見出し画像

2024.5.21に思ったこと

もう、22も終わってしまうのかなって思って虚しくなって、1年前の自分にすがっている。1年前の自分は、大学4年生で、やらなきゃいけないことも多くって。特にこの時期は、卒論のテーマ発表に向けて、公務員試験の筆記試験に向けてなど、慌ただしい生活をしていたように思う。目に見えてやらなきゃいけないことが多いと、私のやる気が怖気付いちゃって行動できなくなる。だから、SNSで無言電話できる人を探して、無言電話することが多かった。そこで出会った人の1人に、ギターが趣味だと言ってギターの練習をしていた人がいた。私は顔も素性も知らない人のギターを聞きながら勉強しているそれが、唯一無二の時間だと思えて嬉しかった。そういう情緒に浸りながら勉強していた。とても幸せな時間だった。その人との、その時間が途切れてしまったのは、その人がギターで食べていってることを知った時だった。素性を知らないということで、余白が生まれ、その余白でいろんなことを想像できていたのに、それが急にできなくなった。それだけでなく、お前が勉強しながら聞いていたこの音楽は価値があるものなのだ、と相手からおふれが出た気がした。別に相手のその音楽に価値がなかったと言いたいわけではない。ただ、それのどこにどんな価値を見出すかを自分で決められなくなった、それが大きかったのだと思う。また、相手は音楽で自尊心を満たしていたのだなって思ってしまった。それが嫌だった。私は音楽でご飯を食べていこうなんて思ったことはないからなのかもしれない。だから、音楽は自分の気持に寄り添ってくれるものだし、余力がある時にその曲を書いた人の気持ちになって考えてみる。そういう共感し合えるものであると思ってたから。だから、無言電話という名の作業電話で、ギターを弾いていた相手が音楽やってるやつだって、勉強してるこの子が知ったらどう思うのだろうという、その相手の気持を想像してしまったら萎えてしまった。

そんなわけで相手とのSNSを通じた不思議な関係は終わってしまった。あっけないね。あっけないからこそ、そういう関係性はまた巡ってくる。その時、また私なりに感じるものがあって、そうやって自分が積み重なっていくって思うとそれもそれでいいのかもしれない。あれは賞味期限が切れた関係性だった、終わるべくして終わった関係性だったってことなのかもしれないね。ま、知らないけど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?