煙草を売る娘
やつと命が助かつて見れば、人間の欲には限りがない。どさくさの最中に、焼残つた煙草を売ってゐる商人の中には定価より安く売つたものもあれば、火事場をつけこんで、定価より二三割高く売つた商人もあつたと聞く。高く売る者は、この際少しでも多く現金を持たうとするのだし、安く売る者は、たゞの十銭でも現金に換て、食べるものを得なくてはならないのだ。三日の朝、私は不忍の池の端で、おそらく廿と入つてゐない「朝日」の箱を持つて、大地に座つて煙草を売つてゐる娘を見た。煙草をパンに代へて終つたら、この先き娘はどうして暮らしてゆくのであらう。売るものをすべてなくした娘、殊に美しく生れついた娘、最後のものまで売るであらうこの娘を思ふ時、心暗然とならざるを得ない。さうした娘の幸不幸を何とも一口には言ひ切れないが、売ることを教へたものが誰であるかゞ考へられる。恐怖時代の次に来る極端な自己主義(エゴイズム)よりも、廃頽が恐ろしい。

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お金を得ることが生きることではなかった。

生存の条件がお金でなかったずっと前、

この世界はどんな所だったのだろうか。

貧困や身売りや飢えもなく、過酷な労働を強いられることもなく

明日を不安に思うことや、借金や病気もない。

悲しみや恐怖のない世界が存在するのなら・・


もしも、今が恐怖時代だとしたら、

次に来るのは極端な自己主義(エゴイズム)です。

その次の廃頽とは、一体どんな絵になるのでしょうか。

それを思い浮かべることは本当に勇気が必要です。

しかし夢二は

心の中でその絵を見ていたのではないだろうかと。

私はそう思うのです。

それは娘さんを描いたこの絵の中に

夢二の優しい眼差しと

祈りが強く感じられるからです。

誰も売られることもなく

得るために生きる必要のない

平和への祈り。

           ーキョウコ

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