2024.6.5に思ったこと
本日はデ・キリコ展に行ってまいりました。
デ・キリコってずっと病んでない?
形而上絵画の始まりも、いつも見慣れた風景を見ていて、すべてを始めてみているのだという奇妙な印象を持ったのが始まりで。それを説明できないから、そこから生じた作品をデ・キリコは謎と呼ぶ。って、謎というより離人症じゃん。山田五郎が言ってたけど一種のゲシュタルト崩壊みたいなものなんじゃないかって。
で、それが起こりやすい場所もかなり限定的であるっていうのも、色々考えちゃう。そこで思い出したくないものだったり、思い出のまま取っておきたいものがあったりするから、そういう不思議な感覚になっちゃうんじゃないかって思ったわけ。はい。
戦後モチーフにしがちだったマネキンも、最初は無表情で物って感じなのに、どんどん人間らしさが加えられてって、病んでいて、気持ちが浮かび上がってこない状態から少しずつ感情が開放されてる、その感じがそのまま描かれてるのだとしたらほっとするとさえ思ったくらい。
あと、なんとなく上下型の人なのかなって思って。自分の思考の中で物事が完結する感じが、1回思考の沼にハマると抜け出せなくなる人って感じがする。
美術館の音声ガイドの最後に何者かになんちゃらかんちゃらっていってたけど、デ・キリコは何者かになったの?何者かになるってどういう状態を指すの?何者かに慣れたかどうかって誰が決めるの?
誰かに必要とされたいっていう気持ちは誰しもが持ってるものだと思うから、誰かのことを必要と人を欲してる人が誰からも愛される人間となり必要とされたいって思ってる人の需要を満たすと思った。これぞ、いただき女子である。やっぱり、真理付いてるよね。すごいな、りりちゃん。
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